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【藤田一照仏教塾】道元からライフデザインへ(19/09)学習ノート①

藤田一照さん(曹洞宗僧侶)が主宰して2015年度から行われている、仏教で自己を学ぶ場・人生に仏教をEngageする稽古の試み、「藤田一照仏教塾」。
その第5期、「道元からライフデザインへ - Institute of Dogen and Lifedesign」の後期京都開講第1回に参加してきました(2019年9月28日@京都府立文化芸術会館)。

4月から7月まで東京を舞台に行われた前期では、道元禅師の「弁道話」から私たちの新しいライフデザインのクオリティシフトへのヒントを読み取る試みがなされました。
(7月に行われた前期最終回の模様はこちらからご覧ください)

9月から12月までの毎月1回、全4回が京都で開講される後期では、弁道話とほぼ同時期に書かれた道元禅師の初期の著作「学道用心集」の講読と、ソマティックワークでは前期に引き続いて「感じる力でからだが変わる - 新しい姿勢のルール」(メアリー・ボンド著、春秋社刊)をテキストに、身心両面からのアプローチで、時代を越えて発せられている道元さんからのメッセージを受け取る探究が繰り広げられます。

この「学習ノート①」では、「学道用心集」講読への導入となる一照さんの講話とグループワークについて振り返っていきます。


0. 桜井肖典さん(一照塾ゼミ長)&一照さんからのご挨拶


■ 桜井さんからご挨拶

仏教の教えを「現代の生活に生かしていけるように」取り入れていく、また「皆で学び合っていく」場を設けて、今年で5年目になるのですが、今年は道元さんをテーマにしようということで、貴族社会から武家社会に変わるタイミングで、それまでの日本で誰も知らなかった、見たことも聞いたこともなかったようなことを、道元さんがどうやって伝えていったのか…その"時代の潮目"が、いま私たちが生きている時代と重なると思っています。

おそらく皆さんも、それぞれの職場や属しているコミュニティの中で「なぜ周りの人たちは分かってくれないんだろう?」というような価値観のズレみたいなものを感じているからこそ、いまこの場に集まってくださっている…というようなことがあるのかなと思っています。

私もその中の一人なのですが、せっかく自分が気づいていることがあるのに、どうしたらそれを広めていけるのか?ということを、道元さんから学べたらいいなと思っています。
また、一照さんがやっていることそれ自体、「仏教の新しい解釈・新しい側面を、現代にどうadjustするのか」という、それまでの人が誰もやっていなかったようなことを一生懸命やってこられたと思うので、そんな一照さんが道元さんのメッセージをどうやって伝えてくださるのかな?ということも興味があって、今回は一照さんにこのテーマでお願いした次第です。

一照さんの、この場への想いはどんな感じですか?

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■ 一照さんからご挨拶

皆さん、おはようございます。藤田一照です。
この塾はかつては「仏教的人生学科 一照研究室」という名前で行なっていました。仏教そのものを、出来合いの「〇〇学」というようなかたちで私が大学の先生のように講義するというのは面白くないし、それ自体仏教的でない、禅的でないという思いがあったので、最近は「仏教・禅を"補助線"にして、それぞれの人生を探究する」という言い方をしています。

今回は「ライフデザイン」というコンセプトを打ち出して、自分の人生設計を、もう一度新しい観点からやり直してみようという願いを込めて、こういう名前にしました。皆さん、人生設計してる?

この発想は、「ソーシャルデザイン」というものに取り組んでいる人たちとの交流の中で"デザイン思考"みたいなものが私にも入ってきて「ライフデザイン」という言葉が浮かんできたわけです。

デザインには、デザインするときの「ヴィジョン」みたいなものが必要ですよね。

(1) そのヴィジョン自体、古いヴィジョンに則って人生設計をしてしまっていないだろうか?という反省
(2) 古いヴィジョンに代わる新しいヴィジョンに立脚した新しい人生設計

「古いものを見直し、新しいものを構想する」…この2つの方向があるわけで、この2つを皆さんと一緒にやってみようと思います。
しかしこれは、「ある一つのライフデザインに皆が従う」というものではない。それではやはり面白くないし、個々の人がそれぞれの現場で新しい人生設計ができたらいいな、と。

