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今だからこそ議論したい「多文化共生社会」の姿

私は、日本が外国人を受け入れるインクルーシブな社会の実現を活動の中心にしています。

ところで、世界には「移民」が建国した国(移民国家)や、陸続きの大陸で歴史を通じて版図が大きく変化を続けながら今に至る国々があります。日本とこれらの国々では、国家の骨格が全く異なり、外国人受入れを同列に論じることは難しいと考えています。他の国々との比較で、日本にはまだそれほど多くの外国人はいませんが、日本の歴史において、かつてないほど多くの外国人が居住するようになったという感覚の話としてならば、増えたなという実感は間違いないと思います。ここ数年のインバウンド観光客の増加も、その印象を強めていたと思います。

私は日本は「移民国家」にはなりえないと考えます。それは「移民国家」というのは「移民」が作り上げた国を指すという、ある意味定義の問題に近いのですが、「日本は移民国家になった」という言葉がミスリーディングすると感じるからでもあります。私たちは知り合いが5年間の海外駐在員になって赴任する時、「ああ、君たち一家は、(例えば)シンガポールの移民になるんだね。」とは思わないのが普通でしょう。日本語のもつ「移民」の響きは、そこに定住する人のことをイメージさせるはずです。そういう意味では、数年間日本に働きに来たり、学びに来る外国人を「移民」と呼ぶのは非対称ではないか、それが私の論拠です。
「移民国家」の概念も定義する必要はありそうです。
移民が多ければ「移民国家」と言えるのか。どのくらい多ければ「移民国家」と呼ぶのか。

日本に居住したり、旅行で来日する外国人は、不法滞在でない限り、国が認めた有効な在留資格をもっています。ちょっと馴染みのない話になりますが、在留資格は大きくふたつにグルーピングできます。ひとつは日本との関係が深いから取得できるもの(「身分・地位系」ともいいます)、もうひとつは、日本に在留する際に何をして良いのかの定めのある在留資格です。日本との関係が深いとは、例えば長年(概ね10年以上)日本に住んで、税金も納め、犯罪歴もなく、本人が望む場合に取得できる「永住者」や、日本人と結婚することで取得できる「日本人の配偶者等」(「等」には一般にこどもが含まれます)などです。私は「移民」という場合に、この「日本との関係が深いから取得できる在留資格(永住者、日本人の配偶者等、永住者の配偶者等、定住者、あとはちょっと意味合いが異なりますが特別永住者)」を保有する人のことと「定義」しています。一般的な考え方かと言われれば、そう考える人はむしろ少数派で、多くは旅行者を除く全てを「移民」と呼ぶ方の方が多いように感じます。少なくとも、外国人政策に関わる仕事をしたり、そこに関心をもつ方の間では。2020年6月時点の中長期在留外国人は、全部で約289万人おられますが、私の「定義」では、このうち日本の総人口と比較して0.9%くらいに当たる約119万人が「移民という言葉で呼ばれるにふさわしい」人たちです。(約31万人の特別永住者はカウントしていません。理由はまたの機会に譲りたいと思います。)他の人は大概がいずれ母国に帰国します。0.9%、そんなに多いでしょうか?

日本は、日本と日本人の歴史を踏まえ、日本の風土に合った、現実的な外国人受入の哲学、借り物でない思想を持つべきです。
まして、景気が良いのに労働力がひっ迫しているというような経済のご都合主義での招き入れはもってのほかです。
そのためには日本の未来へのビジョンが不可欠であり、目標設定が重要です。「多文化共生社会」という言葉が謳われますが、それはどんな社会なのか。

現在の外国人受入れを考える時、最も欠けているのは、私たちは外国人とともにどのような日本を築こうかという議論です。少なくともこれまでは、労働力が不足してきたので外国人を多数受入れよう、さもなければ日本はもたないというような議論がほとんどでした。

新型コロナパンデミックのために、ここ数年一本調子で増加を続けてきた外国人受入れは、踊り場を迎えています。そんな今だからこそ、「多文化共生社会」とは何かを議論したいと思います。「移民」ではなく労働者や留学生などとして来日する外国人の受入れ方も含めて、将来展望を描き、短期的な受入人数をコントロールしながら、「移民」ステータスへのスイッチを図る。同時に受け入れる日本人や日本社会のマインドセットや受入の仕組や制度(例えばこどもの教育のことや社会保障制度、企業であれば人事制度)についても変えていく必要があるはずです。

#EDAS #来た時よりももっと日本を好きに #多文化共生社会 #ダイバーシティアンドインクルージョン #SDGs

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