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繊細なお子さんをもつ保護者の皆様へ 【開校記念版】学校に馴染めなかった僕。

この記事は豊中市でフリースクール「自由な学校 ころころ」の立ち上げに向けて、私、荒川自身がこれまでの子どもたちとの対話の中で伝えたかったメッセージを「繊細な気持ちを持つあなたへ」というテーマでブログにさせていただくシリーズです。

が…。

今日、5月15日を持って「自由な学校 ころころ」はコロナ禍にも関わらず開校することにいたしました。そこで今回は記念版として、僕、荒川が少年時代を振り返り、今の保護者の皆様や子どもたちへのメッセージとさせていただきます。

(コロナ禍での感染症対策についてはこちらの記事をご参照ください。)

- 自分はダメな人間だと思い知らされた日々 -
「教室の後ろまで聞こえるように声を出しなさい。」

……。

答えられずにいる僕は真面目だね。しっかりしているねと言われて育ってきた。小学校1年生。ひらがなの読み方で「あ」〜「わ」までを何も見ないで言えるかを試される。

教室の前方。教卓のすぐそばで、小さく、自信のない声で僕は読み上げる。みんなが見ている緊張。叱られるのではないかという怯え。そんなことを感じていた。

そんなこんなで僕は学校という場所が控えめに言って好きではなかった。

小学校2年生のある時、「先生、掛け算ってなんでこうなんですか?」と聞いた時、黒板を消しながら先生は「そういうもんだから覚えなさい。」と一言返すと何処かへ行ってしまった。

胸の中に寂しさと同時に「そんなこともわからない自分がダメなんだ」と知った。

その後も、絵を書いたり、動物の世話をするのが好きなんだけど、ソフトボールチームに入ったり、スイミングスクールに通ったりと、自分が好きなことをやれないことも多かった。なかなかアンビバレントな日々が続いたけれど、それはまた機会があるときに。

僕にとって教室は「正解」がある場所だった。そして、その「正解」を見つけられない自分はダメなやつだと思っていた。ころころではそんな風にしたくはない。色々な考え、価値観、想い、感情があっていい。

それは子どもたちが好き勝手していいということではなくて、子どもたちが自分自身の中にあるものを大切にしながらも他者と関わりを持ち、自由に生きていけるようになることを願ってのことだ。。

つまり、子どもたちの中に起きる全ての感覚に子どもたち自身が居場所を与えること。

そして、それを手伝うのが僕の仕事だと思っている。

==あとがき===

思い出したくない過去のことを「黒歴史」と言ったりしますが、僕にとって高校までの学校生活丸ごと黒歴史かもしれません。もちろん、感謝してないわけじゃないし、友達が全くいなかったわけでもありません。

それでも「ここじゃない何処かへいきたい」とずっと思っていました。

「あの頃の自分がもし、入学してきたとしたら、僕はうまく関われるだろうか?」そんなことを思いながら、誰もいない開校初日を迎えました。これから色々な出会いが待っていることを楽しみにしています。

「自由な学校 ころころ」についてはこちら

「NPO法人 Gift」についてはこちら

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