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論理と感情

あることのために、三木清の「人生論ノート」を引っ張り出して再読しているところです。
戦前の哲学者である彼の人となりについては、ほとんど知らず、西田幾多郎の弟子くらいにしか考えたことがありませんでしたが、今回調べていたところ、妻・喜美子が農業経済学者の東畑精一の妹で、26歳で三木と結婚し、33歳で早世したことを知りました。

三木は妻の死の翌年、追悼集「影なき影」を編んだそうです。
国会図書館のデジタルアーカイブで探し、追悼集に収められた「幼きもののために」を読みました。
三木自身が、この時まだ幼かった娘・洋子のために書いたメッセージですが、独白のようでもあります。

影なき影 扉

読んで心が揺さぶられました。乾いた論理で死や虚栄、孤独、利己主義、偽善などを喝破するという、私の中の三木のイメージが変わりました。
論理と感情。このふたつは陰と陽なのだ。

三木清は、治安維持法違反で検挙され、終戦直後に無残な形で獄死したといいます。
政治犯が獄中で過酷な抑圧を受け続けた実態は占領軍を驚かせ、治安維持法の急遽撤廃へと繋がったらしいということも、今回初めて知りました。
三木清が非業の死を遂げたのは、「影なき影」からたった7年後のことだったようです。

三木清と妻・喜美子


(引用)
洋子よ、お前にはまだこの文章が讀めないだらう。
併(しか)しやがて、お前はきつとこれを讀んでくれるに違ひない。
その時のために父は今この文章を書いておかうと思ふ。

幼き者のために


私達の結婚生活が果して幸福なものであったと云ひ得るかどうかに至っては、知らない。
しかし私達二人は共々に、どんな不幸な場合に於てもかなり平氣でゐることのできる喜劇家であると云っても云ひ過ぎではないであらう。
彼女も無口であったが、私も家庭ではあまり口を利かない。
彼女にやさしい言葉を掛けたことも殆どなかったが、今彼女に先立たれてみると、私はやはり彼女を愛してゐたのだといふことをしみじみと感じるのである。
彼女の一生は、短いと云へば云へるし、また長いと云へば長いと云ふこともできるであらう。
彼女の一生は、まことに弛みのないものであった。
そして死んでゆく時には彼女は殆ど人間的完成に達してゐたと信じる。
人々の心に自分の若い美しい像を最後として刻み付けてこの世を去ったのは彼女が神に特別に愛されてゐたからであらう。
私としては心残りも多いが、特に彼女の存命中に彼女に對して誇り得るやうな仕事の出来なかったことは遺憾である。
私が何か立派な著述をすることを願って多くのものをそのために犠牲にして顧みなかった彼女のために、私は今後私に残された障害において能ふ限りの仕事をしたいものだ。
そしてそれを土産にして、待たせたね、と云って、彼女の後を追ふことにしたいと思ふ。
#三木清 #哲学 #リベラルアーツ

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