宮崎県新富町に移住した有賀沙樹さんのLOCAL MATCH STORY 〜出会いが出会いを呼び、無限の選択肢から移住を決断〜
移住を経験し、地域で活躍されている人を紹介する「LOCAL MATCH STORY」。
今回は、宮崎県新富町に移住された有賀沙樹さんをご紹介します。そして、この記事は有賀さんご本人に執筆いただきました。
私の自己紹介
有賀沙樹(ありがさき)
新潟県十日町生まれ、神奈川育ち。
教育、エンターテインメント、介護、クラウドファンディングなど様々な職種を経験した後に独立。研修講師として主に行政・自治体職員向けの研修の企画・運営を行う。
現在は、2021年に宮崎県児湯郡新富町に移住し、一般社団法人こゆ地域づくり推進機構(以下こゆ財団)にて教育チームに所属し、人財育成プログラムの企画・運営を担当。フリーランスとしてもともと請け負っていたベンチャーキャピタル広報の仕事も継続している。
大学卒業後は教育系のベンチャー企業にて、個人向けの営業を担当。その後、ディズニーリゾート、デイサービス、クラウドファンディングなど様々な業界で異なる職種を経験し、個人事業主として独立。0からマナー講師として学びながら、主に行政・自治体職員向けの研修講師として日本全国を飛び回る。
コロナにより対面研修がほとんどキャンセルになったことをきっかけに、再び好奇心の赴くままに副業を開始。
小学生向けのプログラム講師などを兼任。ベンチャーキャピタルでのスケジュール調整役をスタートしたところ、ひょんなことからポッドキャスト制作の仕事をいただけるようになりポッドキャスターとしての仕事を開始。
同じころ、たまたま参加した起業家育成講座を主催する"こゆ財団"と出会い、お仕事のオファーをいただけたことをきっかけに移住を決断。
現在はベンチャーキャピタルでの仕事をリモートワークで続けながら、こゆ財団で人財育成プログラムを運営、新規プログラムを準備中。
私が移住した地域はこんなところ
宮崎県新富町は、宮崎空港から車で北へ約30分。
人口1万7千人の小さな町です。施設園芸が盛んで、東京ドーム約460個分にも及ぶ広大な農地を有し、ピーマン・キュウリ・トマト・ズッキーニ・ライチ・キンカンなど、年間を通して多彩な農作物が収穫される地域です。
2021年3月には宮崎県初のJリーグ参入を果たした、テゲバジャーロ宮崎のホームスタジアム“ユニリーバスタジアム新富”が完成。
さらには、今年秋に開幕予定の女子サッカープロリーグ“WEリーグ”への参入を目指す女子サッカーチーム“ヴィアマテラス宮崎”も誕生。地域おこし協力隊制度を活用し、選手を誘致するなど、サッカーの町としてのまちづくり施策も加速しています。
phpto by Yuta Nakayama
農業が盛んで一面に田んぼやビニールハウスが広がります。奥に見えるのはウミガメが産卵に訪れる富田浜
phpto by Yuta Nakayama
ブランド化した1粒1,000円の大粒ライチ。ゴルフボールサイズの大粒ライチはふるさと納税の返礼品としても人気で、6月から購入可能になります
なぜ移住しようと考えたのか
フリーランスとして独立したのが5年前。きっかけは、いま思えば働き過ぎ。満員電車に揺られて文字通り朝から晩まで働き、体調を崩してようやく会社勤めという働き方が自分には向かないのだと気付きました。
正確にいうと薄々気付いてはいたものの、大半の方が当たり前にできていることを自分ができないという現実を受け入れられなかったんだと思います。
それでも働くことは生きがいでもあり人生そのものだったので、働かないという選択肢はあり得ませんでした。
ただ、人生100年時代と言われるいま、「このまま今の場所で会社勤めを続けていて、定年後や老後を余生として過ごすのは嫌だ」と思い、自分らしく働き続けられる仕事を求めて独立。
最初は当てもなく研修講師の仕事をスタートしましたが、2年、3年と出張続きの生活を続けていく中で都心に住み続ける必要性を感じなくなっていました。
そんな時に新型コロナウイルス感染が拡大。当然のことながらクライアントである行政・自治体は真っ先に外部人材の受け入れをシャットダウン。
4月と言えば新入職員研修のピークで、例年通りなら1年で一番忙しい時期にも関わらず、9割の仕事がキャンセルとなりました。