設計するには、前の設計のどこがどうおかしいのか?ということを反省する必要があります。それから、どこをどう直して、こういうふうにしようというクリエイティブな構想…。「壊して、作り直す」という2つの作業を同時に進めていかなければいけません。

この場に集まった人たちがお互いに支え合いながら、そういう作業ができたらいいなと思っています。
道元さんもまた、日本の大きな転換期にその作業をやろうとした人だと思います。

先日、「ティール組織」というおもしろい本を書いた、フレデリック・ラルーさんが東京工業大学で講演会とシンポジウムを開いて、私もシンポジウムに出させていただいたり、ラルーさんの講演を聴かせていただいたりしました。

ラルーさんもまた、時代の大きな変わり目に即応するような組織のありかたということが、世界のあちこちで同時多発的に構想されていて、それをいろいろ調べてこの本を書いています。
この本の最後の章は「ティール社会」となっていて、社会全体がその方向へ変わっていく必要があるのではないか?というようなことを言っていて、非常にインスパイアされました。そういったこともこの場での話に盛り込みながら、後期全4回、皆さんと一緒にやっていこうと思っています。
皆さんも、どうぞ積極的に参加していただいて、「学び合う」というありかたでやっていきたいと思っています。

1. 「参究」とは?

私はお坊さんになる前は何をやっていたかというと「研究」をやっていました。
研究と「参究」は、全然違っていて、私がやっていた研究というのは、科学的な研究なのですが、研究というのは、人のことを研究するんですね。私自身のことではない。私の向こう側にあるものを研究する。つまり"3人称的"ですね。それから実験とか調査をする。つまり"間接的"
それからもう一つは"普遍的"ということです。誰がやってもどこでやっても同じ結果を導き出す法則を見つけ出すのが研究です。

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その当時の私は、これはこれでおもしろいと思って研究をやっていたのですが、これだとどうしても解けない問題というのが出てくる。それは「私が生き死にするという"私という問題"」です。
研究というやり方では、この問題の解決には届かないということが分かってしまった。私の関心は研究の延長線上にあるものではなかったということが分かったのでした。

一方、「参究」のひとつの実例が「禅」であるわけです。
禅という参究は、研究がやっていることを全部裏返していきます。

3人称的→1人称的(私自身を探究)
間接的→直接的
普遍的→主体的真理(キェルケゴールによる)

別に、研究が悪いというわけではないのですが、学校で教えているのはすべて研究的な学び方です。
一方、「参究」が切実になってくるのは「唯一無二の<私>の発見」という局面においてです。
「研究」的な学び方を学ぶ場においては、「私」というのは横並びにたくさんの私がいるわけです。「私①、私②、私③……」というように、皆が平等に「私」といっている。「並列的世界観」ですね。

一方、主体的真理においては、<私>というのは一つしかない。もし「ほんとうの私」がいっぱいあったら困っちゃいますよね。<ほんとうの主体>というのは、私にとっては<これ>しかない。なぜか知らないけれど、世界がここから見えるし、殴られて痛いのは<この>身体だし、死ぬのは<こいつ>なんです。

並列的世界観では、「私」は"世界の中"にいるのです。「私が死んでも世界は残る」というのが前提になります。生まれるということはこの世界の中に落ちてくることだし、死ぬというのはこの世界からつまみ出されることになります。

主体的真理では、「世界は<私>の中にある」。あるいは「世界は"私の中身"である」。だから、<私>が死んだら世界は消えるのです。世界と私は一つなので、<私>がいなくなったら世界もなくなる。この世界の中には、時間と空間も入っています。

……こんなことを言うと、皆さんは「おかしなことを言うな」と思うかもしれないけれど、世界は、ほんとうは歪(いびつ)なあり方をしている。宇宙の中でたった一つだけ<ほんとうの私>というものがあって、全てがここから始まっているにもかかわらず、学校へ入って教育を受けると、世界の捉え方が並列的になってしまう。<私>だけが飛び出しているといういびつさがなくなってしまって、のっぺりした平板な世界というのができている。時間と空間の中に「私」が閉じ込められている…と考えるのが、いわゆる"常識"です。

……こういうような形で人生設計をするように"仕組まれている"というか、条件づけられているのですね。
仏教が言っているのは、「実はそれは錯覚ですよ!」ということ。
並列的でのっぺりした平板な世界というのは、実は人間が概念によって構築した世界であって、"実物、生(ナマ)"とは違うということです。

人生設計は、"実物"でやるべきではないでしょうか?

