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【藤田一照仏教塾】道元からライフデザインへ(19/11)学習ノート④

(ここまでの11月一照塾)
オープニングの20分、定刻に間に合った人がちょっと得する、一照さんのearly bird talkの模様は、学習ノート①にて。
「道元さんにいちゃもんをつけるワーク&学道用心集講読」のpart 1の模様は、学習ノート②にて。
「道元さんにいちゃもんをつけるワーク」part 2の模様は、学習ノート③をご覧ください。

この学習ノート④では、「道元さんにいちゃもんをつけるワーク&学道用心集講読」part 3の模様を振り返っていきます。

1. 当体に当たる

(塾生fさんのシェア)
「仏書を伝うると雖も、仏法を忘れたるが如し。その益や是れ何ん、其の功や終に空し。」
……先ほどの方も挙げられていた文章ですが、「経典を伝えてきたことが何の役に立ったのか」だなんて、ちょっと言い過ぎなのでは?という意見がありました。

「仏道を欣求する人、参禅に非ざれば真道を了知すべからず。」
……他の宗門のことを否定して、禅の良さをことさらに強調するような態度もどうなのか?という意見もありました。

また、用心の第八は、「趙州無字の公案」を引用したり、「身心はどうか?仏法はどうか?生死はどうなのか?」と問うことで、「無」という言葉や身心、仏法などと言った言葉を大事にしながら、それにとらわれている当時の禅僧のありかたをも批判している問題提起の文章だと思いましたが、こういう読み方はどうでしょうか?

〔一照さんコメント〕
「他の道や宗門を否定する以外にどんな方法がある? あるなら言ってみな?」…と、道元さんから言い返されるかもしれませんよ?

道元さんの時代にも、いわゆる「趙州無字の公案」が公案修行の代表的なものとしてあって、ある特別な境地に入るために「無」を神秘主義的に理解したり…ということが背景にあって、ここで道元さんはこの公案を引用したのでしょうね。

趙州に僧問う、狗子に還って仏性有りや也た無しや。
趙州云く、無。

(『無門関』第一則)

何かがestablishされると、僕らは常にそれに寄りかかるようになってしまいます。何か新しいものが生まれたばかりの頃は、新鮮に受け止めるかもしれないけれど、守りに入ってしまうと「現状維持に腐心」するようになってしまう。
道元さんが渡った宋代の前の時代、唐代の中国では、禅はまだマイノリティで、迫害されたりすることもあったけど、宋代に入ると禅もestablishされて"既成宗教"になっていたから、形骸化・形式主義化の現状というのを道元さんは見ていたのだと思いますね。

この「趙州無字」で大事なのは、公案だとか独参(弟子が師匠と対面で公案についての自分の考えを示して、師匠に点検を乞う修行)というかたちで設定された"舞台"の上で扱われている無ではなくて、無という文字が指し示している「無の当体」、無についての見解ではなく「無そのもの」に直面することです。

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◆当体と言葉の取り違え

無の字の上に於いて、擬量し得たるや、擁滞し得たるや、全く巴鼻なし。

「無という字について、推し量ることができるだろうか、ふさぎ滞ってよいだろうか、まったく捉えどころがない」。

人間は、当体と、それについての言語的理解を取り違えてしまうのです。言語による理解ができたら「分かった」とするところが、学校です。しかし禅は、この取り違えをとても警戒します。
「そのものを知る」ことを、「会得、体得、味得」と言います。学道用心集のこのあとのところに「直下承当」という言葉が出てきますが、「言葉の媒介なしに、直接受け取る」ということです。


内山興正老師がよく言っていたのは、

「"火(fire)"って口で言っても、舌は焼けないでしょう?」

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…内山老師はこういう言い方で、当体とその言語的理解の違いを説明していて、けっこうウケていたみたいだけど、僕が言ってもウケないですね(笑)。

人間世界で言葉の理解が通用するようになってくると、"お金"と同じようなことが起こります。
お金って、何かと交換する力があるから値打ちがあるわけで、それ自体はただの紙切れですからね。喉が渇いた時に「これで水が買えるから」といって紙幣を飲んだってダメですよね。「アンパンが買えるから」ってお金を食べても、それはアンパンじゃないですからね。
それは「アンパンと交換できる、ただの紙切れ」なのであって、みんなの間に約束があるからアンパンが買えるだけで、お金それ自体では、命を支える何の糧にもなりません。

