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最終回 報いの時

写真は、北条義時のお墓と言われている法華堂跡です
昔は頼朝のお墓のちょっと奥の方から登れば、法華堂跡に行かれたのですが
今年、数年ぶりに行ったらロープが張られていました
1度、頼朝のお墓に続く階段を降りて、頼朝のお墓正面に観て右手に
ほんの少し進み、また階段を登り法華堂跡に行くことになります

とうとう、第48回15分延長で最終回を迎えた「鎌倉殿の13人」
1年間、こちらにもお付き合い頂きありがとうございました
くじけそうになるとメッセージを下さった方にも心から感謝いたします

さて、オープニング冒頭は「蝉の声」から始まりました
この寒い時に「蝉の声!」と正直にイラっとしちゃいましたが、
来年から始まる「どうする家康」にバトンタッチを宣言するようでした
あぁ~本当に終わるんだぁ~なんて実感も起きてしまいましたが・・・
でも、こうゆうサプライズ大好きです
ネット情報ではありますが、発案したのは小栗旬だったそうです

この1年、ここまで真面目に交流分析の視点で大河ドラマを観たことはなく、今期、初めての試みではありましたが、
ずーっと感じていたことがあります
まず、この現場の雰囲気を作り上げた小栗旬の人間性
そして、その現場を提供した三谷幸喜という脚本家です
脚本家が書かないと、この現場は生まれません
それが、たまたま「鎌倉殿の13人」だったということだと思います

今回の大河ドラマは、同じNHKの番組で撮影される工程をちょっとづつ
番組枠として放送してました
例えば「100カメ」での富士の裾野で撮影された「狩りと獲物」の
撮影シーンの放送
現場の緊迫感や天候に左右されるスケジュールの虚しさも感じましたが、
それ以上にオンとオフがはっきりして、オフが生産性のある楽しそうに
自由な発想的発言が許されているような雰囲気を感じました
しかしながら、オンの時の集中力のすごさは見習いたい・・・w

そして「三谷幸喜の言葉」~「鎌倉殿の13人」の作り方~
最終回の前日に放映されたものですが、
三谷幸喜の言葉で鎌倉殿の13人の脚本に対してを語ってました

北条時政のイメージについて
三谷「僕のそのぉ~、時政像というのは、自分なりに吾妻鏡を
読んだりしていくと、どうしてもなんか策士であるとか権力の権化みたいね
そんなイメージがあの中から読み取れなくて、素朴な田舎のおじさんが、
たまたま、自分の娘婿が源頼朝であったがために数奇な人生を歩んでいく?
なんか、そんなイメージがありましたね」
と語っています
ここって、とても大事なことだと感じるのです
三谷幸喜は、世間で言われている固定観念ではなく自分の感じたことに
気づき、「最低だけど憎めない田舎のおっさんにしたいのですが。」
と、想定していました
キャストが決まり「この人が権力を持った時にどうなっていくんだろう?
最初のそのこのおちゃめな感じがなくなっていくんだろうか?それはもう、
見切り発車で始まったところで始まった」と語り、
「板東彌十郎さんの時政を観ていると、何の問題もなくそれが解決した。」
彌十郎さんのお陰ですねと感謝の意を表してました

気づきから、自発的にイメージを作り、板東彌十郎を信じてみる
そのような流れになったのではないかと推測します
交流分析を学ぶ目的は
①気づき
②自発的であること
③親密になること
と、されています
三谷幸喜は、学ばなくても(ここ、事実はしりませんw)
体得して目的を達成していたことがわかります

実は、この「気づき」が非常に大事なのです
人は基本的に過去の経験から「今、ここ」の行動を決断することがあります
決して、間違っているわけではありません
そんなことと思われるかもしれませんが、
なぜ、基本的に日本人は玄関で靴を脱ぐのでしょうか?
そんなことを考えて生きてる人っていないと思いますが、
私が、3.11のボランティアに参加した時に津波に襲われた家に上がらせて頂いた時がありました
当然ながらきれいな状態ではなく、靴を履いたまま家に上がらざる
得ないことは、見れば頭ではわかっているのですよ
しかし、私の気持ちがついていかない
「わかっちゃいるけど辞められない」と言う感じでしょうか?

この違和感に気づき、しばらく答えは出せないでいました
出さなくても困らないし、他者にも迷惑をかけることでもないので、
後回ししている自分にも気がついていました

数年たって訪問介護の仕事をしている時に、
お着替えをお手伝いさせて頂いていた方が私の時だけ嫌がるんですよ
痛くもかゆくもないのですが、叩かれたりつねられたりしたんですよ
しかし、先輩が着替えをさせるとすんなりできるんですよ
そんなに、私が嫌われてるのか?
そんな風に考えられたら楽だったと思うのですが、
残念ながら完全に認知症の方だったので、好きとか嫌いと感じることが
できるかどうか?は大きな疑問があったのです
そこで、先輩が着替えさせている所を観察していると、
はぁ~なんで?
と、思うことが1点あったのです

あなたは、Tシャツをどのように着ますか?

私は、この時まで頭から着るもの・・・それが当たり前でしょう?
それ以外はないでしょう?
そのように決めつけていました
しかし、先輩は、腕から着始める方法をとったのですよ
そして、相手もその着かたが当たり前で馴れ親しんできている
ものだったのでしょう。

そのことに気がついた私は次に腕から着替えをしてみました
叩かれることもなく、つねられることもありませんでした
(ただし、腕からいれることで短時間、
腕を動かすことができないからかもしれないけど・・・)

つまり、自分の当たり前は絶対ではなく、良いも悪くも過去の
経験を基にして行動を起こさないと違和感を感じるのですよ
私が3.11の時に人さまのお宅を靴で入る時に違和感を感じたのも、
靴で家に入ることを良しとされない経験をしてきたからなのですね

普通のことですが絶対ではないということを経験してきてなかったのです

コロナ禍において、今までの普通ができなくなり、
ちょっと冷静になり始め「絶対ではなかった」と
感じることが多かったこの年に
三谷幸喜の脚本による「鎌倉殿の13人」は、
普通が絶対ではないことを考え直す良い機会だったのではないでしょうか?

義時最後の戦は、承久の乱です
自ら戦陣に立つことが出来ず、息子の泰時の無事を祈ることしか
できないもどかしさもあったのでしょう
しかし「官軍と戦う賊軍」そして「初めて朝廷を裁くこと」になる
今までに経験したことがない出来事を覆して、
150年に渡る鎌倉幕府の基礎を固めたのです

そして、私は、ですが1番大事にしたいことを再確認したドラマでした
鎌倉殿の13人の最終的なテーマって「親子」「兄弟」「姉妹」「夫婦」
つまり「家族」だと思うのです
1番、一緒にいるのにイライラしてしまうことが多いかもしれませんが、
1番、無防備に一緒にいることが多いからなのですよね
素になれるからこそでる、甘えの心理が働くのでしょうが・・・
でも、1番甘えられる相手ならば特に言葉や態度で相手に感謝や
楽しい時間を共有することの必要性も感じました

結果を知っていることを1年かけて作り上げていったスタッフ
そして、結果を知っているのに見続ける視聴者
さらに、この投稿を読み続けてくださった皆さまに改めて
お礼申し上げます
48回、お付き合い頂きありがとうございました



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