個人事業主の危うさに直面しながらも、どこかで「そろそろ次の道へ進む時期なのかもしれない」と放浪癖が再発し、とにかく面白そうと思う仕事に応募するのと同時に、空いた時間を活用して気になるオンラインセミナーを受講しまくりました。
内容はファシリテーター、地方創生、金融、教育など、とにかく様々。ピンときたものに参加を続ける中、こゆ財団主催の起業家育成セミナーに出会いました。
こゆ財団は観光協会を解体し、町役場の方が民間出身のメンバーと協力して稼げるまちを生み出すために設立された宮崎県新富町の地域商社です。
もともと興味のあった地方創生という分野に取り組んでいること、そしてチャレンジを続ける財団の活動に心惹かれ、運営側とコミュニケーションを取りたい一心で起業家育成セミナーに応募しました。起業への興味がなかったものの、およそ3か月の講座をオンライン中心に受講しました。
初回の講座ではこゆ財団代表 齋藤潤一氏による「アイディアに価値はない」という言葉に、「参加者に対してなんて強気な態度」と衝撃を受けました(笑)。このアイディアを出すだけならば誰でもできる、行動しなければ意味がないというメッセージを受け、負けず嫌い精神が発動。
何としても実行に移して見返してやろうと思い、学生時代から憧れていたラジオDJを真似てPodcastで自身の番組をスタートしました。
初めは講座でご縁ができた講師の方をゲストに迎えて、見よう見まねで収録、そして編集。はたから見れば小さな一歩でしたが、全てのことが初めてでとにかく無我夢中でした。
この経験を、当時派遣社員として働いていたベンチャーキャピタルで話したところ興味を持っていただき、投資先の経営者をゲストに迎えてオリジナルコンテンツを作る企画が実現。有難いことに、業務委託として契約していただけることになりました。
講座最終プレゼンでの集合写真。みんなの指サインは新富町のライチを表すポーズです。
この成果を持って起業家育成セミナーの最終日に発表したところ、優秀賞をいただくことが出来ました。この時点では移住するなんて夢にも思っていなかったのですが、何度かこゆ財団を訪れる中で、確実に人・そして新富町という町に魅了されている自分に気付いていました。
“世界一チャレンジしやすいまち”をミッションに掲げるこゆ財団にはいい意味でクレイジーな人々が集まっており、何度か訪問する中で思いがけない出会い、考えられないような方との出会いが生まれていました。
「この町には何かある」そう思い始めていた年末に、思いがけず財団から仕事のオファーを受け、これをきっかけに真剣に移住を考えるようになりました。結果、起業家育成セミナーに参加し始めたのが2020年の8月、そこから半年後の2021年1月には移住を決意していました。
移住するまでこんなことありました
移住を決意するまでは割とスピード感がありましたが、それでも全く悩まなかったわけではありませんでした。未婚で自由に動けるいましかできないかもしれない、という想いもありましたが関東以外に住んだことはなったので全く想像がつきませんでした。
チャレンジしてみたい気持ちと、さすがにチャレンジし過ぎではという気持ちがせめぎあって、なかなか決断することができずにいました。
そんなとき、当時研修講師の先輩だった方に相談すると「もう行く前提で話しているように聞こえるよ、行く気満々でしょ」と言われました。
先輩曰く、「もし行くとしたら〇〇」という、行くことを前提とした話し方をしていたそうです。自分では全く気付いていなかったのですが、人に言われて初めて「あ、私行きたいんだな」と自分の気持ちに気付くことができました。
それからは関東圏を離れると続けることが難しい仕事を手放し、初めからリモートワークでさせていただいていたベンチャーキャピタルの仕事だけ継続する形で移住を決めました。この、主たる収入を確保できている状態で移住できたことも移住の後押しになりました。
新富町という町に惹かれていたこと、そしてその町に住み自分らしく働くことを実践する人々に憧れる一方で、収入の不安があったら移住と言う決断はできなかったかもしれません。また、この主たる収入源を確保しながらこゆ財団で働くことを実現するために、執行理事の高橋邦男氏が理解を示して業務委託という形で仕事のオファーを出してくださったことも大きな要因でした。
毎月第三日曜日に開催される朝市。地域の事業者による出店が立ち並び、美味しそうな香りが充満します。