「無」というのは、自由なのだけれど、自由について言葉で語れば語るほど、自由を閉じ込めてしまうことになってしまう。
言葉には"定義"があります。定義というのは他の言葉と区別するためにあるので、指し示すものに"輪郭"をつけるのですが、「無」には輪郭がない。だからここでは「擬量し得たるや」、推し量れないと言っているわけです。

「当体に直接ぶつかる」という道がないと、仏教は全部"言葉の解釈"になってしまいます。道元さん以前の仏教がそうだったということです。たくさん言葉を知っているのが偉いお坊さんだったわけです。

道元さんが説く学道の用心を聞いているのは、当時の若い学僧たちだったので、その人たちを目の前にして、彼らの先入観を一掃して「そういうのは違うよ!」と強調する必要があったので、学道用心集の言葉はこのようなキツい表現になっていると思います。

これは一般的に説いているのではなくて、道元さんの目の前にいる、これからの日本仏教を背負って立つ人たちに向かって言っているので、今までどおりの仏教で済むのだったら、自分がここにいる用はないわけなので、「そうじゃないよ、今のままではダメだよ!」ということを繰り返し言わざるを得なかったので、こういう表現になっているのです。

現代の僕らと比べて、当時のお坊さん、特に道元さんの下に集まってきていた人というのは、道元さん以前の"旧仏教"の条件づけを受けている人たちだったと思います。

彼らは、今までの仏教に物足りないものを感じたからこそ道元さんのところに来ているわけですから、それこそ"のるかそるか"ですよね。
道元さんの話を聞いて「なんだ、そんなものか」といってそっぽを向かれるか、誤解されて今までどおりの仏教が続いてしまうか…ということですから、「重担をかたにおけるがごとし」、担っている責任を果たさなければという道元さんの思いに、僕らは共感してあげる必要があると思います。

請う試みに手を撤すべし、且く手を撤して看るべし。

ここで「手」というのは、"先入観、思い込み"のことです。

§

2. 問処の道得

身心は如何、行李は如何、生死は如何、仏法は如何、世法は如何、山河大地・人畜家屋、畢竟じて如何。

「身心」というのは、身と心でできている我々のことです。
「私自身はどうなんだ?私の日々の生活はどうなんだ?生死はどうなんだ?世法はどうなんだ?…」と、すべてのことを疑問詞「How」で問うている文章です。

思い込みの手を離して、分かったつもりにならないで、問え!


ということです。

実は、これは質問でもあるし、答えでもあるのです。これを「問処の道得」と言います。

「道」と書いてありますが、これはroadではなくて、道に"う"という送り仮名をつけて「いう」と読むと、これは「言葉で言うこと」を意味します。つまり問処の道得というのは、「問うことで答えを言っている」ということです。

例えば、「恁麼(いんも)」という言葉があります。これは「何?What?」と問う言葉です。漢文で「是恁麼」と書くと、「What is this?」でも、これは「This is what.」という答えなんです。「What is this?」と「This is what.」が同じ表現。禅にはこういう芸当があります。

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例えば、いま僕が手に持っている紙の中には、太陽あり、雨あり、土あり、それから、木を切ってパルプ工場へ運んだトラックの運転手がいる。それらがないと、この一枚の紙は成り立たないからです。そういうことを言い始めたら、「この紙は宇宙全体です」ということも言えなくもない。

◆ 即非の論理
「紙は紙にあらず、これを紙という」。こういうロジックが、「金剛般若経」の中に繰り返されているところがあって、鈴木大拙はこれを「即非の論理」と呼んでいます。

ここでは、「身体は如何」と問うているのですが、これを「身体は如何なり」という答えとして受け止めることもできるのです。

まさに僕らがやっている坐禅も、坐蒲の上に坐っているのは「What am I? 私とは何者か?」と全身で問うていることなのですが、この坐禅が「This is YOU.」と全身で答えているのです。
これは、先ほどの「法転我/我転法」のダイナミズムとパラレルな関係にあるわけです。問いと答えが、いまここで出会っているのです。

この説明を聞いて、騙されてる気がしますか?

§

3. 仏向上

(塾生gさんの質問)
いまのお話を聞いて、当体に出会い続けなければいけない、問い続けなければいけないのだろうなと思うのですが、それを知識にしてしまいがちになってしまう時はどうすれば?

