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近未来の話をしよう-10

始まりは「革業界の懇親会」だった。

私たちが通っていた革教室はプロの革の縫製師を養成する教室だったけれど、もちろんその教室出身だからといって全員がプロになれるわけではない。

毎年20名ほどが在籍するその教室はその頃は年に1~2名プロが輩出するかどうかという状況だった。

私たちが在籍していた年は生徒の士気も高くて、有志が集まって「作品展」を開こうという話が持ち上がっていた。最初の作品展では年長者の私が幹事をすることになった。7名の参加者が集まり作品展は大成功と言えた。

そして、その7名のうち6名がプロとなって今も活躍している。

翌年にもやはり皆で作品展を開こうということになった。幹事は持ち回りという約束だったので私は幹事から降りた。2度目の作品展もそこそこの実績を残せたが、翌年の幹事は決まらず合同作品展はそこで立ち消えとなった。

作品展が終わって皆で打ち上げをすることになった。

もちろん楽しい会になったが、それぞれが新しい道を踏み出す話になった。それぞれが独自の選択肢で業界の中の様々な仕事へと踏み出そうとしていた。

以前から業界内の閉鎖性のことを聞いていた。それぞれの製造会社同士は自分たちのノウハウを囲い込んで外に出そうとはしなかった。業界内のしがらみや慣習が邪魔をしていた。

打ち上げの席で私は「これからも毎月集まりませんか?」と提案した。

何かのノウハウを教え合うとか、技術の話をするとかではなく、ただ単に集まって話をしましょう」というだけの提案だった。

せっかく出来た横の繋がりを断ち切るのはとても惜しいと思った。

私たちは月に一度集まるようになった。たわいもない話から始まって、近況報告。もちろん業界の話が何も出ないわけではなかった。転職の話や、自分たちが取り組んでいる仕事の話、そして禁句と言われていたノウハウの話を先輩の職人から進んで公開するようになった。そんな時、その職人の周りに車座が出来た。

ベテランから若手に技術を繋いでいかなければ業界そのものが衰退していく危機にあった。それを実感しているのは、業界に長くいるベテランの職人たちだった。

若手もそれに共感し始めていた。

それでも1年、2年と回数を重ねてゆくと徐々に参加する人数が減り始めた。

最初10名を越える人数だった会は途中3名ほどまで縮小した。

若手の中から、何とかしなくちゃという数名のメンバーが動き始めた。私たちが始めた会から分離して幾つかの会が立ち上がり始めた。

私が少し遠方に引っ越すことになって幹事が出来なくなった4年目、会は枝分かれをして大きく育ち始めた。

会が始まったのが15年前。途中色々な出来事で消えかけたこともあったけれど、最大40名を越えるような大きな会になっていった。中心には元々若手だったメンバーが今はベテランで後輩を連れてくる。

皆が、この集まりの意味を実感している。

新しく独立し、成功するメンバー。後に続く若手を育てるメンバー。技術の継承を考えるメンバー。業界の革新を進めるメンバー。

今となっては私はかなりアウトサイダーで、業界の中心からは外れたけれど、立ち上げメンバーの一人として今でも参加している。

こういう会が年齢性別、業界を問わずに立ち上がってゆけば良いと思っている。

お互いには何のしがらみもない。

自由に意見を発して、自由に学ぶ。仲間を見つけて新しいことを始める。

ベテランに学び、新人に学ぶ。

それが出来ればどんな時代も乗り越えられるに違いない。

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