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自分の心のしずかな革命・ひと休み017

老化するお金

「エンデの遺言」で知った話は以下のようなことだった。

老化するお金を実践した町は「オーストリアチロル州・ヴェルグル」。
およそ100年前、ヴェルグルの町は失業者で溢れかえっていた。
シルビオ・ゲゼルが提唱していた減価する貨幣に関心をもっていた町長のウンターグッゲンベルガーは、貨幣の流通が滞っていることが経済破綻の原因だと気づいた。
通貨がどこかに溜め込まれ、お金が循環しなくなり失業者が増えているのだ、と。
そして1932年4月、町議会において、ヴェルグルだけで通用する地域通貨を発行することを決議した。
町が事業を起こし失業者に職を与え、それを労働証明書という名目の新たな地域通貨で支払った。
この紙幣の裏側には、宣言文が刷り込まれていた。

諸君、貯め込まれて循環しない貨幣は、世界を大きな危機に、そして人類を貧困に陥れた。労働すればそれに見合う価値が与えられなければならない。お金を一部の者の独占物にしてはならない。この目的のためにヴェルグルの労働証明書は作られた。貧困を救い、仕事とパンを与えよ。

最初に給料として支払われた地域貨幣はひじょうな勢いで町をまわりはじた。
このお金は月のはじめに額面の1%にあたるスタンプを買って貼らなければ使えない仕組みになっていた。
一ヶ月に1%ずつ価値が減っていくために、このお金を手にした人はすぐに使うようになり、一枚の紙幣は次々に循環していった。
ゲゼルの老化するお金は貯め込まれることなく、流通し続ける画期的なもので、まもなく失業率はほぼ0%になった。
この地域通貨は公務員の給料の支払いにも使われ銀行にも受け入れられるようになっていった。
ヴェルグルの成功を見て、周辺の町でもオーストリアシリングと併用できる独自の地域通貨の採用を検討しはじめた。
しかし、オーストリア政府が裁判をおこし、老化するお金で幸せを手に入れた市民の懇願を無視した裁判所はこの地域通貨の使用を禁止した。
老化するお金の実験はわずか13ヶ月で幕を閉じ、失業率はすぐに30%に達した。

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