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死刑にいたる病

ネタバレ厳禁の方は要注意!

私はこの映画を2時間程度の退屈しのぎに見た。で、予想通りに退屈しのぎにはなった。
文字通り、それ以上でもそれ以下でもない映画。いわゆる1回見るには悪くないが、絶対に2回以上見る必要のない映画であり、以下、その理由を箇条書きにしていく。
 
1.   映画のタイトルが観客に誤解を生む。
 
この映画の原作は元々「チェインドッグ」というタイトルで、後に「死刑にいたる病」に改題されたらしい。しかし、見れば分かるがこの映画の主題は死刑制度ではなく、児童虐待の残酷さ、恐ろしさである(この主題が観客にちゃんと伝わったかどうかはともかく)。その意味で原作の元タイトルである「チェインドッグ」の方がこの映画の主題をより的確に観客に伝えている。
 
2. 主役のミスキャスト

少年の頃に父親から虐待を受けて、自己肯定感が極端に低い大学生を中島健志が演じているが、彼の顔が(演技ではなく)とてもそういう人物には見えない。例えば、物語の終盤まで成人女性殺害事件の真犯人だと疑われる青年もまた、中島と同様に児童虐待の結果、成人してからも心に巨大なトラウマを負った人物なのだが、彼は一応そういう人物に見える。しかし、中島はそうは見えない。これは中島の演技力の問題というより、配役の問題だろう。
 
3. 不必要な残酷描写

この映画で阿部サダヲは23人の(いくら何でも多すぎるだろう)男女高校生を拷問して殺害した確定死刑囚だが、彼が実際に山間の小屋の中で拷問を行うシーンが2,3人だけ描かれる。この拷問の回想シーンは一切要らない。そもそも描写にリアリティがないので(リアリティがあったらあったで見ていられない)、単にグロテスクで退屈な描写を見せられるだけだ。
 
4. トリックが(やや)反則技

事件の真犯人だと思われる人物が、実は真犯人ではなかったというのが、このミステリー映画の最大のトリックだと思うが、このトリックは阿部の人心掌握術によって成立している。この人心掌握術は「cure」という映画で萩原聖人演じる知能犯がやってみせたような超能力に近いような技術である。ここは評価が分かれるところだと思うが、私はこういう超能力もどきの能力でトリックが成立するのは、ミステリーとして反則ではないかと思う。
 
5. 登場人物にリアリティがない

これがこの映画の最大の弱点だと思うが、複数の児童虐待という深刻なテーマを扱っていながら、主役の男性ふたりを含めて登場人物にことごとく実在感がない。これではホラー・テイストのミステリーを描くために、児童虐待というテーマが利用されたと批判されても反論はできないだろう。
 
 
 正直、こうしてひたすら批判のための批判を書き連ねるのはきついが、最後まで見た映画は必ず感想をアップするというマイルールがあるので仕方ない。映画の中で阿倍サダヲが日々のマイルールに従って、少年少女たちを拷問し、殺害したのと同じように。

私がこの批判すべき映画を最後まで見たのは、阿部が演じた主人公に「マイルールに執着する」という、自分と似ている気質を見たからかもしれない。もっとも私の場合、人心掌握力はゼロだけど。

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