その後、月に1度行われる朝市のタイミングに合わせてアパート探しのために新富町に訪れると、町民の方々が気さくに声をかけてくださり、一気に緊張が解れました。商店街に位置するKOYU CAFÉの店長を初め、娘か親戚の様に気にかけて下さるので、移住後に孤独を感じる不安はありませんでした。
また、同じ時期に起業家育成セミナーに参加していた同期のメンバーからも2名が先に移住を決意しており、全く縁もゆかりもなかった土地がいつの間にか縁のある地に変わっていたことも不安を取り除いてくれました。
phpto by Yuta Nakayama
移住後、起業家育成セミナーの同期3人でパチリ。2人は地域おこし協力隊として着任しています。
移住後のライフスタイル
新富町に移住後は、基本的にこゆ財団に席を置かせてもらって、朝は8時半のラジオ体操から始まります。特にコロナ禍になってからは在宅勤務が中心になっていた私にとって、出社する場所があることが新鮮でした。
マスク着用や消毒、検温などの感染症対策は続けながらも、それでもすぐ傍に相談できる仲間がいる、他愛もない雑談を交わせる相手がいることは大きな喜びでした。おかげで東京にいた時は10時に起きてパジャマ姿のまま仕事をしていた私も、非常に健康的に規則正しい生活を取り戻せるようになりました。
基本は8時半にはオフィスに出社し、ベンチャーキャピタルの仕事と財団からの仕事を同時進行で進めています。1時間はベンチャーキャピタルの仕事をしたと思ったら、次は財団の打ち合わせ、また次の1時間でベンチャーキャピタルの仕事、とどちらにも迷惑をかけないように注意しながら時間をやりくりして仕事を進めています。
ただ、予想外だったのは離隔にある新田原基地から連日飛ぶ戦闘機の轟音です。オフィスにいると特に、戦闘機が真上を飛んでいる間は会話が中断するほどの轟音なので初めは慣れなくて驚きました。実家も米軍基地の近くにあるので戦闘機が飛ぶ日常には慣れていたつもりだったのですが、それでも会話をかき消されるほどの経験はなかったので慣れるまではつい耳をふさぎたくなりました。いまでは8時になると飛び始める戦闘機の音を聞きながら、そろそろ家を出なきゃと時報のように生活の一部になりました。
とは言え、Podcastの収録時に戦闘機の轟音が入ると困るので、この時ばかりは自宅に戻って収録をしています。アパートの方が断然防音が優れているらしく、部屋の中に居ればある程度の音は遮断できるのでなんとか収録を続けられています。
毎年5万人以上の観光客が集まるという、年に一度の航空祭も昨年は残念ながらコロナ感染拡大に伴い中止になってしまいました。せっかく自衛隊基地の町に移住したからには、なんとか今年は航空祭開催を実現させて恩恵にあずかりたいと思っています。
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移住してわかった地方暮らしの魅力
とにかく野菜が安くて新鮮です!近くに農協の直売所があり、都内では考えられない大きくてみずみずしい野菜が、80円~100円の間購入可能です。
先日も、一人暮らしなのに1本80円の立派な大根を見て思わず衝動買いしてしまい、なんとか使い切りましたが食費はかなり安く抑えられていると思います。仕事仲間に声をかけてもらって農家さんの手伝いにいくこともあり、人生で初めてたけのこ堀りを経験。
プロの技の鮮やかで素早いのに比べ、何度やっても農家さんの言う越しの使い方がさっぱり分からず、しばらく筋肉痛になったのもいい思い出です。
その際、大量のたけのこを譲っていただいくも引っ越し間もなくガスコンロもなかったので、カフェの店長のご好意に甘えてあく抜きをしてもらい、さらには実家に送ってもらうなどこの町に来てから町の方のご好意にはお世話になりっぱなしです。
phpto by Waki Hamaotsu
新鮮なしんとみ野菜をふんだんに使ったランチが人気のKOYU CAFÉ。松浦牧場の牛乳を使った本気カフェオレも大人気で町民の憩いの場です
移住先での住まいについて
引っ越し先は2LDKのアパート。一人暮らしには広すぎるのですが、築浅で職場にも近い物件を探すと候補は3~4件に絞られました。あいにくアパート探しに訪れた2月にはまだ入居者の方が住んでおり、候補先の部屋の中を見ることはできなかったので、地元の不動産やさんと写真を信じて入居を決めました。家賃は5万を切る物件が多く、広くて安いお部屋に住みたかった私にとっては、嬉しい驚きでした。
