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2ちゃんねる事件を振り返る

こんにちは もりひろです。
今日は、約10年前に起きた私の「2ちゃんねる事件」を振り返り教訓化してみたいと思います。今ではもはや武勇伝!?

2ちゃんねる、皆さんはみますか?私はみません。昔も今も。
あ、でも世間で話題になった時とか、周りが「2ちゃんにこんなことがー」とか言っていた時期があってその頃はたまに覗いていました。
ここ10年以上覗いてないな。
正直なところ、私の中でそもそも2ちゃんねるにはネガティブなイメージしかありません。(wiki見たら今は5ちゃんねるっていうの?なんかそんな感じっぽいです。詳しくはwiki)

2ちゃんねるに載ってるよ!

突然、遠く離れた友達からの電話。「え?なんで私がそんな掲示板に???どんな風に載ってるの?」なんだか心臓はバクバクです。


・名前は書いてないけど、私を知ってる人がいたらそれはすぐに「もりひろ」と分かる→私が読んでも私に間違いない と思いました
・内容は、一部は合っているが、(要するに私と特定できる部分)中身は全くのウソ。
・嫉妬のカタマリ
・私が読んでも相手は特定できない(性別も、この人かな?など予想も不可能)
→「相手は私を知っている、私は分からない…」

ホラー級の恐怖が襲う毎日

まず私の中で起きたのは「怒り」、「誰?」、「表舞台で徹底的に戦ってやる」です。

・絶対に捕まえてやるという気持ちになった
・いつも誰かに見られている、狙われているような気がする
・尊敬していたり仲が良い人ほど…と全ての人を疑う
・相談できない(相談した相手がそいつかもしれない)
・事実無根だが、「恥」だと思った

毎日このような気持ちになりました。恐怖しかありません。
仕事中も、話しかけられても疑う、目があっても疑う。
「あいつはいつも私を見てあざ笑ている」精神的にやられそうになりました。

エネルギーの無駄と生まれるものが無いことに気づく

こんな日々を過ごしていると疲れました。
ふと、相手の思う壺ではないか。と思ったのです。

・同じ土俵まで自分を下げることになるのでは?
・嫉妬されているぐらい自分はできる人なのだ
・相手は陰口でしか自分を満たせない

こう思うようになったのです。相手のところまで「降りる」必要あるのか?
とはいえ、「この人じゃないか?」「実はあの先輩では?」などの気持ちは正直、すぐに脱ぐいきれませんでした。相手への怒りは消えたものの、「人を疑う」 という気持ちはなかなか消せなかったのを覚えています。
匿名で誹謗中傷する1番の悪質と言われる所以は、これだと思います。
毎日人を疑いながら生き、精神が蝕んでいく

どうやって抜け出せたのか

「人を疑い生きている」 という「」にハマっている いわゆるこれも、向こうの思う壺にハマっている事に気づいたからです。
それは、上記で私が「戦う」と思ったところで言えば、もう「負けている」のです。負けてたまるか。そう思いました。
それからは、自分に向き合い、負けたくない、このまま人生崩れ落ちたくない、その気持ちを胸に、「人を信じる」と決めました。少しずつ。

この出来事からの教訓

・誹謗中傷は絶対にしてはいけない
・嫉妬は人と比較して生まれる 過去の自分と比較する

・同じ土俵に降りない
・怒りからは何も生まれない
・人を疑っても自分がきついだけ
・自分に立ち向かい、人を信じれば傷ついた心は回復できる

レジリエンスを鍛える

人生山あり谷あり、事件あり。
メンタルやレジリエンスも筋肉と一緒で、遺伝的なところを覗けば、鍛えられると思っています。
ただまず、自分に問うべきことは、
その怒りや負のエネルギーを費やして得られるものは何か?」を問えば、やるべきことは見えてくる気がします。

この事件を経験しレジリエンスを鍛えられました。
そう、感謝!載せたあなたも幸せになって欲しい。そう心から願います。

今日も読んでいただきありがとうございました!

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