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レジリエンスを発揮できたと感じる出来事

はじめに

2019年の春に網膜剥離になり、手術をしました。この時に備忘録として書いたメモは、自分が自分を支えられるという意味での自信が強まった、その効果を生み出すセルフコミュニケーションについて書かれていると思ったので、記事として残してみます。

次からの内容は当時のままを引用しています。

分かるよ、なんて嘘

眼の病気になって手術をした。

人生で初めての体験で
今まで考えたことがない最悪のリスクなど
色々考えた機会だった。

正直、
苦しくて大変な状態だったけど、
この話をオープンにすることはしばらく控えていた。

その理由は、
自分が弱っていたからという前提があるのだけど、

人は「大丈夫?」と
気にかけてくれはするけれど
それはあくまでその時だけだ。

そんな社交辞令だったらいらない。
・・・そんな本音が出てしまう自分を嫌悪するのも
嫌だから最初からそんなサイクルは作らない。

そんな自己防衛のために
オープンにしなかった。

一方で、
この望みを叶えられるのは最初から
たった1人しかいないってことも気づいていた。

その1人とは自分自身ということ。

そういう意味で自分のことを本当の意味で
分かってあげられるのは自分しかいないのだ。

そんな自分のことを
誰かに分かってもらおうとすることは筋違いだよ。

だから
誰かが「分かるよ」って言ってくれているのは嘘。

分かるはずなんてない。

だけど、

だけど、

そんな言葉に心動かされてしまうのは
その言葉の奥にある、分かろうとしてくれているエネルギー
(それを愛と呼ぶのかもしれないな)を感じ取っている
からなんだよね。

人は分かろうとしてくれているプロセスを
感じ取ることができる。

内なる分かって欲しい自分が
そのプロセスと合わせて

自分自身に分かって欲しいという自分の気持ちも
感じ取ることができたなら、

愛されている喜びは2倍になるよね。

ふー、

ホントは「ある」のに「ない」って
思い込んでいることって多いよねっ。

不自然に多くを求めるのではなく
すでにごく自然に存在している
この世界の美しさ豊かさに気がつける感性を育んでいきたい。

日々起こる色々な誰かとの間に起こる出来事、
その中にグラデーションのように重なっている感情。

それらに気がつき、味わい深く生きていきたい。

そんな風に思うね〜〜。

読み直して思ったこと

本当にそのまま最後まで引用したのですが、最後の「ふー、」以降の文章がその前といまいちどう繋がっているのか分からなかったです(笑)

そんな余談は置いておいて、今回改めて読み直して、タイトルや「はじめに」で書いた切り口とは違う観点で、いくつか思ったことがあります。

(1)人間関係において自分にとってネガティブだと感じる出来事が起こった際にうまく紐解けていくためのポイントが書かれている

多くの場合、関係性で起きたネガティブな感情は、その原因を相手に求め、相手に意識を向けてしまいます。しかし、本当の意味で紐解けるためには、その時に自分自身が何を感じているのか?をちゃんとキャッチできること。言い換えれば、自身の深いニーズを理解してあげること。そして、共感してあげること。ここまできてやっとゴールの存在するスタートラインに立ったと言えます。

そうすることで、そのある種「問題が起こっている次元を脱することができ」、相手に対するまなざしも感情も変化します。「その私として」相手と接するから、結果として関係性がスムーズに流れていくのです。(この自己理解・自己共感のプロセスは相応のトレーニングが必要ではありますが。)

このステップに取り組まずに、相手だったり他の人に分かってもらおうとする行動を取っても、表面的には収まる可能性はありますが、本当の意味ではテーマが残ったままになります。言い換えれば、その先に再び似た現象が起こる可能性があります。だからこそ、自己理解&自己共感は根本的な解決のために不可欠な取り組みとなるのです。

(2)自分でスタートラインに立てないケースもある

とはいえ、自己理解・自己共感をしたくてもできないことってありますよね。そういう時は自身のそういう側面を共有し、そこでつながる「誰か」がいるから自己完結できない、という観点があります。

これは、アドラーの目的論ではないですが、あえて自分で無意識にそういう状態をつくりつづけているとも言えるでしょう。

そのため、その時にコミュニケーションをとるべき一定数の誰か(言い換えれば、コミュニティなどの場)と出会い(再会含む)、一定の関係性になるまでは自己理解にも自己共感にも至れない(スタートラインに立てない)というケースもあります。

私はこのあたりに、人のご縁の妙というか面白さがあるなぁ、人は一人では生きていけないのだなぁと感じたりします。

さいごに

当時の体験は、自分にとって特定の領域における自己理解・自己共感を行うために重要なことだったなぁと思いますし、結果として自分を信じるという意味での自信や、(自分を)確かに信じられる、という意味での確信を育むことができた大きなプロセスでした。一言でいえば、深い部分(インナーマッスル的な?)が強くなった出来事でしたね。

後から調べてみたらビジネスシーンでよく使われるようになったキーワードである「レジリエンス」に関係あるかも!?と思い、ろくに調べないままタイトルに使わせてもらいました。(すみません)

ですが、気になってきたので、ちゃんと調べてみたいなと思いました。

また、改めて記事を書きながらここに意識を向けてみると、他の領域における自己理解・自己共感が宿題として残っている気がしているので、そこを探究したい意欲が生まれてきている、今日この頃。

どんだけ、自己探究が好きなんだっていうね 笑

おまけ

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