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オートメーション化と未来

2022年2月20日 雨のち曇

休日出勤に加えて悪天候のダブルパンチで朝からテンション上がらず。
行きの電車で最近よく聴いている折坂悠太の「心理」でモチベーションを上げていく。

音楽とは本当に豊かで尊い。大好きだ。

仕事も落ち着き夕食の時間になった。
本来なら家で慌ただしく家族で食卓を囲むのだが今日は職場に泊まりなので、静かな夕食になった。

2人いても慌ただしいというのに…今頃嫁は…
なんて申し訳ない気持ちで食べていると、ニュースで建設業界のオートメーション化について特集がされていた。

内容としては、ショベルカーで掘削をする際にどこを掘ればいいのか、危険性が少ないかを自動的に割り当て、それをディスプレイに表示し操縦者はそこにカーソルを合わせて掘るだけでいいというのだ。
まるでゲームのようで、「すごいなあどんどん便利になっていくなあ」なんて思った反面、いくつかの違和感も覚えた。

この人はこれから先「どうすれば安全性を保ちながら効率良く作業ができるのだろう?」など、何も考えることなく仕事をしていくのだろうか?

もっとオートメーション化が進んだ未来では、ボタンを押すだけでこの人の仕事は終わってしまうのだろうか?その必要すらなくなるのだろうか?
なんらかの問題が生じて自らの手と頭で作業しなければならない時、その人は満足のいく作業が出来るのだろうか?

もちろん建設業界は人出不足など様々な問題を抱えているので、オートメーション化されていくことは喜ばしいことなのだろう。

それは分かっている。分かっているのだが、オートメーション化されていく未来にどうしても違和感を覚えてしまう。
仕事面だけではなく生活面でもオートメーション化は進んでいる。家事なんて全くしなくていい未来はそう遠くないだろう。
それもまた喜ばしい。僕としても願ったり叶ったりだ。
だが、そういう世界で産まれてくるこれから先の子供達が大人になって、またまたなんらかの問題が生じて自らの手で家事をしなければならなくなった時、その子はどうするのだろうか?生きていけるのだろうか?

世の中がどんどん便利になりそこに依存していった結果、僕が思う「人間らしさ」が失われていってしまうんじゃないかと思えた。

とは言っても僕は「反自動化主義者」ではないし、与えてくれる恩恵はとても大きい。

僕としては、便利になっていくこれからの世の中との適度な距離感を見極めてグッドなバランスで付き合っていこうと思う。

子供達にもそのことは伝えていきたいな。


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