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マリー・アントワネットの愛人、フェルゼンは何故

 54歳、財力があり、世界中を軍服で駆け巡った男、長身に引き締まった体躯、その知性を包む衰えぬ風貌、その瀟洒な面立ちに垣間見える憂いの表情、民衆を憎み見下す氷の眼差し。フランス王妃がいない地上で一人で生きながらえていること以外に何一つ恐れるものなどなかったフェルゼン(Axel Von Fersen アクセル・フォン・フェッシェン敬称略)。

「民衆が伯爵を辱めようとしております」

 頬をつたう生暖かくねっとりとした液体、微かに鉄の味がする自らの鮮血を口にして、御者のバワー(Bauer)の警告が、根拠のない危惧ではなかったことをフェルゼンはようやく悟り始めた。
 戦争には何度も赴き、無神経になるほど流される血も見てきたが、しかし現在フェルゼンが敵にしているのはストックホルムのあらゆる民衆であり、しかも彼らの憎しみの対象はフェルゼン一人であった。


以下では、フェルゼンが、己が民衆から殺意を抱かれる理由を理解するまでの過程を短縮して描写させて頂きたい。カール・オーギュスト王子の葬儀(葬列)の日、すなわちフェルゼン最期の日に二か所で起きた出来事を追って行く。各見出し下の写真は現在(2021年)の様相である。

1810年6月20日の出来事であった。フェルゼンがマリーアントワネットとその一家をオーストリアに逃亡させようとしたことで知られている1791年6月20日のヴァレンヌ国王一家逃亡事件のちょうど19年後のことである。


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Riddarhustorget/Konstnär Tollin, Ferdinand (1807-1865)/Skapad 1841/Utgiven av -/Objekt-ID
Stockholms stadsmuseum/Inventarienummer SSM 19847

事件の発生した辺り、フェルゼンが息絶えたのは絵画内右上のコの字型の建物。
基本的には、現在もそれほど変貌を遂げていない。


Stora Nygatan(Stora Ny通り)で起きた出来事

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 Tyska Kyrkan(ドイツ教会)の鐘は鳴り続け、音楽隊は喧騒と競うかのように演奏をしている。しかしいずれの音も民衆の叫び声にかき消されてしまう。

「フェルゼンに石を投げろ!もっともっと石を投げろ!」

 フェルゼンの顔面からは血が流れている。手、ポケット、作業服の数あるポケットに石を詰め込んだ夥しい数の少年達、大人達はフェルゼンの金色の馬車に遅れぬようにと一緒に走って来る。窓辺に立つ女達は目を吊り上げて投石の掛け声に相呼応している。


 Stora Nygatanにいよいよ足を踏み入れてしまった葬列パレード、護衛隊、垂直に伸びた背筋に威厳を現すSilfversparre元帥、さらに続く葬列のメンバー。この狭い通りではどの馬車に誰が乗っているのかを見極めるのが難しいほど混雑してきたが、金色の紋章が輝くフェルゼンの白い馬車は目立つ。

 馬車の左右では、あらゆる方向から飛んでくる銅貨や石をよけるのに精一杯で汚れきった足軽たちが恐れながら歩いている。数分後にはフェルゼンの馬車の窓は全て破壊されていた。

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 Silfversparre元帥は騎兵を宥めるように言った。

「それほど心配することではない。私が民衆と話をしよう」

 元帥に焦る様子は見られない。この時点では事態はなんとか収拾できるものと高を括っていたのであろう。


 フェルゼンの馬車はStrora gråmunkegrändに差し掛かった。ここでは200人のSvea護衛隊が待機している。ようやくこの気違い沙汰から開放される、とフェルゼンもは安心したようであった。

 しかしフェルゼンが安心したのも束の間、再び口笛の合図が聞こえ、同時に水兵に変装した男たちが飛び出してきた、男たちはフィンランドで声を掛け合いながら馬車から馬たちを切り離し始める。


 万事休す、とフェルゼンが諦めかけた時である、グレーの制服に身を包んで胸にメダルを輝かせた男が何処からともなく現れフェルゼンの馬車に駆け寄って来た。男は馬車のドアを開けて言った。