〔一照さんコメント〕
僕らは「そうか、問いと答えがここで出会ってるのか。ふーん…分かった」というのが、ここで道元さんが言っている「手」なのです。だから道元さんは「手を撤すべし、手を離せ!」と言っているのです。
問い続けないと答え続けられないから、一旦答えを得たらそれで終わりではなくて、継続するプロセスなのです。「住すること無く、着すること無く、留まらず、滞らず…」、常に動き続けなければならない。

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「やった!出離した!」と思ったら、また穴にドボンとはまることになってしまうので、出離という営みを継続することの他に出離はないのです。
これを「仏向上」と言います。仏をさらに乗り越えていく。

僕はこの言葉を「仏は、向上なり」と読んで、「仏は常に運動していて、仏を刷新し続けている人」という意味で読みたいと思っています。

いはゆる仏向上事といふは、仏にいたりて、すすみてさらに仏をみるなり。
(『正法眼蔵』「仏向上事」巻)

「身心は如何、行李は如何、生死は如何、仏法は如何、世法は如何、山河大地・人畜家屋、畢竟じて如何。 」
……"とどのつまり、どうなんだ?"という問いを問い続けていくのが、修行です。

坐禅というのは、まさにこの「問うて問い続けること」をやっているのです。これをやらない仏教は、本に書いてある誰かが説いたことを知るだけになってしまって、自分とは関係ないことになってしまいます。
これは誰がやらなければいけないかというと、あなたが問い続けなければいけないのです。誰かが出離した話を聞いて「へぇー、すごいなぁ…」というのではなくて、あなたが出離しなくてはいけないのです。常に自分に引きつけてやっていかなければいけない。

そのことを強調しない仏教…お賽銭をあげて、ご祈祷してもらってというような、あるいは"死んでから後の話"という仏教は、道元さんから見たら「違うよ!」と言わざるを得ないのです。
だから、いま自分の目の前にいる次代を担うようなお坊さんたちには、これまで読んできたような厳しい激烈な言葉でもって説いて、前を向かせて、後ろにバックスライドしないように、キツく言う必要があった。
また、道元さん自身が先頭に立って示さなければならなかったので、頑張り過ぎて早死にしちゃったのかな?…僕も気をつけなきゃなぁーという感じがしています(笑)。

§

4. 修証一等の道行き

参学の人、且く半途にして初めて得たり、全途にして辞すること莫れ。

「道の半ばまで来て初めて、仏道とは何かということが何となくわかってくるものなのだ」ということです。
何をもって「半ば」と言うんでしょうかね?その時までいろいろな"景色"を見てきた上で分かってくるものがあるから、ある程度歩かなければ分からないことがありますよね。

内山興正老師には、

仏道修行について何か言いたいのなら、まず10年くらいは黙って言われたとおりに修行しなさい。

と言われました。それでも「半途」とは言えないでしょうね。
その時に僕は「10年経ったら?」と聞いたら、内山老師は「もう10年。」
「20年ですか?」とまた聞いたら、「それが終わったら、仕上げの10年。」
考えてみたら、僕はもう30年も坐禅やっているのですよね。その次の10年のことは、内山老師には聞かなかったけれど。
老師には、「30年も経ったら、もう後戻りが効かなくなって、それであとは死ぬだけだからいいよ」と言われました。「30年もやったら、もう潰しが効かないだろう?」と。ほんとうにつぶしが効かなくなってしまいました(笑)。あとは、やるしかないですね。

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(塾生hさん、iさんのシェア・質問)
「半途にして初めて得たり」。
"半分の道のり"という言葉が気になって、この文章をピックアップしてきました。
道元さんは「修証一等」ということを言って、「修行とさとりは一つである」と言っているのだとしたら、「半分」というのがそもそもあるのか?という疑問があります。
また、半分のところまで来ないと分からないのだとしたら、そこまでの修行のモチベーションをどう保っていったらいいのでしょうか?

〔一照さんコメント〕
Okay、いかにもお二人が言いそうな質問ですね(笑)。
なかなか良い質問なので、いま聞きながら「どういうふうに言い返そうかな?」と考えていたところです。

◆ 修証一等の道行き
普通の一般的な考え方・イメージは、「修証を両段に分ける」といって、"修行をやっていった先に証がある、修行の道を歩んでいった先のゴールにあるのが、修行の結果としてのさとりである"というモデルです。
このモデルでは、証を得ることが「目的」だから、目的が達成されたら修行は不要なものとなって、道は終わるのです。

道元さんは、このモデルに対して「外道の見(仏教以外の考え方、見解)である」と言っています。

それ修証はひとつにあらずとおもへる、すなはち外道の見なり。仏法には、修証これ一等なり。
(『弁道話』)

