見出し画像

旧態依然の正しい映画人たち

<五藤氏の適正な脚本料が未払いにされていた>

私が今回のケースで一番怒りを感じたのが、この「脚本料10万円事件」だ。あえて攻撃的な意図を込めて「事件」と書いたが、これを事件ではなく
インディペンデントな映画業界での長年の慣習にすぎないと考える映画人たちがいる。まずそのことに驚いた。

映画「天上の花」のプロデューサーは寺脇研と配給会社・太秦の代表である
小林三四郎だが、彼らの言い分は概ねこのようなものだ。

「1500万という予算で時代物の映画を撮るのは正直、難しい。
 俳優さんたちにも破格に安いギャラで出演してもらっているし、10万円
 プラス興行収入のインセンティブというのは支払える適正な金額だった」

「メジャーが作るわけないような作品を世に出すためには、それだけの無理
 をしなきゃいけないんです」

・・・映画製作のド素人がこんなことを言うのは失礼なのを承知で言うが、
この人たちは正気なのだろうか。

1500万の予算で、ある程度有名な俳優を複数人起用して、時代物の映画を製作できるわけがない。この程度のことは映画製作のド素人でも分かる。
それでも映画が完成したのは「それだけの無理をした」からだろう。

俳優たちのギャラが破格に安いだけでなく、おそらくはスタッフ全員も同様のギャラを強いられたか受け入れたはずで、さらに業界でいまだ名前が知られていないような無名のスタッフがどれほどの金を受け取れるのだろう?
そういう無名のスタッフの一人が五藤さや香だった。

今回の一件で初めて知ったのだが、シナリオ作家協会の推奨する映画1本の
脚本料のベースとなる金額が存在するようだ。映画の総製作費の5%。
製作費が1500万なら75万円で、これが「天上の花」の脚本執筆で五藤氏が本来なら最低限受け取るはずだった金額になる。

この75万が安いのか高いのかを判断できるのは、最終的には五藤氏本人なので私には何とも言えないが、寺脇氏や小林氏が初めからこの金額を払うつもりがなかったのは、ほぼ明白だと思う。

常識的に考えて予算1500万の映画で脚本家2人に150万円を支払ったら、それだけで映画の製作費の1割が消えるからだ。五藤氏に75万を支払うなら、普通に考えて荒井晴彦にはそれ以上の金額を支払う必要があるので、どうしてもそうなる。

そもそも、この明らかな低予算映画で、脚本家を2人雇うという大盤振る舞いをプロデューサーたちが承諾したのは、2人のうち1人は信じられないほど安い金で働かせることができるという目算があったからだろう。もっとも
もう一人の荒井氏にしても、後に五藤氏と同様の「ギャラ10万円提示事件」
の被害者になったわけだが。

「低予算で良質な映画を世に出すには、無理をしなくてはならない」

これは事実だろう。問題は無理がきく人間が無理を承知でやっているのか、
ということだ。今回、五藤氏は無理がきくわけでもなく、無理を承知でもなかったから、裁判に訴えたのだろう。この点について寺脇氏は

「荒井さんのお弟子さんということで、そういう業界の現状は納得されてい
 るものと思い込んでいた」とインタビューで答えている。

・・なんだか今回のケースでこの人が一番罪が深いんじゃないかと思えてきたが、フリーランスの人間と仕事をする場合、まずはじめに契約金と労働条件を話し合って互いに了解しておくのは常識だと思う。

今回の場合、それはプロデューサーのすべき仕事で、しかも相手はまだプロでないアマチュアの人なのだ。「向こうが聞かなかったから、こっちも聞かなかった」というのは怠慢でしかなく、むしろ「できれば聞きたくなかった」のではないかと勘ぐられても仕方ないだろう。

そもそも、1500万で(これには文化庁からの助成金も含まれている)
作りたい映画を作るのが無理なら、脚本家に10万か20万のギャラしか払えないと分かっているなら、映画製作を諦めたらいいと思う。少なくとも、
バイト同然の無名のスタッフの一人ひとりにまで、「無理がきくか無理を承知でやってくれるか」を確認することができないのなら、そうすべきだ。

実際の映画製作でそんなことをしているヒマはないと言われるかもしれないが、末端の労働者の生活と労働力を搾取した結果、初めて成立する映画など
私は見たくない。社会の現実が酷いから映画を見るのに、スクリーンの外でまで酷い現実を見せられるのはまっぴらだからだ。

最後に、手厳しいことも書いたが、五藤さや香さんにはいつか一人で書き上げた脚本の映画を私に見せて欲しい。日本映画を好きな者として、優れた脚本家がつまらないことでこのまま埋もれてしまうのは、悲しいことだから。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?