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朝食のおしゃべりと自由なサラダ

朝食は、目玉焼き、ベーコンとサラダ、トーストとコーヒー。そこに、小さいグラスのジュースとヨーグルトをつけたり、つかなかったり。あとは、恋人のお母さんと私がつくった自家製ジャムを並べる。もともとは恋人の定番の朝食だったけど、北海道と関西でお互い滞在しあううちに、いつしか私も同じものを食べるようになった。

役割分担は、どちらか早くキッチンに入ったほうが、コーヒーをセット、パンと目玉焼き、ベーコンは、彼が焼いて、私がサラダをつくる。彼はレタスのサラダが定番だったみたいだけど、私は、冷蔵庫にある野菜や果物で、日々いろいろなサラダをつくる。この日のサラダは、小松菜と玉ねぎを、とろとろになった柿でつくったドレッシングであえて、白ゴマをふった。毎朝、決まったものが並ぶ朝の食卓の中で、日々変化する一品。これは美味しい!となるときもあれば、まあまあかな、というときもある。このサラダは、まあまあ、かな。

この日は、なぜか、彼が二十歳前後のときにやっていたという、実験的なサウンドパフォーマンスのことを聞きたくなって、それが食卓の話題になった。ツイスターのマットを上手い具合に巻いて抱きしめて自動演奏するとか、観客の中で一番かわいい女の子をステージに呼んで、顔中にイヤホンを貼りつけて、皮膚から音楽を聴いてもらう、とか、清々しいほどに屈託なく自由。同じ頃に自分が自由と認識していたことは、朝までクラブで踊るとか、親に内緒でひとりで海外旅行に行くとかだったなあと思うと、なんだかんだ言って、自由の枠が狭かったんだなあと思う。当時、実験的な映画なんかは結構たくさん観て面白がっていたけど、それは受容するものであって、自分がすることとは、全然結びついていなかった。こんなことやったら面白いんじゃない?ということを、素直にやってみるって、気持ちよかっただろうなと、羨ましくなる。

じゃあ、そんな自由をいつ私は体験しただろう、と思い返してみて、あらためて気づいた。そう、料理だ。私がちゃんと料理をするようになったのは、浦河で1年暮らした40歳前後からだから、結構遅いけど。こうやって食べたら美味しいんじゃない?これとこれを組み合わせたら美味しいんじゃない?と思いついて、つくってみて、食べる、食べてもらう。この年になって、そんな自由を毎朝味わえるようになったとしたら、年を重ねるのも悪くないなと思う。

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