周囲には4階建て以上の建物が存在しないので、とにかく空が広くて見渡す限りどこまでも町が広がっています。都内のガラス張りのオフィス群によって切り取られた空しか見ていなかった私にとって、毎朝果てしなく続く空が見えることにいまだ慣れず、ついついぼーっと景色を眺めていたくなります。
誤算だったのはWi-Fi完備のアパートがなかったことです。都内に住んでいた時はWi-Fi完備のアパートを条件に探すことが当たり前にできましたが、さすがにそれは叶いませんでした。基本的には職場のWi-Fiを使っているので平日は問題ないのですが、帰宅後やお休みの日のことを考えると、そろそろWi-Fiを我が家にも導入しようかと検討中です。それまでは、自転車で10分ほどの距離にインターネット環境が揃った図書館と文化会館があるので、気分転換も兼ねて外に出ることも多くなりました。
移住先でのお金事情について
収入については、移住前から続けている仕事が今も主たる生計です。生活費は家賃も含め、都内に比べて断然安く抑えられるので今のところ心配はありません。有難いことに移住してからご縁が広がり、少しづつですが新規のお仕事をオファーいただくことも出てきたので、できる限りはお引き受けして自分自身の幅を広げられたらいいと思っています。
移住後に増えた支出は、唯一移動費です。最寄り駅の電車は1時間に1本という土地柄、基本的には車社会です。当たり前のように車を持っている方がほとんどですが、車を買うほどの必要性は今のところ感じていないので、必要な時にシェアカーを使用して宮崎市内へ買い物に出かけています。時間単位で当時も空いていれば予約可能、ガソリン代がかからないので7~8時間借りても4,000~5,000円の出費に抑えられます。歩いて10分程度のところにあるので、大きなスーパーや町内にはない家具屋さんへ行きたい時などにはシェアカー利用し、基本は自転車か徒歩で過ごしています。
ちなみに以前は職場から戻ると電車を降りて駅前のコンビニによることが習慣になっており、気付けばICカードをまたチャージ…を繰り返していましたが、いまは徒歩5分程度のところにコンビニがあるものの職場との経路内にないので行く頻度がぐっと減りました。急な買い物も行こうと思えば行ける安心感もあり、意外と買い物に関する不便さは感じていません。
移住先での暮らしで困ったこと
新富町は自衛隊基地があることもあり、自衛隊員の方が多く暮らしています。そのため3年や4年ほどの短い周期で転勤する方が毎年おり、3月から4月にかけては引っ越しされる方が多くいるそうです。それが原因かは分かりませんが、3月いっぱいまで入居者がおり部屋の内見ができない物件が多く、実物の部屋を見ずに部屋を借りるのは初めてだったので少々戸惑いました。
また、4月2日には出社したかったにも関わらず4月9日からしか入居できないというアクシデントにも見舞われましたが、同じ時期に新富町から転出される方が救いの手を差し伸べて下さり、その方が転出後も数日お部屋の契約が残っているので貸してあげられると声をかけていただきました。お陰様で最初の1週間はまだほんの数分しか話したことのなかった方にお部屋を貸していただくことができ、ホテル暮らしをすることなく自分のアパートへの引っ越しをすることができました。これも、都内では考えられないことだと思うので町の方々の温かさには感謝しかありません。
それ以外にもゴミ出しルールが以前住んでいた地域とは大きく異なり、しばらく四苦八苦しました。ごみ袋は青、黄、緑、赤の4色に分けられており、それぞれに出し方が細かく規定されています。ペットボトルは横向きに潰していいが縦に潰してはいけない、缶は潰さずに出す、段ボールは小さく切って袋に入れて出すなど、これまでの市町村と異なるルールが多く、(私が以前住んでいた町が大雑把だったのかもしれませんが)最初は細かく近所に住む職場の仲間に聞いて教えてもらいました。転入届を出した際にごみの分別に関する細かい案内をもらいましたが、引っ越しした翌日に行く余裕もないので、初めに調べておく必要があると痛感しました。