概念で構成された世界での人生設計の問題を自覚して、"実物"で人生設計し直すというのが、この塾でやりたいことの一つです。

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私は30歳になる少し前までは、研究者になろうと思ってやってきました。
しかし、自分の中に落ち着けないものがずっとあって、ある時たまたま禅に出会って、「ああ、研究とは全然違う学び方(学修)があるんだな!」と思いました。

「概念で作られた錯覚の世界の中で弱肉強食の中を勝ち抜いていく」というヴィジョンに基づく人生設計のために、知識を増やしてスキルを上げていく「学習」ではなくて、「学修」という人生のヴィジョンに基づいて、ではどうやって具体的に設計していくか。

これで、職業とか生き方とか、人生の方向性がどういうふうに変わっていくのか…自分自身を"揺さぶって"、それでできたスペースの中に何かが沸いてこないだろうか?という実験をする場がこの塾であると捉えてもらうといいと思います。


2. グループワーク「何があなたを塾に連れてきた?」


■ 桜井さんが語る「仏教塾ってこんな場」

「仏教を」学びに来るというイメージではなくて、「仏教や禅を"ガイドライン"にして、自分の中で参究していく機会である」という捉え直しがとても大事だと思ったので、まず初めに一照さんにお話していただきました。

いま、まったく「ノープラン」でこの場を進めていて、「仏教塾とはどんな場?」の捉え直しの重要性を皆さんにお伝えした方がいいなと思って一照さんに関わっていったら、一照さんはこういったお話を出してきてくれたのですが、この塾は大体こんな感じで進められていくので、皆さんの方からも、何かあったらどんどん関わってきていただければ、その「関わりによって引き出されてくるもの」というのがあるので、そんな「双方向の関わり合い・学び合い」というかたちで、この塾を進めていけたらいいなと思っています。

■ グループワーク「何があなたをこの塾に連れてきた?」
それではまず初めに、この仏教塾ってどんな感じなのかな?というのをシェアするような時間を過ごしていきたいと思います。

具体的にどうやるかというと…

まず、過去5年間の塾に一度でも参加したことがある人は、立ってください。そして、その人の周りに、初めてこの塾に参加する人が3~4人ずつ集まってください。
塾の経験者の人は、塾での経験の中でどんな気づきがあったのか、どんなことが印象深かったのかということをお話してください。
初参加の方たちは、「何があなたを今日この場に連れてきたのか?」どういう想いがあなたをこの場へ連れてきたのかということを話し合っていただいて、その中で出てきた意見をグループ毎にまとめて全体にシェアして、それに対して一照さんが反応してコメントする…という時間を取りたいと思います。
そうすることで、この仏教塾の全貌が分かっていただけるかと思います。

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では、各グループでどんな話が出たのか、全体にシェアしてみてください。

(塾生aさんのシェア)
「なぜこの塾に来たのか?」ということでは、まずシンプルに「一照さんのファンだから」。それから「ここに来ると、この塾でつながりができた知人・友人に会えるから」。また、道元さんに興味がある方もいらっしゃいました。
「自分が今どんなことを感じているのかということを、一照さんのお話を聴きながら感じ取ることができる」という意見もありました。
あとは、「どうやったら、一照さんみたいな人間になれるのかな?」という質問も。"ブッダは愉快に生きた人だった"というお話を一照さんは以前にされていたとのことで、「どうやったら一照さんみたいに愉快になれるのかな?」という意見も出ました。

〔一照さんコメント〕
どうやったら僕みたいな人間になれるかって?
そういう発想でいたら無理じゃない?(笑)
ほんとうにクリエイティブな人というのは、自分で「俺はクリエイティブになろう」なんて思わない…って言いますからね。それと同じセリフを、いまあなたにあげましょう(笑)。

