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機械論パラダイムの弊害が、、、と思っても、まだ活かせていない段階かもしれません

はじめに

友人たちと読んでいた書籍「Regenerative Leadership」の中で、機械論のパラダイムに基づく組織が個人にもたらしている弊害に関する記述があります。

例えば、

機械的論理は、サイロや官僚主義といった階層的な組織構造を生み出し、経営者は機械の効率を高めようとする一方で、知らず知らずのうちに従業員の創造性、敏捷性、幸福感、権限委譲を損なっている。

個々人へ与えている悪影響
心や身体への日常的な大きなプレッシャーやストレス

該当箇所をDeepLで翻訳

といったことです。これを読むと、何となく合っている&うまく説明してくれているように思えますよね。

でも、本当何だろうか?という視点でもって深めてみるキャンペーン実施中なので、あくまでこの箇所だけに対して自身の経験と照らし合わせて検証(とまではいかないですが)してみることにしました。

実際に弊害・痛みを感じたことはあるか振り返ってみた

私は今はフリーランスですが、大学卒業後は就職をしました。

入社した当時は、対象としている市場が拡大し続けているフェーズであり、それに伴い採用を強化。社員数は5年で100数十名から私の代の入社を経て、1000名を超えるまでになっていました。

そこで法人営業に求められていたことは、市場シェアを拡大するために生産性高く、より多くの顧客を獲得すること。そのための数値目標を達成するために日々頑張る、というのは当然の帰結のように思えます。

その中で、個人的な苦しみはありましたが、その要因は自身の視野の狭さやうまく人を頼ることができなかったという個人的な傾向によるものが多かったです。

あえて、組織側に課題を見つけるのであれば、課題の掘り下げが浅く、対策は対症療法としての根性論に帰結する方が多かったことが挙げられるかもしれません。

具体的には、私が最初に担当することになったエリアはそもそも対象となる見込み客が少なく、設定された目標を達成することが非常に困難だったそうですが、そうとは知らず過去に先輩方が連絡しきってきた顧客リストにひたすら電話をかけ続けるという、根性試し以外に特に意味のない(と思える)行動を取り続けていた時期がありました。そんな中でアポがとれるどころか有効な会話よりもガチャ切りや嫌な顔をされることも多く、心も疲弊していきました。

そういった現状の中で直属の上司もチームのリーダーも最終的には「とにかく頑張れ」的なコミュニケーションになっていたので根性論で時間を過ごしていくという日々でした。(もしかしたら違うこともたくさん伝えてくれていたかもしれませんが、未熟な私の記憶に残っているのはこの印象でした)視野が狭かったことと逃げたら負けだと思っていたからこそ続けられましたが、やる意味について問い直す発想を持っていたらもっと苦しんでいたかもしれません。

私と同じように売り上げを全然上げられなかった同期は同じグループだけでも何人かいましたが、私の場合はその後、数ヶ月経ってから担当エリアが増えたり、所属チームが変わったりと変化はあったので、知らないところで対策を講じてくれていたのでしょう。

また、そんな私が月の売り上げ目標を達成できるようになったのは(1)見込み客が多いエリアを担当できるようになった(2)トップセールスの型に基づく商談ロープレを何度も行い成功イメージを持てるようになった、という条件が揃った後からでした。

特に(2)においては2年目になり配属されたグループのマネジャーが実施した施策であり、入社してからそれまで受けたことがない教育だったので、教育自体も共通の方針はあったのかもしれませんがまだまだ俗人的だったと思えます。(自分から色んな先輩方に情報を取りにいくことができたはずだがそんなにしてこなかったという前提は棚上げした話です)

いずれにしても、急拡大のフェーズにおいて教育が追いつかなくなるというのはよくある話だと思うので上記の私の弊害というより自然現象と捉えた方が自然に思えますね。

機械論が悪いワケではない!?

このように振り返ってみると会社のフェーズ自体が、システム化(機械化)をはかっていくタイミングだったということですね。

なお、この会社に限らず、社歴が長くなってくると待遇面の不満も増えていたり、若手人材が長時間労働する(一定期間で、離職していく)ことで成立しているモデルは業界の常識となっていたり、営業面も他社についての社員の口コミを見ていくと現場の課題(機械論的伸びしろがある)は似通っていることも分かりました。

これらを踏まえると、私がいた業界の上位にいる会社の多くがいまだに「機械論を適切に取り入れることができていない課題」を持つ段階に留まっているように思えます。

私がいたのは上場会社だったので一定のポジションにあったとすると、機械論の弊害どころか、まだその段階を味わうレベルにも達することができていないという会社は日本にはまだ相当数あるのが現在地なのではないかと思えてきますね。

本当の課題は何だろう!?

