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信号に止まる心の余裕

自分は、子供の頃からわりと信号を無視して歩く人間でした。それこそ、大通りなどでは信号を待ちますが、夜や交通量の少ない信号では、確実に車が来ていないから、待つ必要ががないと自分に言い聞かせながら赤信号を渡っています。

結婚して、子供ができてからは赤信号をわたることに躊躇するようになりました。大人は車を判断して赤信号を渡れるが、子供が真似する場合は判断を誤る可能性があると。自分の子や他人の子の関係なく、自分を見て真似をさせたくないと思うようになりました。
それでも、急いでいたり、疲れていたりすると赤信号でも渡ります。ただし、周囲に子供がいない場合のみです。子供が見ていれば面倒だが待つということをしました。

子供は親の背中を見て育つ

ある時、いつものように赤信号を渡ると、対向の木陰に子供達がいました。子供達は確実に車が来ていないにも関わらず律儀に信号が青に変わることを待っています。その子供達は信号を無視して渡る私を見て、躊躇いながら赤信号を渡り始めました。
ただし、全員ではなく一部の子は「ダメだよ」と諭しています。
私はこの時に初めて、赤信号を渡る罪悪感が芽生えました。
子供が見ていないと横着していても、自分の気づかないところで見られていて、真似をする様になる。そんなことを考えるともう信号無視はできません。
信号無視だけでなく、日頃から親としての立ち振る舞いを正さないといけないと感じました。

忙しい日々に思うこと

よくよく考えると、信号を無視してもメリットはほとんどないと思います。無視すれば1分少々の時間は短縮できるでしょう。でも家や会社で、1分を惜しむ行動をとることはほとんどありません。
信号を無視し、帰った家でやってることはというと"にゃんこ大戦争"でした。何も急いでいません。
疲れている、急いでいるなど、それは自分への嘘で、ただただ待つことができない人間であった、私はそれだけだったのです。

信号を待ちながらそんなことを考えていると、信号に止まっている時間がとても有意義な気がしてきました。
私は仕事に育児に家事に自己研鑽に、多くの時間を費やしているつもりですが、何かに追われているような、そんな忙しさを理由に時間を無駄にしていました。
日々を顧みればゆっくり立ち止まって考え事をする時間など、会社や家庭でもそれほどありません。
たった1分でも、足を止めて考え事をする、そんな時間が生活には無くなっていました。

それから、信号に止まるとその日のことや今後の予定などやりたいことを整理するようにしています。そうすることで、目的地についてから初動が早くなりました。初動が早いと、次の行動へも繋がります。よいサイクルです。

きっと誰しも、時間を無駄にしたくはないと思っているでしょう。ですが、何も急ぐことだけが重要ではありません。足を止めて見ると、近道を見つけることもあるかもしれません。
時間に贅沢に、足を止めて好きなことを考えてみる、そんな心の余裕が必要なのではないかと思います。

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