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コミュニティでお金観を語り合うことが当たり前になることで何が起こるか起こらないか〜「タダの箱庭」本・読書会に感じている可能性とは?〜


はじめに

最近「タダの箱庭」読書会を頻繁に開催しており、この1ヶ月半での開催回数は気づけば14回を超えました。これだけ短期集中的にやっていると「何が私にそんなに取り組ませているのか?タダの箱庭に何を見出しているのか?」といったことを質問してもらうことがあります。

もともと、この読書会で意図していたことは

・私とお金の関係をアップグレード
・お金にまつわる話を少しずつ、積み重ねていくことで何が起きるか起きないか
・特定のコミュニティ × お金の話 で何が起きるか起きないか

といったことでした。

以前、短いスパンで継続的にお金観の話をすることで、お金の話をすることが気楽になったという効果を体験したことから、その時と同様に「読書会」という方法を、運営側も参加者側も負担にならないように工夫することで短いスパンでしやすい形にしました。

現在は、2つのコミュニティで実施しています。今後、とある会社さんで社員の方々向けにやったり、別のコミュニティでも行う予定です。個人的な妄想としては、まず10個ぐらいのコミュニティで同時に実施し、数ヶ月に一度、コミュニティ間の境界を取っ払い、一堂に介して、ごちゃまぜにコミュニケーションをとってみる、という実験もしてみたいなぁと思っています。

今、「タダの箱庭」読書会に感じている可能性

話が少しそれましたが、続けていく中で新しく浮かんだ可能性があります。

昨今、多くの方が、会社組織では発揮できない自身を発揮できる場として(言い換えると、顕在的には違和感という形で表出している、自己を開放したいという潜在的な欲求を解放する機会を求めて)コミュニティを求め、オンラインサロンはじめ、地縁型のコミュニティなど、さまざまなコミュニティに人が集まっています。

1960年代のヒッピー関連のムーブメントと似ている?当時の活動が衰退した要因は?

この動きは、私が年明けから探究していた1960年代ころのヒッピーのムーブメント及び、アメリカにコミューンが多数出現したとき(※)と構造が似ているように思えています。

※一説によると3000近くあったとか。一方で日本でも似たムーブメントが起こりましたが、コミューン的なものは多くても100にいかないくらい。その違いについて、ある本では、純粋にアメリカは国土が大きいためと書かれていて、なるほど!と思いました。日本の25倍と考えると、純粋に25倍すると同じくらいの数になりますね。

このコミューンはやがてほとんどなくなっていくのですが、その大きな要因となったのが「お金」だったそうです。ムーブメントを牽引したのは中産階級の白人だったのですが、彼ら自身の活動を間接的にでも支えたのは、彼らが否定してきた高度管理社会(※)そのものだったとのこと。

「東西対立の冷戦」「マッカーシーによる魔女がりなどのため国民がthe silent generationとなった時代」「戦後の経済的繁栄で豊かな生活を享受するようにはなったものの、戦後の国際政治や高度に管理された産業主義社会が持つ、個人を圧しつぶすような巨大な力や機構を前にして、人びとは自我の喪失感を覚えるように」

(伊藤貞基氏の退任最終講義「第二次世界大戦以降の アメリカ小説の動向」の資料から引用)

簡略化すると、体制批判できるのは、体制が生み出してきた余剰・豊かさだったという事実から目を背けていたがために、行き詰まったと言えるでしょう。

これは言い換えると、お金について向き合い、取り組むことをせずにお金を否定したことが要因の1つだったと言えるのではないでしょうか。

ウェルビーイング・ホールネスはいずれもお金とは別で語られている

先にのべた日本のコミュニティブームというか、ウェルビーイング・ホールネスのためのコミュニティを必要としている傾向の中で、確かにその役割を果たし、価値を享受している方々は多いように思います。(そのプロセスが進むことで生まれうる共依存及びそれを超えるといったテーマはまたの機会に)

しかしながら、安心感を感じ、心を開いた状態でつながれる人間関係をコミュニティで育めている一方で、お金の話は全く別の世界になっているケースは多いのではないでしょうか。

コミュニティの持続性を考えた時に、お金の話は必須です。しかし、お金ほどそれぞれの人が無自覚に持っている価値観が表出し、感情的になりやすいテーマはなかなかありません。

だからこそ、
・お金とのニュートラルな関係を育む
・お金の話を誰かと気楽に話せる

といった力が個々人に必要だと捉えています。

また、この力を育むプロセスによって感じることができるようになる安心感・解放感は現在盲点になっているのでは?と思っているので、そこが感じられるようになることで何か起こるか?といった観点も気になっています。

さいごに

だから「タダの箱庭」読書会?

上記の2つの力を誰でも気楽に育むために効果的ではないか?と思っているのが、「タダの箱庭」本を活用した読書会なのです。

それはやるほどに感じているのですが、それはなぜか?については今回は割愛し、別に書いてみたいと思います。

今回書いたような実験は、検証まで相応に時間がかかることですので、気楽に楽しみながらやっていきます。

「タダの箱庭」本・読書会の次の段階とは?

また、進めていく中でこの取り組みは第一段階だなと思うようになりました。

そして、その次なのか、そのまた次なのかまだよく分かりませんが、必要な取り組みだと思っているのが、以前記事に書いた「お金へ投影しているものを取り戻す」というアプローチを行うことです。

このことについてはこちらをご覧ください。

また、書きながら気づきましたが上記のアプローチと合わせて、以前こちらの記事に書いたような

既存のお金・市場とは異なる思想・価値観によってデザインされた同様のシステムがすでにあるのであれば、意図的に活用すること。

なければ、開発していくことをセットで行うことが重要、両輪を回すことが大事だなと思いました。

これらが、「タダの箱庭」本を活用した取り組みが第一フェーズだとすると、そこで育まれた力があることで機能していく、先のフェーズなのだなと今は思っています。

このあたりも進めていく中でどんどん発想が浮かんできそうで、そういう発見自体も好きなんですよね〜

だからやればやるほどエネルギーもアイデアも湧いてくる。
そんな活動ができていることが嬉しいのです。


おまけ 「タダの箱庭」について書いた記事一覧はこちら


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