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白露|2023.9.8-2023.9.22

日々の食卓、食卓での会話、食材やレストラン、食に関する本や映画、イベントなど、食にまつわることだけ書く日記のような「食雑記」。節気毎に更新。

9月8日(金) その土地を象徴する料理

netflix『シェフのテーブル』、今日はインド料理のガガン・アナンドと、イタリア料理のマッシモ・ボットゥーラの2本立てで観る。

インド人シェフのガガンは、エル・ブリのフェラン・アドリアがスペインの食文化において重要なオリーブオイルを液状球体にしていることから、インド料理では何がそれに値するのかと考えて、ヨーグルトを使っていたのが、面白かった。インドの食文化にとって、ヨーグルトがそこまで重要な食材だなんて考えたこともなかった。というか、インド料理のことなんて、ほとんど何も知らないと言っていい。彼は世界の人がカレーとナンなんて、インド料理のほんの一部に過ぎないと言っていて、それは確かにそうなんだろうなと思う。バンコクにある彼のレストラン、25品で5時間半というレポートをみつけて、その饒舌な食卓に驚くが、いつか行ってみたい。

GAGAN ANAND
https://gaggananand.com/

イタリア人シェフのマッシモ・ボットゥーラのことは、ミラノ万博の時に、フードロスの食材で、世界の有名シェフたちが、ホームレスの人たちに無償で料理を提供し、そこで若手の料理人が学ぶという「レフェットリオ(教会の食堂の意)」というプロジェクトを立ち上げたシェフとして知った。イタリアのクチーナ・ポーヴェラ(あるものを生かす知恵と手間の料理)の精神、ここにあり、と感激した。彼は2012年、地元であるモデナの地震の際に、落ちて割れたことで正規に出荷できなくなったパルミジャーノ・レッジャーノを「リゾ・カチョ・エ・ペペ(チーズと胡椒のリゾット)」というレシピとともに世界に送り出し、土地の復興を支えた。彼がつくる料理の中で一番食べてみたいと思ったのは、熟成期間の異なる5種のパルミジャーノ・レッジャーノだけで構成されるという一皿。その土地を代表する食材というものを、ただそれを食べるだけでは味わいきれないもの、その食材を育んでいく時間自体を食べさせるような料理なんだろうと想像する。ああ、いつか食べてみたい。

ガガン・アナンドのヨーグルト・ボールも、マッシモ・ボットゥーラのパルミジャーノ・レッジャーノの一皿も、実は食材の旬が関係ない料理で、1年を通して食卓の上に載せることができる。土地土地でそういう料理をひとつつくれるといいよなあと、夢想する。

9月9日(土) 白露の買い出し

ふたりとも身体がしんどいけれども、野菜類がないので、久しぶりのスマイル阪神へ。旬島の左が茄子、右がオクラや金時草などネバネバ野菜など。その後ろに無花果が2島。全然ものがない。端境期だ。酢橘にライムなど柑橘の登場に心躍るが、柑橘では腹は満たせない。ライムを買ったので、なんとなくアボカドも買う。産直補足品として、なぜかアボカドを売っているのだ。4つで350円なので結構安い。
今年は小玉西瓜を一度を買うことができないまま、夏が終わってしまった。前回、店員さんに聞いてみたら、小玉西瓜の大部分を閉めていた農家さんの西瓜が、全部猪にやられてしまったとのことだった。農家さん、気の毒すぎる。

9月10日(日) 久保田のアイス

高熱で喉が痛いときでも食べられたもの、思い出したので忘れずに書いておく。久保田のアイス!ふだんから気に入って食べているセブンイレブンのシュガーコーンは、味のくどさとコーンの硬さで食べる気にならなかった。キセラ川西のオアシスで少しだけ扱っているのを思い出して、病院の帰りに買って帰った。
久保田のアイスは、神楽坂で暮らしているときに、近所のキムラヤというスーパーで扱っていて、東京の夏を生き延びさせてくれたもののひとつ。すっときれいに溶けて、何も残らない。余計なものが何も入っていない味。お気に入りは苺ミルクとバナナ。でも、どれ食べても美味しい。届くまでちょっと時間がかかるから微妙だけど、寝込んでいる人に届けてあげたいもののひとつ。

9月12日(火) ツバスのスパイシーブルグル

恋人が仕事が詰まっていると言うので、ひとりで夕食担当。釣り好きの友人からもらって冷凍しておいたツバス(ブリの幼魚)をゴロゴロいれて、スパイシーなブルグルを炊く。ブリは子どもも大人もスパイスと合う。シチリアのグリッロを飲みながら料理をしていたら、なんだか調子が出てきて、梅干し着けたときの赤紫蘇でつくったゆかり(恋人がやった)をスマック代わりにして白インゲン豆のサラダ、ニンジンを柔らかく茹でて、トマトペーストとクミンやシナモンで和えた、モロッコ風のニンジンマリネもつくる。ひとりで自由に料理をつくる楽しさを久しぶりに味わう。

9月14日(木) テーマは食文化、では問題(Issue)は?