仏教以外の考え方に立つ人たちは、修行とその成果としての悟りを、この様なモデルで捉えているということです。

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道元さんの「修証一等」はこういうモデルではなくて、始まりも終わりもなくエンドレスで、「浅い→深い」、あるいは「未熟→熟」というスペクトラムの上を修と証が一体となって動いていきます。この道行きは否定されていないのです。
私がいま立っている「而今」に、修と証が一如となってあります。あたかも渋柿の渋が抜けてだんだん甘くなっていくように、この而今は変化していきます。
なので、修証一等でも"道半ば"ということはあり得ます。

◆ 修行の"景色"
僕自身の修行のことを言っても、30歳代の修行があり、40歳代の修行があって、いま僕は60代の修行をしているわけですが、それぞれに見える景色は全然違います。
「熟している」とか「深まっている」などとはおこがましくて言えませんが、修行の視野は広がったと思います。
若い頃は、「修行とはこれで、これは修行ではない」というように、僕の中の"修行観"は非常に狭いものでした。今は…視野を広げすぎたかなという感じがしてます(笑)。修行と修行でないものとの区別がないような感じがしています。だから、修行は以前よりもっと愉しくなっています。
以前は、修行でないものと思っていたものへ入っていくときに「この敷居を越えてはいけないんじゃないか?」と恐る恐るな感じだったのですが、今は平気で敷居をまたいでいます(笑)。

修行の景色というのは、変化せざるを得ないですよね。身体も生理的に変化していくし、経験も積み重なっていくので。修証一等のモデルは、こういった変化を許していると思います。
"季節の移り変わり"というイメージも持っています。僕の修行は、もうそろそろ秋から冬に入ろうとしているところでしょうね。

§

5. 修行のモチベーション

僕にとっては、安泰寺の先輩とか、内山老師とか、僕の師匠とか、同じ道を歩んでいる人が身近なところにいることが「living example」、実物見本になって、それがモチベーションになります。

それから、修行の道行きに見える景色を書いたものが仏典として残っているわけです。道を行った人が報告して書き残してくれているのです。道元さんが書いたものなどもそうですね。

それから、やっていることそれ自体が次の方向性を示してくれます。
子どもの積み木遊びなどを見ていても、積み木を積んで、壊して、また次に積む時にはちょっと違うかたちになっていたりするでしょう?あれはどこからモチベーションが来るかというと、やっていることの中にモチベーションがあるのです。そういうことを「内発的動機づけ」といいます。

ここに置いてある時計は、僕が蹴飛ばすか何かしないと動かないですよね。
でも、うちのネコちゃんはこの時計みたいには絶対にじっとしてないですよ。お腹が空いたら「ニャー」といって僕のところへ来ますからね。それは「お腹が空いた」というのが動機づけになっているからです。

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修行の面白みを知れば、他から輸入してこなくても自分でやりたくなりますから、大丈夫ですよ。
やりたくないのだったら、それは向いていないというか、必要ないことなのかもしれない。修行は「自分がやりたいからやる」ということがないと、続かないですよね。そうでなかったら、やめたほうがいいかもしれない。他の道があなたにとっての道だということで。

もちろん僕は万人に坐禅を勧めるのですが、一人ひとりは自分の選択をしていくべきだと思います。坐禅を勧めることは続けていきますけど、坐禅は強制したらダメですね。それを選ぶかどうかは、その人に余地を残しておく必要があると思います。

お釈迦様も、「薬があることは教えるけど、それを飲むか飲まないかはあなた次第」というような表現で言っています。無理やり口を開けて「飲め!」ということはしない。あまりにアグレッシブな布教というのは、ブッダのアプローチではないと思いますね。僕もそういうやり方はあまりしたくないし、そう言われたら敬遠してしまいますね。「やりたくなるまで待ってください」と言うと思います。

僕はよその家の戸口に立って「坐禅しませんか?」と言ったことはないですけどね(笑)。僕が茅山荘で坐禅会を始めた時は、門のところに「坐禅会やってます。経験不問、やる気のある人だけ来てください」と書いて貼り出して、「誰も来なくてもいいや」と思ってやってました。
3.11、東日本大震災の時には、誰も来ないだろうと思っていたら、「こんな時には坐禅でもしないと落ち着かなくて…」とか言って、たくさんの人がやって来て、「ご苦労様なことで」と思ったくらいでした。