指定のごみ袋も各種類大・中・小で販売しているので、まずはこのゴミ袋を買うところから始めます。分別の種類が多くなると部屋の中でもその分ゴミ袋の数が多くなるため、分別できるゴミ箱が急務でした。引っ越し直後はそれこそ段ボールを1つ1つ切り刻む時間もなく、一時は部屋1つがまるまる空き段ボールで埋まってしまいました。分別が甘いとコメントを書かれて持って行ってもらえずに返却されているのも目撃しているので、これまでになくゴミの分別には気を使っています。この辺りは移住先の市町村によって全く異なると思いますので、アパート探しのタイミングで一緒に確認するのが賢明かと思います。
移住後の活動内容について
移住してまだ1カ月半しか経っていませんが、オンラインイベントを実施したり、町の公式キャラクターおとみちゃんのアテンド役としてイベントに登壇したり、テレビにも出演する機会をいただいたりと、とにかく目まぐるしく過ごしています。
4月に企画・登壇もしたオンラインイベント。毎月1回企業の方をお迎えし、新しい視点で地方創生の可能性について探っていく。
UMK放送にておとみちゃんとしんとみライチのPR。当日はSkypeでスタジオと繋ぎ、ライチをかぶって生中継出演しました。
現在決まっている活動としては、人財育成のプログラム企画・運営が中心ですが、4月にデビューした町の公式キャラクターおとみちゃんの活動にも主体的に関わっていきたいと思っています。また、Podcastのような音声配信にも興味があるので、町の農家さんや事業者さんの声を届けられるような番組制作などもチャレンジできたらいいなと思っています。
「こんなことやりたいと思うんだけど」と話すと、「じゃあ〇〇さんを紹介するよ」と繋いでくれたり、「こんなことも一緒にできるんじゃない?」と提案をもらえるので、発信することの大切さを改めて学びました。Facebookやnoteの更新もしばらく途絶えていたのですが、移住後は積極的に活動を発信することで次のチャンスに繋がると信じて積極的に活用するようにしています。
現在の活動を始めようと思ったわけ
もともと研修講師をしたいたこと、そして自分自身も講座に参加したことをきっかけに移住したことで、お仕事のオファーをいただいて今があります。ですから、いまは「自分のやりたいこと」というよりも、いただけるお仕事を全力でやり切ることを優先しています。
そもそも地方創生に興味を持ったきっかけ、で言うと幼少期の体験にあります。母親の実家が新潟にあり、幼いころ夏休みなどに「田舎に帰る」というと祖父母のいる新潟へ行くことを示していました。横浜や相模原など神奈川の中を転々としていた私の実家は田舎という田舎ではなかったので、長期休暇に訪れる祖父母のいる田舎があることは私にとって大きな意味がありました。普段過ごしている町を離れ、田んぼに囲まれた祖父母のいる町は日常を忘れさせてくれる大事な場所でした。
そんな母親の実家は新潟県中魚沼郡の川西町という地域だったのですが、平成の大合併の波を受けて2005年に十日町市に吸収合併されました。町そのものがなくなったわけではないのですが、学生ながら大きな衝撃として記憶に残っており、後に消滅可能性都市として896の市町村が指定されたころにこのことを思い出し、決して他人事ではないと感じるようになりました。
また2000年から3年に一度実施されている大地の芸術祭に触れる中、ただ消えることを嘆くのではなく伝統を守りながらも革新を続ける町の姿に妙に惹かれたことを覚えています。いま思えば、そうした一連の経験があっていつしか地方創生やまちづくりというキーワードに敏感に反応するようになっていました。いつか関わってみたいと思って地域おこし協力隊について調べたことも過去にありましたが、なかなかそれを実現させるタイミングや移住を決断させる要因がなかったところに、昨年のコロナ感染拡大によるリモートワークの主流化、フリーランスとして次のステップに踏み出したことなど、色々なタイミングと要因が重なってようやく地方創生事業への取り組みを決断できたのではないかと思います。
現在の活動を始めるまでにやったこと
夏から「地域の仕掛け人を増やす」プログラムを始動するため絶賛準備中です。何から始めればいいのか分からない状態からのスタートでしたので、まずはとにかく人に会って話を聞き対話をしていく中で進むべき方向を見つけ出してく作業をしています。構想を話して意見をもらいながら進めることで、1人で悶々と考えていても見つからなかった軸や方向性が徐々に見えてきました。