食文化というものが、自分にとって重要なテーマになってから、気づいたら10年たっていた。昔から、知的好奇心が旺盛で、新しい知識や情報に触れるのが、楽しくてたまらないので、この10年の間、目について、少しでもひかれたものは、片っ端からかじってきた。砂場の砂はずいぶん増えたと思う。でも、砂場は相変わらず平らなまま。10年たっても、自分でも持て余すほどの関心や興味が、一体どこで何が震えて生まれているのかわからない。わかっていないのだ、というとことが最近わかって、じゃあどうしたらいいんだろう、と思ったときに、たまたまこの本を見つけた。読んで、ひとつ自覚したのは、私にとって食文化はテーマであるけれど、問題(Issue)ではないのだ、ということ。自分の核にある問題を明確に意識できなければ、砂を集めても何も形づくれない。では、私にとって、何が「問題」なんだろう。この本をガイドになんとか掘り出したい。

9月16日(土) 3days 9events トーク「植物や動物といること」

寺田町のNESTというスペースに「植物や動物といること」と題された、トークイベントを聞きに行く。私にとって食文化とは、人間が植物や動物を食べるという振る舞い、という認識でもあるので、タイトルに反応したのだ。元山羊研究家の塚原正也さんと、海洋学、園芸学を経て、バイオアーティストの第一人者となった銅金裕司さんがゲスト。塚原さんの視点からの牛やら鹿やら山羊の話が、ちょっと並行世界に触れるような面白さがあって、ああ、私に圧倒的に今足りてないのは、人間世界以外の場所に行って、想像の及ばない体験をすることだ、と感じた。トークは塚原さんの話が中心で進行していったけれど、最後に銅金さんが「私たちにできることは、動物であれ、植物であれ、相手に目を合わせ、同じ表情を返すことでしかない」という話で締めくくった。人間同士だって、結局のところ、目を合わすことくらいしか、相手のためにできることなどないのかも知れない。相手と目を合わすということと、相手を食べるというところは、私の中ではまだうまくつながっていないけれど、空間が広がって、息がしやすくなるような、いい時間だった。

9月17日(日)  レシピの選び方

夕食に、私が麻婆茄子をつくる。昼のタイミングで食材を確認して、麻婆茄子と麻婆豆腐かなという話になり、そのままにしておくと、麻婆豆腐マンである恋人が自動的に動き出してしまうので、私が麻婆茄子をつくると宣言する。ほとんどつくることのない麻婆茄子だけど、みつけたレシピでつくったのが、ものすごく美味しかった。そこから、レシピの選び方の話題になる。

まず、普段のご飯で、今ある食材をベースに、普段つくらないものをつくるときには、基本はdancyuか、みんなのきょうの料理のレシピを探す。dancyuのレシピは、やはり美味しさが第一優先になっている。美味しさのためならちょっとした手間は省略しないというポリシーがありそう。調味料の種類とかは多いけれど、我が家は結構揃っているので、いけるというのもある。たまに、びっくりするくらいシンプルなレシピが乗っていたりするけど、確実に美味しい(大庭英子さんのレシピ)。レシピで編集しているんじゃなくて、そういう料理をつくれる人を選んでるんだなと思う。みんなのきょうの料理は、まあ、個人差はあるけれど、やっぱりチェックがしっかりされている分、強度があるなあと思う。
あと、ちょっと気合いを入れて料理をするとき、例えば、つくったことのない異国料理をつくってみるようなときには、現地に忠実なレシピを探す。これは思いも寄らない場所にあったりするので、私のスーパー検索スキルを駆使して。で、そういうレシピは、ありえない手間だったり、手に入りにくい調味料や食材も入っていたりするので、そこから複数のレシピを見比べていく。いくつかみると、この料理の肝はここだなと何となくわかってくるので、そこはできるだけ守りつつ、手順や食材をちょっとアレンジしていく。そういうアプローチは、本当に楽しい。

