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波瀾万丈な人生と語学④

新たな挑戦へ

フィリピン生活で一文無しになり、帰国することになった私は、次の目標へと足を進めました。

それはオーストラリアへの挑戦。
元々住んでみたかった国の一つなので、次はここに決めようと思い、準備を始めました。

まずはお金がないので仕事探し。でもただ飲食店や派遣でアルバイトするのは意味がない…どうせなら培った実力を活かせる仕事ということで、都内高級レジデンスのバイリンガルコンシェルジュのポジションを受けることに…そして運よく合格し、英語力も落とさずに準備をすることが可能に。

念願のオーストラリアへ

1年で100万円ほどなんとか貯めて、まずはシドニーへ。雰囲気は今まで行った国とまるで違い、興奮が収まりませんでした。

この時はワーホリで来ましたが、私の中では、『ワーホリ関係なしに、他の人とは違う何か新しいことをする!』という意思があったので、とりあえずチャンスを逃さないようにと思っていました。

ワーホリのイメージと言えば、学校少し通ってジャパレスで働きながら、旅行も楽しんで、現地の友達たくさん作って、わいわい楽しく過ごす…というのがあったのですが、今まで必死に海外で生きてきた私にとっては、そんなのんきな生活は馬鹿らしく思えてしまったので、一切考えませんでした。

オージー訛りに苦戦

シドニーに来て1カ月が経った頃、ローカルジョブでアルバイトを始めたのですが、そこのボスがオージー訛りのひどい人で、自分が話すことは理解されてるが相手が何を言ってるのか聞き取れず…
『ハウヤゴーン=How are you goin'?』
『ヨア パイ=Your payment(wage)』
『バイスィカリー= Basically』
『チュアインジ=change』

これらは後に意味がわかりましたが、同じ英語でもこんなに違うのかと衝撃でした。
※YouTube等でオージー訛りを検索すればどんなのかわかります。

同僚もそこのネイティブや永住者なので、彼らの会話について行けず、悔しい思いをしてましたが、とりあえず会話の聞き取りに慣れようと、仕事をしながらも耳は常に集中させてました。リアルなスピードラーニングですね。その結果数ヵ月後にはある程度聞き取れるようになったので、まさに継続は力なりという感じです。

ファームでのドタバタ

オーストラリアにできるだけ長くいるためには、セカンドワーホリか学生ビザしかなかったので、とりあえずセカンド申請をするためにファームへ。

運よく知人から紹介されたファームへ行きますが、働き始めて2週間…慣れない体力仕事についていけず、熱中症で倒れてしまいました。そして解雇…海外の企業は日本のように過保護でないので、使えないと判断されれば平気で首を切られます。ファームワーカー=農場奴隷です。

回復してから他のファームを見つけますが、給料未払い、稼げないシステム、セカンド申請の手続きやってくれない等…散々な状況で、ファームの厳しさを目の当たりにしました。

そんなこんなで、良いことなしの状況でしたが、当時英語、韓国語、日本語が話せたこともあり、自分が住むシェアハウスのオーナーに、『君とビジネスがしたい』と言われ、少し手伝ってみることに…

オーストラリアで個人事業始める

そこからしばらくファーム地域や都市を転々としながら、仕事紹介や英語学習事業等の仕事をし、シェアハウスの運営も行うようになりました。色々ありましたが、初めての経験なので、新鮮さもあり、個人事業としてビジネス申請をし、本格的にエージェント業を開くことに…これが軌道に乗ればビジネスビザも狙えるかも…と思ったのは浅はかな考えでした…

何かやり遂げなければ

まだ、当初思ってた生活が思うようにできないことを不満に思っていた頃、色んなチャンスがやって来ます。

コネを使ってシドニーのど真ん中で書道パフォーマンスをしたり…


スーパーで知り合った人のコネでローカルの学校で書道を教えることになったり、たまたまリバーサイドでぼーっとしてたら話しかけられ、それから友達になったり…これらがきっかけでオーストラリアの裏話も知ることになるのです。

裏話を知り、驚きました。移民の楽園であったはずのオーストラリアが、実際はそんなことになっていたのかと…ワーホリや学生ビザで来る人のほとんどは知らない事実だと思います。

もしその時英会話力と行動力が低かったら、こんなチャンスは来なかったでしょう。

そして、とりあえず新しいことができたことの安心感もあり、少し充実した生活を送ることができました。

政府の政策に泣く

開業をして1年半が経った頃、オーストラリア政府の政策が大幅に変更され、移民排除の動きが活発になってきました。私がやっていた業種もリストから削除され、またビジネスビザ発給もかなり厳しくなり。事実上、現地の人と結婚するか巨額の投資ができるようになるかしか、ずっと残ることは不可能に…さらに、『One nation campaign(人種は[白人]1つでいい』なるものも活発化。道を歩いていても野次を浴びせられる…アジア人に対する差別も段々と増えてきました。
さらにはタックスリターンの申請で、年150万円しか稼いでないのになぜか60万円近くの税金を払えと税務署から言われる始末…税金ちゃんと払ってたのに…倍請求💦→翌年税理士を通じてなんとかなりましたが、国の対応…酷すぎです。

どん底の生活に突き落とされる

また、仕事で大きなトラブルに巻き込まれ、その時ビジネスパートナーが自分を能力を利用して儲けていることにも気づき(そのトラブルがきっかけで金欠が加速し生活は底辺に戻ります)、オーストラリアに対する魅力も徐々に減っていきました。

3年目から学生ビザに切り替えて、ビジネスカレッジへ通っていたのですが、学費はおろか生活費も危ない状況に陥り、ホームレスになるかも考えましたが…良い未来が描けず帰国することを決意。

この滞在で良かったところは、色々挑戦できたことと、英会話力で現地の人からなめられなかったことです。ワーホリで来る人のほとんどは、現地で語学学校に通って上手くなって、それから…という流れなんですが、それではもう滞在の半分以上を無駄にしてしまいます。現地では英語のできない人を下に見たり、からかったりする人もいます。しかも悪口を言われてることにも気づかない人も多かったり…長くいるとそういうのがわかってくると皆さんよく言います。

なので、海外へ行く前に語学力は最大限上げておく必要があるのです。日本人=英語できないというイメージを持ってる人も多いので。

再出発へ

こんなに色々な不運があっても、前向きに考えようとする力は、やはり今までの経験で学んで来たからだと思います。語学以上に、失敗や不運から人生を学んだという感じでしょうか。そのお陰で最悪な事態はいつも間逃れています。

今年帰国し、運よく仕事には就けましたが、入って数ヵ月…突然の体調不良から、今だ解明されていない奇病にかかり入院、長期離脱を余儀なくされるのでした。

なんとも不運が多い人生です。。。笑

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