(塾生bさんのシェア)
この塾は、ただ"勉強する"だけではなくて、とても自由な「話の発展性」が愉しかった、という意見が出ました。
あとは、とてもつらい経験をしていた時期に「呼吸」が助けになったという体験から一照さんにつながって、今回学ぶことはまさにこのことだなと思って、期待しています。
(塾生cさんのシェア)
長くこの塾に参加されている方の意見では、「この塾で得られることというのは、刺激的なものではなくて、この場にいるまさにこの時にとてつもないものがつかめるわけではないけれども、一照さんとの交流、また塾生どうしの交流の中で、長い時間をかけてじんわりと変化していくようなもの。その変化は、自分で起こすものではなくて…何て言うんだろう、気がついたら自然に変わっていたというようなものだ」と仰られていました。
(塾生dさんのシェア)
日本人の歴史的なルーツへの関心から、宗教へ興味が向いてきた方や、"身体と心の探究"というところからこの塾に入ってきた方がいました。
「この塾に来ることが、自分にとって"収まりがよい"」「道の途中でこの塾がぴったりとはまってきた」という意見もありました。
私は個人的に、昨年にいろいろとタフな出来事があって、その時に一照さんの本を読んでみると、そのタフなことを「私の問題」として片付けようとしてできなかったものが昨年に爆発した…というような感じだったのですが、そこには「"私という問題"を見ていなかったのだな」という気づきがあり、それをさらに深めるヒントがあるのではないかと思って、この塾に参加しました。
(塾生eさんのシェア)
この塾へ来ると「世界の見方が変わる」。今まで自分が持っていた常識がひっくり返されるような体験があったという意見がありました。
頭だけではなくて、身体全体で変わっていくような、また、普段の生活の中でも、塾に参加したことがきっかけの変化を感じられるよね、という声もありました。
またある方は、「何があなたをここへ?」という問いに「流れです」とお答えになられていて、その"流れ"をこのグループの中でも共有しあいながら、その流れの中で何が起こるんでしょうね?ということを、ワクワクしながら話し合っていました。

