第39話 とだえぬ絆
中宮彰子が年子の皇子を出産
敦成(あつひら)親王
敦良(あつなが)親王
祝宴と行事が続き、こんな中で産後に休めるのだろうか?
なんて、本気で思ってしまいました
私が想像している家の広さではないのですよねw
そこに、成長した賢子は、超絶反抗期の中で「裳着の儀」
まひろの「裳着の儀」の時も「父親と目も合わせなくて」と
弟の惟規と穏やかに昔はなしをしてくれたおかげで思い出しました
まひろと一緒じゃない?やっぱり親子なんだなぁ~なんて・・・
まぁ~多分、反抗期の時期に「裳着の儀」があったのかしら?
ついでに、「鎌倉殿の13人」で源頼朝と北条政子の第一子の
大姫のことも思い出してしまいました
さらに、成長著しい敦康親王にちょっと驚いたw
次世代が生まれ、育っていく中で敦康親王の叔父にあたる、
藤原伊周が死去「36年の生涯を閉じた」とナレーションが入りました
最後まで道長を恨んでましたねぇ~
訃報を聞いた一条天皇は「伊周は、朕を恨んでおろうな」自分を責めて
病に倒れる、ちょっと手前?
人は、自分で自分を責める心のクセと相手を責めるクセと
自分も相手も責めて絶望感しか湧かなくなる心のクセを
行ったり来たりゆらぐのが当たり前です
しかし、一所にとどまってしまうと、いつも自分で自分を責めてばかりの
一条天皇になってしまうし、いつも相手を責めてばかりいると
藤原伊周のように呪詛するほどになってしまうかもしれません
できることなら「いろいろあるけど、お互い様ね」と思い合える関係が
いいですよね
なかなか、難しいのですが・・・
さて、今回はいつもと同じでわかっていたけれど・・・の
ショック大きい版でしょうか?
藤原惟規が死去
いつも、天真爛漫でまひろと父親の藤原為時の仲を取り持ったり、
軽快なまひろとのやりとりをおもしろかったのですが、残念
辞世の句は、
都にも恋ひしき人の多かれば
なほこのたびは いかむとぞ思ふ
惟規は、最後の「ふ」の字を書くことが出来ずに息絶えてしまったため、
為時が付け足したとも伝えられているそうです
どんな思いで父親の為時は「ふ」を書き足したのかと思うと
胸が痛くなります
惟規の訃報を聞いた家族は、号泣となり、
号泣している母親のまひろを見た賢子は寄り添って慰めるていた
不思議なものですね
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