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6. 雲心波心

(塾生jさんのシェア)
「神丹以東の諸国、文字の教網、海に布き山に徧し。山に徧しと雖も雲の心なく、海に布くと雖も波の心を枯らす。」
ここで「雲の心、波の心」というのが、それまでのところと表現が違っていて、「気取った言い方してんじゃねぇよ」ではないですが(笑)、その表現の違いが気になってここを選んできました。

〔一照さんコメント〕
道元さんは教養があふれているので、ついつい美文になっちゃうんですよ(笑)。
生きている山というのは、雲を生み出すし、生きている海は波を生み出すのですが、「文字の教網(文字で示された仏教の教義)」というのは、こういった生き生きとしたダイナミズムがない…ということを、こういう美文調というか、格調高い表現で言っているのですね。

「仏の教えは文字でもって海にも山にも遍く示されて行き渡っているのだけれど、そこには行履がない、修行がないから、海も山も死んだようになっている」

…ということの喩えとして言っているのだと思います。
波のない海なんて、退屈じゃないですか?ほんとうの生き生きした海には、波という動きがある。それが生き生きとした修行生活、行履であるということを、雲や波に象徴させているのだと思います。

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7. 僕が届けます!

(塾生gさんのシェア・質問)
「然りと雖も、神丹の一国は、已に仏の正法に帰す。我が朝、高麗等、仏の正法未だ弘通せず。何すれぞ、何すれぞ。高麗国、猶お正法の名を聞く、わが朝未だ嘗て聞くことを得ず。」
…ここで道元さんは「中国には仏の正法はあるけど、日本にはないよね」と言っているのは、どういうことでしょうか?
なぜ日本には、仏の正法が届かなかったのでしょうか?

〔一照さんコメント〕
これは、時間的経緯でしょうね。
でも、この裏には「安心してください、日本には僕が仏の正法を届けますから!」という道元さんの決意があるでしょうね。

現代のように、インターネットで一瞬で伝わるというようなものではなくて、当時は人が命懸けで経典を持ち帰ったり、人が実際にそこへ行って法を説いたり修行を指導したりして、仏法は伝わっていったのでした。
仏教が東にだんだん伝わっていくことを「仏教東漸」と言います。

日本にとっては、仏教は常に「輸入宗教」だったので、祖師方はみんな日本の外へ学びに行って、持って帰ってきている。
鎌倉仏教に至って初めて、日本的な仏教が成立したわけですが、仏教が日本に初めて伝わって以来700年くらいかかって、貴族社会から武家社会に変わる激動の鎌倉時代になって、それまでの蓄積が熟成したものが独自の仏教として実を結んだ…というようなことなのです。

§

8. Lifeの3つのレイヤー

参学の人、且く半途にして初めて得たり、全途にして辞すること莫れ。

用心の第八の最後の部分については先ほどもお話しましたが、少し付け加えることがありますのでお話します。

道元さんの立場は「修証一等(一如)」なので、浅いレベルでの修証と、深まった修証とでは、宗教的価値としてはなんの違いもないのです。

仏法には、修証これ一等なり。
いまも証上の修なるゆえに、初心の弁道すなはち本証の全体なり。
(『弁道話』)


『華厳経』にも、こういう言葉があります。

初め心を発するの時、便ち正覚を成ず。所有の慧身、他に由って悟らず。清浄妙法身、湛然にして一切に応ず。
(『華厳経』梵行品)

全く初めての、ビギナーズ・マインドで行じた「足は右から出すんだっけ?左からだっけ?」「法界定印はどっちの手が上だっけ?」というようなレベルの坐禅であっても、あるいは、澤木興道老師のように30年40年と坐禅一筋にやってきた人の坐禅も、宗教的価値としては等しくさとりがそこに表れているということです。
それはなぜかというと「次元が違うから」と言えるかもしれません。

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先日、某企業が主催する有識者会議というところに参加してきたのですが、その会議のテーマは「Life」でした。
そこで僕は、

「Lifeには、3つの層(レイヤー)がある」


ということを話しました。

① 生活
② 人生
③ いのち

この3つは、英語で言うとどれも「Life」なのです。

①は、僕らの日常の生活のことです。どんな服を着て、何を食べて、どんな家に住んで…というような。あるいは「明日からの生活をどうしたらいいのか」という時の"生活"は、このレイヤーにあります。普通、僕らの視線はこのレベルのライフに向けられていますね。

