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深夜特急

コロナ禍でハマってしまった紀行文。始まりはこの深夜特急シリーズ。
沢木耕太郎さんが26歳の頃行った世界各国バックパッカーの旅の記録を綴った本。
私が行ったことのある場所でもその場所に対する感じ方が違って面白いし、地元の人々とのやりとりはその場面が想像できるところもあってニヤけてしまう。

私は深夜特急の2から読み始めてしまったため、著者がどういう経緯でこの旅を始めたのか、1の香港・マカオ編でどういう旅をしてきたのかは知らない。しかし読んでいると旅の始まりである香港に一目惚れしてしまっている様子が伝わってくる。

著者は1970年代にこの旅に出かけているから、もちろん今とは現地の状況が全然違う。なんといってもスマホのない時代。情報は本か人伝いで収集するしかない。もちろん地図も紙だし、宿の予約もできないから行き当たりばったり。
いつもGoogle mapを使って街を歩き、Airbnbで宿を探し、Uberでタクシーを呼ぶ私がこの時代に生まれていたら絶対一人で海外に行く勇気なんてないんだろうなあと思う。

印象深かったのは、この本の内容はもう半世紀も前のことなのに、タイ・バンコクに対する感じ方が私と似ていて面白かった。
初めて私がバンコクに行った時のこと。一ヶ月のマレーシア滞在の後に一人で行ったからか、マレーシア・ロスがひどく「ああ、マレーシア戻りたい…」とばかり思っていた。バンコクの街を歩いていてもそこに広がっているのは東京や上海と何ら変わらない高層ビルが並ぶ、ただの都会の光景で「ふーん、これがバンコクか」と、特に何の感想もなくただただ歩いた。
多分、これがマレーシアからではなく、日本から来ていたら「うわあ!これがバンコクか!」って目をキラキラさせていたんだろうなと思う。タイはタイなのに、無意識にマレーシアと比べていたのかもしれない。この著者が香港での興奮を再び探し求めて東南アジアを旅していたように。

その後著者はインドへ向かう。私の中でインドというのはとてつもなく不思議な国だ。2016年にマレーシアに留学していた頃はインド系の人々を毛嫌いしてしまっていたし(彼らによくぼったくられたため)、一生インドにだけは行きたくないと思っていた。
しかし、気付けば逆に自分の中でインドに対して興味が湧いていた。何でインド人はこう考えるんだろうとか、こういう行動になるんだろうとか。2019年にインド人のオサム(私がつけた日本風のニックネーム)と、再び訪れたマレーシアでルームメイトになった時は、今回私はインド人を理解できるようになろうと努力した。でもその努力も虚しく、結果オサムとはやはり理解し合えず終わった。
今でもよくあの時私はどうオサムと付き合っていけばうまくいったのだろうかとよく考えるけど、やはり答えは見つからない。もしまたオサムに出会ってルームメイトになったとしても同じ結果になってしまうんだろうなと思う。こうしてオサムのことを考えると同時にさらにインドという国が気になってしまっている自分に気付く。インド人と理解し合うためには、やはり一度インドに行かなければいけないという使命感がもはや湧いてくる。
一生行きたくないと思っていたインドが5年の時を経て、自分の中でどうしても行かなければならない国になった。

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