また職場の仲間に進められて、町を知るために地元新聞紙の過去3年分の記事を図書館で閲覧させてもらいました。有難いことに町に関係ある記事だけを切り抜いて集めてくださっていたので、効率よく町の動きを知ることができました。年間のどの時期にどんなイベントが行われているのか、また町ではどんなことに注目が集まっているのかを知るのに欠かせない作業だったと思います。
今後のプラン
前述と重複してしまうのですが、月に1回のオンラインイベントは今後も継続しつつ、夏にスタートする「地域の仕掛け人を増やす」プログラムでは連続5回講座を3か月~4か月かけて実施する内容で企画中です。また、町の公式キャラクターおとみちゃんのサポーターとしても活動を続けていく予定です。
地方で活動して分かった面白さ、やりがい
地方だから大きく何かが違うということは、正直いまのところそんなに感じていません。ポストコロナと言われるこれからの時代、オンラインを駆使した働き方が当たり前になり、兼業や複業スタイルも珍しくなくなると思います(本業と分けての副業という意味ではなく、複数を掛け持ちして仕事をするスタイルの複業を示したくてあえてこの漢字を使っています)。そうなったときに、どこで仕事をするかというよりも、今まで以上に「誰と仕事をするか」「誰と仕事がしたいか」が重要になってくると思います。まだまだオフィスに出社しなければならない、副業すら解禁されないという方もいるかと思いますが、以前に比べて場所を考えずに好きな人と好きな時に、好きな場所で働ける時代になったことは「自分らしくいたい」人にとって追い風でしかないと思います。
そういった意味で、地方で働く、活動するというのは決して特別なことではなく、1つの選択肢として考えて言い時代が来ているのだと感じます。強いて言えば人との繋がりを持ちやすいのは地方の強みで、車で5分も飛ばせば色々な方を数珠つなぎのように紹介していただくことも可能です。東京の方がスピード感があると思っていましたが、SNSでいつでも誰とでも繋がれるいまだからこそ、対面ですぐに本人と話して価値観を共有できるのは地方ならではの利点かもしれません。
また、チャンスが多いのも地方の特徴だと思います。東京にいたらそれこそライバルだらけでどの業種にしても新規参入が難しいと思いますが、地方においては当たり前にしていたことが自身の強みになったり重宝がられることがあります。私の場合、元ディズニーキャストという経歴だけでおとみちゃんのアテンドをオファーいただくなど、東京にいたらさほど珍しくなさそうなことも強みとして見てもらえるので自己肯定感がますます高まりそうです。
移住検討している方へメッセージ
有難いことに私の場合は0から移住したわけではなく、お仕事とそれを応援して一緒に伴走してくれる仲間がすでに町にいる状態で移住したので、孤独を感じることはありませんでした。移住するにあたってできるだけ不安をなくし、ワクワクした状態で新生活をスタートするのであれば、事前にその町のどこかのコミュニティと関わるきっかけを作って、その町の雰囲気や人となりを知ったうえで移住されるのがいいかと思います。お互いのミスマッチの可能性も低くなるでしょうし、何より移住を楽しむことが出来ます。
人それぞれ抱えている事情も異なるので容易な決断ではないと思いますが、少しでも興味があるのであれば調べるだけでなく一度足を運ぶ、オンラインで集まりに参加するなどしてコンタクトを取ることをおすすめします。あとはこれは行くしかないな、というタイミングだと思ったら思い切って動いてみる。もしどうしても上手くいかなかったら戻ればいいだけですから(笑)それぐらい、一生に一度の決断と意気込むのではなく、肩の力を抜いて飛び込んでみるのもひとつの選択肢だと思います。人生100年、どうにか生きなければいけないいまの時代を生きる私たちにとって選択肢は無限にあります。まずは動いてみて自分の心の声に素直に耳を傾けてみてください。移住する以外にも選択肢は無限にありますので、私の体験もその中の1つの例として読んでいただき、誰かの一歩を踏み出すきっかけになれば嬉しいです。
(終わり) 執筆時期:2021年6月
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