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きょう心にしみた言葉・2022年10月17日

実際に、若者のなかには、学習や仕事に挫折した場合、自分自身で責任を抱え込み、環境ではなく自分を罰するようなかたちで退出をはかる例があとをたたない。過度の長時間労働や過重なノルマ、すさんだ人間関係の耐えられず企業を辞めた場合でも、『他の社員はがんばっているのに、自分は無理だ』というように、みずからを責める。

「軋む社会 教育・仕事・若者の現在」(本田由紀・著、双風舎)

東京大学大学院教授の本田由紀さんは、グローバル社会が生んだ「ハイパー・メリトクラシー」の弊害に警鐘を鳴らします。近代社会のメリトクラシー(業績主義)は、ポスト近代社会に入ってさらに進み、ハイパー(超)になったと指摘します。メリトクラシーは特定の能力で評価されてきましたが、ハイパー・メリトクラシーは、意欲やコミュニケーション力、創造力など感情の奥底までを含めた全人格的な能力を評価します。その結果、評価を受ける方は、疲れ切ってしまいます。本田さんは、ハイパー・メリトクラシーが若者に突きつける負荷として①要求水準の高度化という圧力②属性的格差の顕在化と対処策の不在③評価の恣意性④自己責任化と自己否定・自己排除④限度のない没入ーーを挙げます。若者は疲れ切り、とめどもない不安にさいなまれます。本田さんは、まずは、この「軋みの音」をみんなでしっかりと聞くことから始まると提起しています。


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