僕の親たちにとっては、これがいちばんの関心事だったでしょうね。
昭和一ケタ世代で、青春時代を戦争でめちゃくちゃにされて、青春時代のあとは特攻隊に召集されてもうないということを覚悟したような、米軍がやって来て日本は蹂躙されて…ということをリアリティをもって感じていた世代です。

ところが実際にはそういうことは起こらなくて、戦争が終わったら「みなさん、今からは自由に生きてください」と言われて、それまでと価値観がガラッと変わってしまった戦後の時代になって、この人たちはまずは「どうやって食っていくか」ということを考えなければならなかった。
職業選択の自由だとか「自分は何がやりたいか」とかいうことではなくて、とにかく雇ってくれるところへ行って働くしかなかった。
こういうことも「Life」なのです。
そういう父親は、高校を卒業するかしないかの頃に予科練に入ったので、大学を出た人にどんどん追い抜かれるという経験をした人でした。なので、僕に対しては「必ず大学に行って、できたら大蔵省に入れ」と言っていました。大蔵省に就職することが、父親にとっての"①のライフの理想像"だったのですね。
一方、母親は看護師をしていたので、僕には「医者になれ」と言っていました。
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僕はというと、そういうふうには考えられない。大蔵省でも医者でもいいのだけれど、「何でそれをするのか?」という"人生の意味"を考えていたんですよ。①のレベルでのライフにまったく関心がなかったわけではないのですが、「そもそも、何で生きなきゃいけないのか?」という具合に、②の層のライフに目が向いていたのです。
そういうことは父親からすると「( ゚Д゚)ハァ?」みたいなことですね(笑)。「わしらの若い頃は、そんなことは考えたこともなかった」と。
これも「Life」なのです。


内山興正老師は、こういう言い方で表現していました。

豊かな生活、貧しい人生。
貧しい生活、豊かな人生。

「出家者たるもの、目指すべきは"貧しい生活、豊かな人生"だ」と。
ブッダの衣食住なんて、最低じゃないですか。「三衣一鉢(さんねいっぱつ)」といって、たった3種類の衣と、施しを受けるための鉢が一つだけというのがブッダの私物で、住に関しては野宿ですからね。それでもブッダは豊かな人生を生きた。

僕自身は「豊かな生活、豊かな人生」がいちばん良いと思いますけどね。今の時代ならそれが可能ですから。
この塾に集まってきている皆さんは、ちゃんと服を着てきているし、くさい臭いもしないしヒゲもボーボーしてないから、ちゃんとした生活をしているわけでしょ?しかも、こんな仏教塾みたいなところへやって来て、人生の意味とか考えているのだから、①のライフも②のライフも、両方を豊かにしているわけなので、これはすごいことですよ。

ところが、内山老師には悪いけど、Lifeには第3の層があるのではないか。

§

9. somebody's life, nobody's life

ライフの①と②の層には、「私の生活」とか「私の人生」というように「私の」があるのですが、「いのち」というライフの第3の層には「私の」はないんです。

①や②のライフでは「somebody(何者か、ひとかどの人物)」になることが目的だったり、somebodyになることでライフが豊かになるのですが、③のライフは「nobody(とるに足らない人物、何者でもないただの人)」なんですね。
僕はその会議で、

「この会議の趣旨には"肩書きとか一切関係なく、フランクに話し合いましょう"と書いてあって、ここはnobodyの集まりのはずです。
nobodyになる方法を知ってますか?それが坐禅です

という話をしました。

「半途にして初めて得たり」、道半ばの初心の弁道と、深まって熟しきったような修行者の坐禅があるわけですが、somebodyのレベルではその味わいなどには違いがあるのですが、nobodyのところでは違いはまったくない。個人がその坐禅をどう味わうかというところよりもっと深いところから坐禅を見なければいけないということです。

道半ばの坐禅はどう見てもお粗末なものですよ、考え事に耽っていたり、居眠りしたり、"足が痛いなー"とか言ってるだろうし、一方、30年選手の坐禅はシーンと静まり返っているようなものかもしれないけど、somebodyのレベルで見たら、30年選手の坐禅の方が優れていて、初心の弁道は劣っているということになってしまう。

しかし「いのち」というLifeの第3のレイヤーでは、そういう違いはなくて、初心の弁道の頃には考え事とか足の痛さというかたちで「いのち」がはたらいていたし、30年後の坐禅では静けさというかたちで「いのち」が表現されていた…その「表われ」という点においては同じなので、初心者の坐禅でも道の完成、10年目の坐禅でも道の完成、30年目の坐禅でも道の完成…ということが成り立つためには、③のレイヤーのライフへの眼差しが大事になってくるのではないかと思います。

