闇の王子様
カーペンター自身が言うところの黙示録3部作の2作目。
キリスト教の父なる神が実はとんでもない悪魔で、サタンは堕天使ではなく普通に悪魔の息子(暗黒の王子)、で、キリストは神の子ではなく倫理的な宇宙人が地球に派遣したメッセンジャーだった。・・という、かなりトンデモな設定のB級ホラー。
まずこれだけ物語の設定が壮大(なホラ)であるにもかかわらず、映画の
出来事は終始一貫して街の片隅にある教会の内部とその周辺で進行し、結局
そこだけで完結する。この場違いなミニマルさがカーペンターらしい。
この奇妙な映画を一言で表すなら、ダリオ・アルジェントとジョージ・A・ロメロとカーペンターが3人で共同監督したSFオカルトホラーという感じ。まず魔物が人間を洗脳して、まともな人間を殺戮するというプロットは
アルジェントっぽい。さらに気味の悪い昆虫がワシャワシャ出てくるのも
アルジェントっぽい。
ロメロっぽいのは、闇の王子様に変な液体を飲まされて洗脳された人々が
ゾンビのように、まだまともな人々を襲ってくるところ。私の見立てに間違いなければ、映画の後半途中からの部屋に立て籠ってゾンビ化した仲間たちの襲撃に徹底抗戦していくシークエンスは、明らかにロメロの「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」へのオマージュだと思う。
今回見たのは2回目で最初に見た時は正直、失敗作だと思ったが、今回は
それなりに面白く見られたので失敗作 ➡ 佳作へとランクアップした。
映画の前半、神父と素粒子物理学の研究者たちが教会に集まって、サタンの復活を何とか阻止しようとあれやこれや話し合うというところまでは、はっきり言ってダレる。たぶん疲れていたら寝落ちしそうになる。
けれど映画の後半、女性研究者の一人がサタンの変な液体を飲まされた辺りから、先に述べたゾンビもどきとの籠城戦になり、荒唐無稽だけど少し感動的なクライマックスまで、思ったよりも怖いし、思ったよりも躍動感がある
(この映画ではカーペンターの恐怖演出がいつもより冴えている)。
ただそれでも黙示録3部作の他の2作品「遊星からの物体Ⅹ」や「マウス・オブ・マッドネス」と比較した場合、イマイチだという印象は変わらない。
カーペンターの黙示録3部作を貫くテーマは、メディアや信仰によって浸食
(洗脳)された人間という存在の恐ろしさだと思う。
3部作最後の「マウス・オブ・マッドネス」では、このテーマがより明確に予言的に描かれるし,「遊星からの物体Ⅹ」では相当に深読みしなければ分からないほど、テーマはフィルムの奥に封印されているが、映画自体が異常に面白いので全く問題ない。
しかし「暗黒の王子」では、この「自分が自分でなくなり、怪物として生まれ変わる」というテーマが弱い。映画がテーマのメタファー(隠喩)として
機能していないように感じる。理由の1つは、この映画の主人公とヒロインの存在がテーマとの間に距離があるからだ。
恋人同士である彼らは世界の終末を回避すべく立ち向かい、怪物として生まれ変わった仲間たちの襲撃に合い、ヒロインは最後に宇宙人の予言を実行してしまう勇気を発揮する。しかし彼らは映画の中で「遊星からの物体Ⅹ」の
主人公であるカート・ラッセルや「マウス・オブ・マッドネス」の主人公であるサム・ニールほど切迫していない。これらの主人公たちは狂気と紙一重の世界を生き抜くが、「暗黒の王子」の恋人たちはこれほど追い詰められてはおらず、どこか余裕がある。
おそらく、この余裕がテーマとの距離感を生み出し、その距離感が映画のメタファーを弱めたのだと思う。そもそも、映画の設定自体が荒唐無稽なのだから、主人公が必死にならなければ観客はテーマを信じることが難しい。
ドナルド・プレザンスが悩める神父を好演して、教会の無力さと欺瞞を曝け出しても、それだけでは弱い。
こうしてB級ホラーなのに見る人を選ぶ映画を監督してしまうのが、カーペンターの魅力でもある。実際に同じ脚本で誰か別の人間が監督していたら、
この映画はⅭ級ホラーにもならなかったと思う。
ちなみにこの映画の邦題は「パラダイム」というよくわからんタイトルだ。
せっかく「暗黒の王子」というクールな原題があるのだから、私はこっちを
使わせてもらった。
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