機械論パラダイムが組織に悪影響を及ぼしているということにネガティブな印象を持つことは簡単ですし、何となく納得がいく気もします。

しかし、その要因は機械論パラダイムに基づく制度・仕組みが要因なのではなく、有無を言わせない上司とのコミュニケーションだったり、短絡的・慣習的な意思決定といった、一方通行さ、非論理性などにあるケースが多いのではないでしょうか。(むしろ、機械のようにロジックだけで判断されるならそれはそれでシンプルでやりやすいように思えます)

また、このあたりの現象は成人発達理論の発達段階(※)でいう順応型段階(アンバー)・前期合理性段階(アンバー/オレンジ)に関係するのかもしれません。日本におけるインテグラル理論の第一人者の鈴木規夫さんは書籍『人が成長するとは、どういうことか ーー発達志向型能力開発のためのインテグラル・アプローチ』の中でアンバーの傾向について以下のように書いています。

順応型段階(アンバー)では、人は自己の所属する共同体の価値観や世界観に呪縛され、それを共有しない他者を拒絶したり、否定したり、排除したりする傾向にあるが、この前期合理性段階(アンバー/オレンジ)においては、そうした閉鎖性は若干緩和され、自身の基盤とする機能的な枠組み(例:学派・専門性・流派)を通じて多様な人々と関係を結ぶことができるようになる。

しかし、そこでの人間関係はあくまでも自身の機能的な枠組みに呪縛されたものであり、それを脇に置いて、相手の主張を寛容に傾聴することはまだ難しい。重要なのは、自らが信奉している思想や専門や方法であり、その正しさを守ることなのである。

『人が成長するとは、どういうことか ーー発達志向型能力開発のためのインテグラル・アプローチ』p246から引用

私は、1000人以上の規模については分かりませんが、それ以下の規模の会社において経営者と経営層で行われているコミュニケーションが、現場に近いマネジャーと部下とのコミュニケーションと相似形になっているという仮説を持っています。これは言い換えれば、特定の領域において発揮されている経営者の方の発達段階が色濃く出るのではないか、ということです。

このように捉えると、今回の文脈でいう組織に対する悪影響とは、組織全体で捉えるならば、順応型段階(アンバー)・前期合理性段階(アンバー/オレンジ)の限界(特定の領域を次の段階へ発達させていくきっかけ・始まり)を指し示してくれているサインと言えるのではないでしょうか。

※成人発達理論とは?発達段階とは?について入門的な内容を知りたい方はこちらの記事をご覧ください(今回引用している鈴木規夫さんの書籍からの引用はありません)

さいごに

この記事を書くきっかけになった書籍「RegenerativeLeadership」では、冒頭で紹介した弊害などを超えていくためにまさに書籍のタイトル通り、リジェネラティブなリーダーであれることが大切といったメッセージを伝えてくれています。

これは言い換えれば、1人1人の話ということ。

しかしながら、主語を組織だったり、機械論パラダイムといったコンセプトにしてしまうと、そこで思考停止してしまい、真実に迫っていけない感覚がするのは私だけでしょうか。

「主語を大きくすることの陰と陽」というマニアックなテーマでも記事を書いてみたいと思っていたりしますが(笑)、出来事を紐解き、真因に迫っていきたい時ほど、主語を私にするといった意識を改めて持っていきたいと思ったのでした。


追伸、

この記事を書くきっかけになった書籍「RegenerativeLeadership」がそうだったり(少なくとも私がDeepL翻訳を通じて読んだ限りは)、他には特にネット関連の記事でもそうなのですが、組織の文脈において成人発達理論が紹介される際には、内容が複雑かつ、長くなることを避けるためからか各段階の「価値と尊厳」にまで言及しているケースは少ないように思われますので、知りたいという方はぜひ鈴木規夫さんの書籍『人が成長するとは、どういうことか ーー発達志向型能力開発のためのインテグラル・アプローチ』を手に取ってみてくださいね。


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