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【KX物語 第2話】kさん、「人生100年時代」という言葉を聞いて、どんよりする。

 kさんが座っている席のひとつ前のテーブル椅子にいる先客は、kさんと同じぐらいの年の女性です。わりとかっちりとしたスーツを着ているので、きっとkさん同様にリモートワーク中なのでしょう。
 その先客は、kさんが顔を挙げた時から、ずっとkさんを見ています。いや、正確には、ずっとkさんの方に顔を向けています。そして、メガネをかけています。サングラスというべきかもしれません。レンズの部分は濃い色が入っていて眼元は見えません。だから、k3を見ているのかどうかは分かりません。
 そのメガネを、とってもヘンだ、と思ったのは、レンズの真ん中に文字が入っているからです。向かって左には「k」、向かって右には「x」と書かれているように読めます。
・・・何だろう、ヘンなメガネだなあ。それに、先客さん、大丈夫だろうか。さっきから首をかしげちゃって、そのまま動かないよ、、、
 ふと我に返り、ずっと先客を見つめ続けていたことに気づき、慌てて視線を外すと、マスターがそこに立っています。気配をまったく感じていなかったので、驚いて腰を少し浮かせかけました。
「ホットコーヒーお待たせしました」
「あ、、、ありがとうございます」
 ホットコーヒーをテーブルに置いたマスターは、kさんの心の動揺を見透かすかのように、先客の方に少し目をやりながら話しかけてきました。
「気になりますか?」 
「え、、、あ、いや、、、」
「気になりますよねえ」
 そう言って、マスターは、今度はしっかりと先客の方を見ています。
「あ、、まあ、、、あの、、、はい、、、」
 と、返事にもならない応答をしながら、kさんはマスターの方に少し体を動かし、声を潜めて聞きます。 
「あの、、、今の会話、前の方に丸聞こえですよね? ちょっと失礼じゃないかと、、、」
「いえいえ。声は聞こえていません。あなたのことも気づいていないと思いますよ」
 と、事もなげにいうと、マスターはkさんの前の席に座ってきました。そして、言うのです。
「かけてみます?」
「えっ?  何をですか? アレを、ですか?」
「はい。アレを、です」
「いやいや、っていうか、なんで私たちの声が聞こえないんですか? こんな近距離なのに、、、」
 と、最後の方はまた声を潜めて問いかけたkさんのことを、マスターはほぼ完全に無視します。そして、先ほどメニューを取り出したテーブルの隅の小さな箱を開けて、kさんの方に向き直ります。
「どうぞ」
 箱の中には、なんだかいろいろと入っているのですが、先ほどは一番上に置かれていたメニューが見当たりません。そして、箱の端の方に、そのメガネは確かにあります。先客がかけているものと全く同じものです。
 kさんは身動きができません。動悸が早くなっているのがはっきりわかります。
・・・何だこの店。なんか、かなりやばいところに入っちゃったってことか?  それとも、新手のマジックバーみたいなところ?
 気持ちを落ち着かせようと、コーヒーを少し口にします。その味は、Kさんが想定していたものとはまったく違いました。
「・・・美味しい!」
  思わず声が出ます。コーヒーがそんなに好きなわけではありませんが、それでも、このコーヒーが極めて上質なものであることは分かりました。マスターは嬉しそうに笑みを浮かべると、少し間をおいてから、kさんに尋ねました。
「人生100年時代、、、って、聞いたことありますよね?」
・・・なんだその唐突な振りは。この話に乗ったものか、スルーしたものか、うーーーん。コーヒーはおいしいし、悪い人じゃなさそうでし、でも、なんだかとっても胡散臭そうだし、、、、
 さまざまな想いがkさんの頭の中を駆け巡ります。その様子を、マスターは静かに見守っています。kさんは、ずいぶんと時間をかけた後に、無言のまま2度頷きました。とりあえずは、投げかけに歩調を合わせました。マスターも、無言で2度頷き返してきます。そして、こう続けました。
「人生100年時代、、、って、聞いて、どう感じますか?」
 kさんは、何を聞かれているのかさっぱりわかりませんでした。何と答えればいいのか、言葉が見つかりません。そんな様子を、マスターは穏やかな表情で見つめています。そして、おもむろにテーブルの隅の小さな箱に手を差し出すと、かざすように置きました。
・・・メガネを取り出すのかな?、、、
 と思いながらみていると、メガネには手をつけません。いや、他のものにも触れていないように見えます。しかし、かざした手を表に向けると、手のひらには何枚かのカードが置かれています。
・・・そんなもの、箱の中になかったはずだけど。やっぱり、マジックバーかな?
 マスターは、そのカードを1枚ずつテーブルの上に置いていきます。1枚目のカードには、
 
ワクワクする

と書かれています。続いてのカードには、

どちらかというとワクワクする

3枚目には、

どちらかというとどんよりする

そして最後のカードには、

どんよりする

と書かれていました。kさんは、4枚のカードを見ながら、しばらく考え、やがてため息をつきました。そしてマスターに目を向けると、
「選べ、、、っていうことですよね?」
と問います。マスターは、kさんの目をじっと見ながら、大きく1度頷きます。kさんは、もう一度ため息をついてから、答えました。
「どんより、ですね」
 マスターの顔が、一瞬ほころんだようにkさんには見えました。しばらく沈黙が続きました。BGMがかかっていないことに、その時kさんはやっと気がつきました。完全なる沈黙です。それはとてつもなく長い時間のように感じられました。
 やがて、マスターはテーブルの上にあるカードを手元に戻し、その中の1枚のカードをテーブルにもう一度置きます。そして、こう聞くのです。
「なぜ、どんよりするんでしょう?」

(つづく)


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