日常の中でのソースプリンシプルの実践がもたらしてくれることとは?
今回の記事はソースプリンシプルとは何かが分かっている人向けの内容になります。
ソースプリンシプルを実践していく中で、こんなコミュニケーションを交わす機会が生まれます。
そのイニシアチブのソースである人に対して、ソーシングはどうかな?というように。
これを問いかけてもらうことで、自身がソースであること。言い換えれば、そのプロジェクト(フィールド)における創造の源ともいえる存在であることを思い出すことができます。
なぜ、このことが価値を持つかというと、私たちの多くは、私のことでありつつ、あなたやあなたやあなたの想いと重なりのあるこのこと、と捉えるのではなく、一緒くたに私たちのこととしてしまうからです。これは言い換えれば、無自覚に私に力があるのではなく、私たちに力がある、という信念を強めてしまう効果があると私は捉えています。
そして、このことは私たちが人との何か活動をする上でいつも付きまとっていて、この私が不在の私たちとしての活動が、私個人の想像する力、創造する力をないことにし続けているが、そんなことには気づけないというのが少なくとも日本では多く見られる現象なのではないかと思っています。
自然に私たち一人ひとりがソウゾウする力がないと思い込ませやすい環境だからこそ、ソースプリンシプルというレンズを用いて、互いがソースになるプロセスへの感謝や尊敬の念を感じたり、ソースであることに立返らせてくれるコミュニケーションを取り合うことの価値が高いと思うのです。
話が飛躍したと感じられるかもしれませんが、ソースのレンズ的なコミュニケーション、協同がいらなくなった世界は十全に生きている人類が適切な人数で溢れている世界なのではないかなと思っていたりします。
日常の中でのソースプリンシプルの実践及びそれがもたらしてくれることとは?
そんなテーマで思ったことでした。
ソースプリンシプルってよく分からないけど何か気になる、と感じてくださった方はぜひ検索し、学んでみてもらえたら嬉しいです。