「いのち」というライフの第3層をどうやって言葉で捉えるか。その言葉に導かれて、この第3のライフを会得する、「いのちに開眼する」必要があります。「生死一如、生死を超える」ということは、この層で起こることなので、①や②のレベルで生死を超えようとしても無理なのですね。

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この考え方は、①や②のレベル、生活や人生のことを無視しているわけではありません。しかし、「いのちの上に乗せる」ということが大事です。
somebodyとしての生活や人生は、老いて衰えて、いつか必ず手放していかなければならないものです。これだけだとしたら「何のために生きているのか?」と虚無的にならざるを得ないけど、「いのち」という層から眺めると、ニヒルではなくなってくる。

「いのち」というライフの第3層は「法」の世界
生活とか人生というレベルは「我」の世界

…と呼んだらどうだろうか?と思っています。
これは今回初めて公のところで話したことでしたけど、今回の塾では「法転我/我転法のダイナミズム」ということを考えたので、Lifeをこう考えたらどうかという話をしてみました。

§

10. 御いのち、生命の実物

(塾生kさんの質問)
私たちの生活や人生の源泉としての「いのち」というのは、身体の存在感みたいな感覚ですか?

〔一照さんコメント〕
身体の存在感というのは、①や②の層で感じるものです。
感覚というのは、「いのち」に支えられて起きていることなので、この③の層そのものは、僕らには全く感覚できないところです。だから「無」というしかない。あるいは「如何」とか「恁麼」というしかないのです。

理解して、納得して「あ、分かった!」というアプローチではなく、道元さんにとっては坐禅が、僕らの①や②での活動を一切停止してただ「いのち」が「いのち」しているだけの姿になるというアプローチです。
その姿が「いのち」を問うているし、同時にそれが答えにもなっているということです。坐禅は、①や②を一旦捨象して、そこから「いのち」に帰っていくことであって、「いのち」に帰り着いたことの表現がそのまま坐禅になっているのです。

道元さんも「いのち」という言い方を使っていて、いのちは有難いので頭に「御」をつけて「御いのち」と言っています。

この生死はすなはち仏の御いのちなり。これをいとひすてんとすれば、すなはち仏の御いのちをうしなはんとするなり。これにとどまりて生死に著すれば、これも仏のいのちをうしなふ也。いとふことなく、したふことなき、このときはじめて仏のこころにいる。
(『正法眼蔵』「生死」巻)

内山老師は「生命の実物」と言っています。考えられた生命ではなく、生命の当体です。

その層から①や②を見ると、それらは全部"考えられた生命"、あるいは、意識が捉えることができる範囲内での生命ということになります。
では、当体はどうすればいいのかというと、僕らがその当体なのですから、当体すればいいのです。
ああだこうだと頭を使って、外側に意識を向けている限りは当体にはぶち当たらない。当体は外にないからです。そういうことを止めて…というのが坐禅ですから、坐禅はまさに「いのちの当体が、当体丸出しになっている」ことなのです。
だから、坐禅を僕らの意識で「良かった、悪かった」と評価してもしょうがないことなのです。ただ当体をやるしかない。だから「只管」だというわけです。

それまでのお坊さんが漢文で文章を書いていたことに対して、和文の中に漢文を混ぜて書いていたという道元さん独自の表現方法にならざるを得なかった背景には、こういうことを道元さん以前には誰もこういうロジックで説いていなかったという事情があったのではないかと思います。

§

11. 帰命 - いのちに南無する

(塾生cさんの質問)
私自身、普段は「初心か熟練か」とか「浅いか深いか」という世界に生きていて、なかなかそこから離れられないのですが、一方、そういうことがなくなる瞬間があります。具体的には、人の話を一生懸命聞いている時なのですが、その中のある瞬間に、初心者であるとか、浅いとか深いとかいうことが自分から一切脱落していると感じる瞬間があります。
その瞬間というのが、「いのちがいのちしている」瞬間なのでしょうか?

〔一照さんコメント〕

……それで?

……そういうふうに思うと、それが何なの?

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いま、ちょっと意味がとれないような応答をしたのは、「そういう体験をした私は偉い!」とあなたが思ったからかなぁ、と思ったので。
あるいは、「そういう体験を得たあなたは、喜んでいる」?