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(塾生fさんのシェア)
このグループは、チーム名で言うなれば「悩める組織人チーム」
組織に属している中での"モヤモヤ"を抱えながらも、私が主体となって私自身の人生をどうデザインしていくのか…という話が盛り上がっていきそうなところで時間切れになってしまいました。
一照さんの塾の"愉しみ"といえば、今日も冒頭からそうだったように、想定外の動きで塾が進んでいく中に、自分のアンテナがピッと反応するようなところがあって、それが持ち帰れる収穫としての軸になって、それ以降の塾のお話を聴いていけるということ。
また、講義後半のソマティックワークの時間でも、「身体で腑に落ちる、ってどういうことなんだろう?」というさらなるモヤモヤを抱えつつも、持って帰れるものがたくさんあった、というのが前回参加させていただいた中での経験でした。
(塾生gさんのシェア)
この仏教塾に過去3シーズン参加された方や、ピラティスや坐禅に取り組んでいらっしゃる方が、それぞれの課題をもってこの塾に参加されている、というグループでした。
私はというと…妻に連れられてきただけの、いわば"金魚のフン"でありまして(笑)、しかし、金魚のフンなりに何かしら持って帰れるものが見つかるように、参加したいと思います。
(塾生hさんのシェア)
仏教に興味があって、仏教の新しい考え方や解釈について知りたいという方や、ご夫婦そろって一照さんのファンという曹洞宗の僧侶の方がいらっしゃるグループでした。
私自身は、アメリカで仏教をベースにしたヨガを学んでいまして、年に一度はニューヨークへ帰って、学びを続けてはいたのですが、日本でコンスタントに学びを続けていこうと思っても、私が学んでいたようなことを学べる場が、日本にはありませんでした。
「どうしてないんだろう?」とずっと思っている間に、たまたま一照さんのことをネットで調べまして、この仏教塾が京都であることを知って「絶対行きたい!」と思って来ました。
「心と身体は不可分のもので、一方が他方の状態を左右しあう」ということが、日本ではほとんど知られていません。アメリカではそういうことは当たり前なので、自分自身のケア(Care)を大切にしているのですが、日本ではそれがあまり大事にされていないし、自身のケアのしかたもほとんど知らないように見受けられます。
この塾では、坐禅もボディワークと合わせて行なうということで、心と身体はどんなふうに関わり合うのかということを、一照さんがどのように教えてくださるのかな?と、すごくワクワクしてきましたけれども、「学道用心集」のテキストはとても難しかったので、それも含めて一照さんが私たちに対してどんな風にかみ砕いて導いてくださるのかな?ということを愉しみにしています。
(塾生iさんのシェア)
皆さん多彩な職業や経歴をお持ちの方たちが集まってきているのだなと感じました。
3年ほど前に東京での塾に参加された曹洞宗僧侶の方は、その当時のテキストが英語の仏教書で、とてもハードルが高くて塾に行くのが億劫だったと仰っていました(笑)。今回は「学道用心集」ということで、曹洞宗僧侶としては来ない道理がないということで参加されているとのことです。
その他の方々も含め、皆さんが「参究」というものをそれぞれなりに既に実践されている方々が集まっておられるのだなと感じました。
私自身は、道元禅師に関心を持っていたのはもう20年くらい前、学生の頃でしたが、その当時はそのことを共有できる人たちが周りに誰もいなくて、読んでいた本も知らないうちに本箱の隅へ…という状態でしたが、昨年、鎌倉で「Zen 2.0」に参加させていただいた時に一照さんのことを初めて知りまして、道元さんは現代に通じる智慧をもった方だったんだなと改めて再認識しました。
(塾生jさんのシェア)
過去に参加されたことのある方は、この塾では坐禅について「こうしろ!」というのではなく、「掘り下げていく」アプローチで具体的に一照さんが話してくださるのがとても新鮮だったと話してくださいました。
私自身は、アメリカの先生に習っているボディワークがきっかけでこの塾に来ました。一照さんも長年アメリカで坐禅を指導されていたとのことで、英語圏で周囲に日本の文化がない中で禅を教えるということは、しっかり理解していないとできないことだなと思い、それが日本人に対してご指導される時に活きてきて、家族や仕事も含めた"足もとからの"生活が禅とつながる学びの場がこの仏教塾なのだな、と理解しています。


3. 2019年度前期・東京開講まとめ

それでは、いま皆さんのこの塾への期待のコメントを聴いて、それに反応しながら、これから話していきたいと思います。
今年の仏教塾「Institute of Dogen and Lifedesign」は、前期を東京で行ないました。前期のテキストは、道元さんの「弁道話」を講読しました。

前期のまとめについては、「これを読むだけで仏教塾には出なくてもいい」と言い出す人が出るくらい(笑)、詳細なレポートができていますので、京都の塾生の皆さんも、東京で行なった内容をぜひ読んでいただければと思います。
また、講義後半のソマティックワークでは、前期に引き続き「感じる力でからだが変わる - 新しい姿勢のルール」をテキストにします。

この本は情報も満載で、たくさんのワークやエクササイズが載っていますが、全部を行なうには時間が足りないので、私なりにセレクトして、坐禅や瞑想に役に立つ話やワークをしてから、最後に坐って終わる…という流れで、後期も行なっていきます。それについて私が語った部分も、ワーク中の写真なども載っているまとめができていますので、前期全4回分のまとめも、京都の皆さんにもぜひ読んでいただきたいと思います。

前期第1講(4月)はこちらから。


前期第2講(5月)
はこちらから。


前期第3講(6月)
はこちらから。


前期最終講(7月)
はこちらから。

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……このあと、学習ノート②に続きます。


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お読みいただき、ありがとうございます! 「財法二施、功徳無量、檀波羅蜜、具足円満、乃至法界平等利益。」(托鉢僧がお布施を頂いた時にお唱えする「施財の偈」)

あなたが幸せでありますように◎
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仏教的人生学研究員("通りのよい身心"探究専攻)/日本韓氏意拳学会会員(2018年より)/分からなさの間(あはひ)に雲遊萍寄する<いのち>のfootworker/藤田一照仏教塾「仏教的人生学科 一照研究室」「移動する学林」「道元からライフデザインへ」塾生(2016年度より)
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