共有とか手放すとか大事というけれど、ちゃんと所有することも大事だよね
最近「タダの箱庭」読書会を頻繁に開催していますが、一番最初にやったのは2月にオンラインではなく、リアルに集まって行った会でした。
それ以降、リアルは一度も行わず、オンラインばかりやっていましたが、先日ふと、当時声をかけて一緒にやった友人とまた集まりたいと思い声をかけ、もう一度集まりました。また、その時、行きたいと言ってくれていたのですが叶わなかった友人にも声をかけたところ、急なスケジュールだったにもかかわらず、予定が合って、私を含めて合計4名で読書会を行うことができました。
「タダの箱庭」プロジェクトでは、この本を人から人へ手渡ししていくようにデザインされています。また、人によっては複数冊持っている人もいて、そういう人は欲しい人がいたらどんどんプレゼントしていっているのです。(もちろん中には全然減らない人もいるようです)
私はもともと合計3冊持っていて、本来であれば2冊はすぐにプレゼントしてもいいはずでした。
ところが、2月時点での私は余分にある2冊も含めて「自分で持っていたい」という思いがあったので、その欲望?に忠実に、当時行ったリアル読書会では友人に渡さずに、そのまま持ち帰りました(笑)
それから約3ヶ月が経った今日、「所有したかった自分」が満足したからか、気持ちよくみんなに本をプレゼントすることができたのです。
昨今では、「共有する」とか「こんまりする」といった行動が推奨されているきらいが強い気がしますが、そもそもの「持っている私に気がつく・持っていることを味わう」といった意味での「所有する」を行えている人はどのくらいいるのだろうか、とも思うのです。
セルフアウェアネスの伴わない「所有する」は、中毒状態と紙一重で「際限のない所有」を追い求め、合わせて自我が肥大化することにつながってしまう。これは言い換えれば、ハムスターの回し車のような終わりのない閉じたサイクルと言えます。
個人的には、「ハムスターの回し車のような閉じたサイクル」というのが現在の人とお金の関係において主流となっていると思えるため、そうではない流れをつくっていきたい、強めていきたいと思います。
「タダの箱庭」本はそのための土壌づくりをする効果的なツールだと捉えており、この本の読書会を開催し、人と人の対話のきっかけを提供する、ということは、誰にでもやりやすい本質的な土いじりなのではないか?という仮説のもとで行っています。
これまでリアルとオンライン合わせて9回行ってきましたが、その度に新しい発見・閃きがあり、楽しいのです。
こういう活動を持てていることが喜びだなぁ〜♪
タダの箱庭とは?
以下、サイトの文章を私なりに引用・整理したものです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?