見出し画像

ふと、2歳児の友達として遊んでいたことに気づいた

土曜日は月に2回ほど、となりの団地の集会所でお絵かき教室があり、7歳長女と5歳次女を送っていく。夫に頼む日が多かったが、昨日は夫が保育園の保護者会(今年はなぜか役員をやる気でその初回)があり、私が三女を連れながら送ることとなった。

送った後の三女との二人きりの時間。「ぉいで~♡」と言えるようになった彼女の言う通りについて回る。自分の隣の遊具に私を座らせて、座り方も、自分と同じ方向を向くように指示したり(「ううん」(違う!の意味を繰り返しながら、正解にたどりつくまで様々なポーズをさせる)、自分を抱っこさせて花壇のヘリに乗せさせたり。自分の満足のいく状況になると満面の笑みになる。こんなことを1時間ほど繰り返し、すぐ隣の図書館に促して強くなってきた風をよけた後、お迎えの時間となった。

三女との二人の時間。そのとき私は、彼女の母親ではなく彼女の友達だった。彼女から保護を求められたり安らぎを与えたりする存在ではなく、ただ一緒に遊ぶ友達。赤ちゃんや子どもにとって、家族は最初の友達でもあるのだな。なぜかそんなことを感じたことはなかった。

それは、きっと私自身が友達になる気持ちの準備ができていなかったのだと思う。「何も考えずに子どもと付き合う」時間がなかった。「これ片づけなきゃ」「あと10分で用意して家を出ないと」などと別のことを考えながら相手をしていたり、「こんなこともできるようになったんだな」と感嘆する時間も含めて、母親の立場にいたのだと思う。

三女だけでなく、長女、次女とも友達でいる時間が少しあるといいな。なかなか余韻がいいものなので。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?