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小さな違和感

何でこんなにも生きているとストレスが溜まるんだろうか。
毎日毎日、小さなストレスが積み重なる。

そして、最近考えるのは、男女の区別について、だ。
私は昔から女子の群れが苦手だった。
女の子らしいことが一緒にできない。
でも好きになるのは男の子。
身体も当然女の子。

だからって、何で私ばかり女の会話で悩んだり、結婚は?子供は?親は心配しないの?
家事は?料理は?と言われなきゃならないんだろうか?

男だったら、少し家事して少し料理して少し育児手伝ったら、いい旦那さんだねー、ちゃんとしてるねーと褒められるのに。

なんで結婚しなきゃ、孤独死なんだろうか。 なんで女に産まれたからには、子供を持つべきなんだろう。
なんで女の幸せは結婚なんだろう。…笑

イコールの考え方に違和感しかわかない。

なんでこんなにも私は、みんなが当たり前のように言う事に疑問を持ってしまうのだろう。

でも、その違和感はきっと私の個性なんだと思う。

魂の存在を考えたときに、
魂には性別はないのではないかと思う。
きっと前世では男だったり、女だったりしただろうし。
そう考えると、私という存在は、女だとか男だとかの枠に当てはめられる違和感を感じるのだ。
もちろん、身体は女。
好きになるのも男。
たぶん、普通だ。

でも、私は私であって、女とか男ではない、ような気が、最近するのです。

あの子という存在なだけなのです。


いわゆる、ノンバイナリーと言われるものなのかもしれない。


最近感じる、小さな小さなストレスは、ここの違和感からきていたのかもしれない?と少し思った。


でも、違うかもしれない。
単純に嫌いな奴らの発言にイライラしてるだけかもしれない。
でも、なぜそいつらを嫌いなのか。
理由を考えときに、
断定的な考え方に嫌悪を感じているのではないかと思ったのです。


嫌いな人は嫌いなままでよくて、
なぜ嫌いなのか考えると、
自分が見つかるかもしれない、ね。

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