9月18日(月) 『栽培植物と農耕の起源』とタコス、『珈琲哲学』

自分の「問題」を探るために、食にまつわる論文をキーワード検索しては見ていくうちに、やはり狩猟採集的な土地と人の関わりに惹かれると気づく。そのことを考えていてふと思い出し、積読になっていた『栽培植物と農耕の起源』を手に取る。パラパラめくると、照葉樹林文化の項があった。照葉樹林文化で、遺産的な栽培植物と言えるのは、茶と絹(桑との組み合わせで)、うるし、柑橘、紫蘇であるとあった。この組み合わせをみて、改めて関西が自分にとってどれだけ異郷であるか、というの実感した。

夕食はタコス。先日、スマイル阪神でライムを見つけて、アボカドを買ったときからずっとタコスにふさわしい日を待っていたけれど、この1週間続いた主催イベントをようやく終えた恋人が、帰りに川西のカルディに寄ってこれると知って、今日がX デーと気づいた。なぜなら、カルディには、トウモロコシ粉のトルティーヤが売っているから。ワカモレをつくり、キャベツを刻み、牛肉を塩胡椒ニンニク強めで炒めておいて、トルティーヤを焼いては、くるんで食べる。もちろん、ライムをギュッと絞り、タバスコ振って。シチリアのグリッロとの相性も最高。タコスというのは、なんだか陽気で軽やかな食べ物で、疲れた身体にとっては、つくるのも、食べるのも、ぴったり。

食後に、インドネシアのここ10年のコーヒー文化発展の起爆剤になったという映画『珈琲哲学』を観る。恋人は映画としては全然面白くないと言ってすぐに寝てしまったが、私はインドネシアとコーヒーについての興味深い資料として、とても面白く観た。インドネシアの伝統的なコーヒーの淹れ方、コーヒー農園からアブラヤシ農園への政策的転換、美味しいコーヒー豆にするための剪定の仕方、父性文化のもとでのそれぞれの父親との葛藤など、マネジャーとバリスタ、ふたりの共同経営者が借金を返すために、究極のコーヒーを追求するというストーリーの中に差し込まれている要素がいちいち面白かった。後で、監督のインタビューを読んだら、ロケに使った店舗は、短期で借りることができなくて、機器も購入せざるをえなかったので、撮影後は、本当にカフェを経営することにしたらしい。ジャカルタに行って、コーヒー飲んでみたくなった。もちろん、間引いて十分に栄養を行き渡らせた豆、その場で鍋で焙煎して潰して、直接お湯を注ぐ淹れ方で。

9月19日(火) 再び白露の買い出しとイワシの梅煮

久しぶりのスマイル阪神買い出し。引き続き、端境期感が強い。盛り上がるのは無花果の島のみ。開店前から並んでいた全員が突進しているのではないかと思う。みんな、かなりの数の無花果を買っている。ジャムにするのだろうか。聞いてみたいものだ。旬島は相変わらず、茄子とオクラ。地味極まりない。でも、今こそ茄子ペーストを大量につくるときなのかもしれない。まあ、とびきり安いというわけでもないのだけど。あとは茄子と無花果は出会いものということに今気づいた。はしりとしては、栗がほんの少しで始めた。あと、オオマサリをつくっている農家さんがいるみたい。ヘチマや冬瓜、白瓜、青瓜など、瓜系が地味だけど、種類があって、ずっと続いていくのは、関西だなあと思う。

スーパーでイワシが7尾250円だったので今日はイワシの日。和食なら梅煮かなと思いながら、一応恋人に聞いてみると、梅煮かねと。一緒に暮らして、日々食卓を囲んでいると、こんなに違うものかと思うことと、こんなに同じなのかと思うことが、交互にやってくる。捌いてみると、ワタにめちゃめちゃ脂があって、ちょっともったいないような気分になるが、今回はあきらめる。いくつかレシピを見比べて、醤油:酒:みりん:砂糖を4:4:2:1にして、自家製梅干し2個と生姜を入れる。甘すぎないのはよかったけど、塩味がちょっと目立つ。我が家の梅干しは昔ながらのしょっぱいやつなので、梅を使う普通のレシピはちょっと調整したほうがいいのかもしれないということに今更気づく。アクセントに使う分には気にならないけど、煮物だとはっきりする。そして、めんどくさがらず魚料理の日を増やしたい。


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