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自分の人生は自分のものだよ - 3/25 3Kの会開催レポート -

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「将来の夢は?」

きっと一度は聞かれたことがあるだろう。

何になりたいのか?何がやりたいのか?

答えがあるわけではないけど、みんなそれなりのことを答える。

でも、そのことを伝えたり、追いかけたりできる時間にはタイムリミットがある。

中学生まで?高校生まで?20代まで?

30すぎたら結婚しなきゃいけない?40になったら子どもを育てていないとおかしいかな?

前回の3Kの会は「おかんが楽しそうであれ」と題して書かせていただいた。今回も近いメッセージになったけれど、その過程には色々な対話があった。

テーマは「不登校になった。その時、父は。母は。兄弟は。」

毎度切り込んだテーマで開催している。

今回はいつもの昭和3人娘の3Kに加えて、フリースクールここさんから代表の三科さんと副代表の馬場さんにも参加していただき、多少出入りがあったものの全11名でお話をさせていただいた。

待たせる子どもと待っている親

理解できる。でも納得できない。

そんな気持ちは誰でも大なり小なり体験したことがあるだろう。子どもが不登校になった時、数々の心配が頭の中で回り続ける。

勉強は遅れやしないか。将来就職できるのか。そもそも出てきてくれるようになるだろうか。

「ダンスが好きで、久しぶりにやりたいことを言い出したんです。ダンススクールに行きたいって」

お子さんが不登校になって2年ほどのある方がこうおっしゃっていた。

「ダンススクールに行くようになってから笑顔が増えたんです。何より、私との関係が少しよくなった。それまでは毎日、毎日戦っているみたいでした。」

今も学校に通っているわけではないがダンススクールには楽しんで通っているという。それから家事を手伝ったりと少しずつ変化があるようだ。

しかし、こうして関係性を築き直すまでの2年の時間は様々な不安や焦りがあったという。

「最初は誰に相談していいかもわからなくて、色々なところに相談に行きました。でも、誰に聞いても「長い人生の間少し休んでるだけですよ」というだけでした。」

確かに、「長い人生で少し休んでいる」と言われれば聞こえはいいかもしれない。理解できないこともないだろう。

でも、それですぐに納得できるほど、このことは当事者にとって優しくなかった。

そんな今でも迷いや葛藤がないわけではないとのこと。

その「少しの休み」を待っている親には親の論理があり、待たせている子どもには子どもの論理がある。

そして、「親が待っている」という責任のようなものを子どもが感じていることもある。

待ってくれているという安心感

その前後にも色々な声が聞かれた。

「子どもは先生が怖かったと言っていた」

「学校に行かなくてリモコンの投げ合いになったこともあった」

学校に行って欲しくても、行ってくれない。このジレンマを受け入れられるにはやはり人それぞれ、というか、各ご家庭それぞれに様々な物語があった。

例えば、担任の先生が変わったことがきっかけで戻れたという方もいれば、学年の変わり目で行くことができたという方もいた。

色々と聞いていると不登校の子どもたちに対する「解決策」というのがあるわけではない。どうやらそもそもそういう見方をしていることが問題を引き起こしているようにも見える。

「うちの子に何か問題があって学校に行けなくなった」という認識を手放し「うちの子とどういう関係性でいられたら幸せに暮らせるのか?」と考えるようになる視点の変化が結果的に問題を「消失」させているようだった。

とはいえ、このような話は渦中にいるとき、それこそ理解はできても、納得は難しいかもしれない。

そこで次の話を紹介したい。ある方が印象的な話をしていた。

「私は不登校の子どもを持ったこともないし、そもそも子どももいません。でも、私は待たせている人の気持ちがわかります。」

その方は以前、鬱症状があり、自宅の中で動けずにいたとのこと。今では夫婦でその時期を乗り越えたという。

「私は相手が待ってくれていることを知っていました。私を無理に動かそうとせず、一緒に何気ない時間を共有し、そばにいてくれていることを感じていました。その時の安心感をとても覚えています。」

不登校の子ども達は自分自身も外に出たい、学校に行きたい。けど行けないというもどかしさを持っているかもしれない。

もしかしたら時には「待たせてしまっている」と責任を感じることもあるかもしれない。

でも、きっとその責任や後ろめたさを「待ってくれている」という安心感に変えることはできる。

どんな気持ちで何を伝えるかで心はきっと軽くできる。

「親」としての人生と「子」としての人生

話をはじめに戻そう。「将来の夢は?」と聞かれたことがあるだろう。

もう、今は子どもでなくなったあなたにもそう聞かれていたことがあると思う。

言うまでもなく、ダンススクールに行った先ほどの子のように学校に行かなくなった不登校の子どもたちにやりたいことをやれる環境を作ったりすることはもちろん大事だ。

でも、それが大事なのは子どもだけじゃない。親だって夢を持って行きていいはずだ。

どんな夢でもいいだろう。

子どもと北海道に旅行したい

(実際に不登校になってから家族でその時間を使って行った人がいた)

新しい趣味を始めたい

(実際にフリースクールここではバンドを結成している保護者がいると言う。)

前回の3Kの会の最後。「おかんが楽しそうであれ」と締めくくった。

子どもは案外「おかん早く幸せになってくれへんかな」ともしかしたら「待っている」かもしれない。

何れにせよ、時が戻らないのは子どもも親も同じで、今という時間は一生で今しかない。

「親」という役割を少しだけ脱ぎ捨てて、「子ども」に戻ったみたいに「子ども」と遊びに行くのも大事なことかもしれない。

偉そうな言葉を綴ってしまったけれど、僕たちも「自由な学校 ころころ」としてフリースクールを始めるからには、そんな想いを持っていたい。

僕らも人生を楽しみます。ご一緒できたら嬉しいです。

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