もしそういう言い方で「その瞬間」のことを表現するのだったら、それ自体が、Lifeの①や②のレイヤーに重心が置かれているということだと思いますよ。しかし、僕らがsomebodyとして生きている限り、それはしょうがないことだと思います。無意識のsubtleな(微細な)レベルの出来事ですら、僕というsomebodyを基準にして評価せざるを得ないんですよ。
それとはまったく違う次元のところに眼差しを向けないと、澤木興道老師の言い方を借りると、「御いのちを手籠めにしてしまう」ことになってしまうんですよ。

「いのち」という、Lifeの第3層へは、僕らからはまったくリーチすることができない。僕らにできるのは、そこにあるであろう、僕らからは姿も形も見えない、何の手がかりもないものへ「伏して拝む」ことしかない。
例えば、阿弥陀さまというのは、いろいろな仏像が作られているけど、ほんとうの阿弥陀さまは、姿も形もまったくないんですよ。
「いのち」は徹底的に無相の世界なので、いまあなたが言った「自分が消えてなくなる感じ」というのも、まだ"そういう感じという有相"だと思います。

「いのち」は無相であって、だからこそあらゆる形をとって自由自在に働いているし、止まることなくはたらきづめにはたらいているのです。有相というのは姿形という輪郭があるので、不自由なんですよ。
「感じた」とあなたが言う出来事も、それは当体そのものではなくて、僕らが「感じること」というのは、すべて当体ではなく、「当体の影が映った」だけのことだと思いますよ。

(塾生gさんのコメント)
いまの方のお話とは逆の経験なのですが、私は人の話を聞いている時に、その人のことがすごく嫌いで、私と価値観が違うのですごく腹が立つ、でも話は一生懸命聞かないといけない…というシチュエーションで、どうしてもその人のことを肯定的にとらえないといけないと思った時に「この人にもいのちがあるんだ」と思えると、何とか肯定的に見ることができます。
この時に、その人の私の価値観の違いというレベルを超えたところで関わっている感覚があるのは、「いのち」に近づいていると思ってもいいのですか?

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〔一照さんコメント〕
やっぱりその場合もね、Lifeの①や②のレベルでのコミュニケーション・スキルの問題ではないですか?
ここで「いのち」と呼んでいる、Lifeの第3のレイヤーというのは、ある意味で人間生活とはまったく関係がない世界で、僕らの暮らしや人生とは、断絶しているといえば断絶している層なのです。

ライフの3つの層の相互関係を言い表すのは難しくて…例えば、こういうふうに言っている人がいます。

(1) 不可同:僕らの暮らしや人生と「いのち」は、同じにできない。はっきりと断絶している。
(2) 不可分:かといって、分けることはできない。
(3) 不可逆:「いのち」がなかったら僕らの生活も人生も成り立たない…という関係を逆転させることはできない。「いのち」と生活・人生は「元と末」の関係。

僕らができることは、「元」に礼拝することしかない。この元というのを「神」といったり「仏」といったりする。そういうものは僕らから見ると姿も形もなにもなくて、僕らからは手がかりがまったくない、しかし、手がかりがまったくないことにおいて今ここに生き生きとはたらいているようなものに向かって、伏し拝むことしかできないのです。

僕は、親鸞さんや道元さんにこのことを教わったと思っています。
①や②の層から「いのち」に向かっては、頭で考えて理屈をつけたりできない。ただ受け取るだけです。それが坐禅であり、念仏であると思います。
僕らの①や②のLifeから、「いのち」の方向へ向かって伏し拝むことを「南無」と言います。

安泰寺の本堂の入口のところには、内山興正老師が書いた「帰命」という額がかかっています。帰命というのは、サンスクリット語で「帰依する」という意味の「namas」を音写した「南無」という言葉の意味を取った漢訳語です。

これが、仏教においての最終的な宗教的行為です。その相(すがた)に念仏があり、坐禅があるということである、というのが僕の理解です。

親鸞さんも道元さんも、①や②のレベルでうまくやっていくためとか、僕が何かを体験するためではない、そういうのとはまったく違う発想で念仏や坐禅を考えておられるのです。

禅における坐禅と、浄土教における念仏は、仏教の流れとしては異なるものですが、

「いのち」というあり方を洞察して、その上で我々にできることは「南無すること」しかない

…という同じ構造の上に成り立っているものだと考えています。

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……このあと、学習ノート⑤に続きます。


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