「伯爵を救出に参りました、なんとしてもお助け申します!」


Hultgrenska huset(正面の建物)で起きた出来事

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 空中を舞う木辺が男の胸を直撃したが、痛みを訴えることもなく、男はフェルゼンの震える手を率いて、近くの暗く狭い門に導いていく。

 Hultgrenska husetの門であった。民衆は相変わらず、聞くに耐えないような言葉で悪態をついている。上着を頭から被ったフェルゼンは、どこに連れて行かれるかわからず、しかし他に選択肢もなく、ひたすら男に導かれて行く。

 そこに乗り付けたSilfversparre元帥はフェルゼンに言った。

「何も恐れることはありません、伯爵。建物の中に入って下さい!」

 そして門の前を数頭の騎馬隊で護衛した。葬列はフェルゼンをHultgrenska husetに残したまま続行している。投石は変わらずフェルゼンの馬車を標的にしている、馬車にフェルゼンが乗っていない事実を知る人はほんの一部である、今のところは…

 フェルゼンは血を流しながら、男に半ば引きづられているような形で階段を上って行く。フェルゼンを救出するために突然現れたこの男はGeorg Bartholinと称する軍曹であり、軍曹がフェルゼンを救出しようとしているのは上からの命令に依るものであった。
 外の通りからは相変わらず憎しみを込めた叫び、いろいろなものが飛び交いぶつかる音が、耳を覆っても聞こえて来る。すべてはフェルゼンを対象にしていた。

「全くわからない」 

 フェルゼンはようやく胸のうちを吐き出した。

「私が民衆に対して一体何をしたというのだ、何故これほどまで民衆に憎まれなければならないのだ」

 フェルゼンの一行が一階の食堂に入った時、そこにも多くの観衆が所狭しと集まっている。フェルゼンは食堂の隣の小部屋に押し込まれ、小部屋のドアは内側から閉められた。長身のフェルゼンは椅子ではなくテーブルの上に崩れ込み、顔面を流れ伝う血を拭き取り始めた。

「本当にわからない、何故、私が民衆からこんな仕打ちを受けなければならないのだ!」

 フェルゼンは激しく息を切らしながら何度も質問した。

 軍曹は答えた。

「伯爵は王子の死に加担していると疑われているのです」

「カールオーギュスト王子の!なんということだ、私は全くの無実だ!」

 赤ら顔で首が太く、垢抜けなく、会話に品位のかけらが見られないチェーンスモーカーのカールオーギュスト王子は、フェルゼンが通常つきあいを好むような上品な社交仲間とはタイプが全く違った。だが、王子は愛嬌があり決して人から憎まれるような性格ではなかった。

 しかし、憎しみと大衆心理に洗脳されている民衆の勢いを止める術はもはや何もない。

 長身で引き締まった体躯、格調高雅なふるまい、肌は白く健康的で端正な顔に、二十年前にはベルサイユ宮殿の女性をすべて虜にしてしまった優艶な瞳、今は苦悩と絶望に満ち、乾きかけた血糊に塗られその様相を変えながらも静かに痛みと屈辱に耐えている。

 以下割愛。


Stora Nygatan、過去と現在の様子

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Stora Nygatan 17/Fotograf Petersens, Lennart af (1913-2004) /Skapad 1960/ 
Utgiven av-/Objekt-ID Stockholms stadsmuseum/Fotonummer F 61134

当時はこれらの窓からも野次馬が見られたと想像される。


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Stora Nygatan 22, vån. 2 tr: rumsinteriör/Fotograf Larssons Ateljé/Skapad
22 maj 1908/Utgiven av - / Objekt-ID Stockholms stadsmuseum
Fotonummer Fa 34227

騒ぎのあったStora Nygatanのある一部屋、20世紀中盤の内装、
現在もこのような内装は頻繁に見られる。


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Stora Nygatan 49, gårdsinteriör mot väster / Fotograf  Larssons Ateljé /Skapad
1902 / Utgiven av - / Objekt-ID Stockholms stadsmuseum
Fotonummer C 3819 ; Fotonummer POSC 359 ; Fotonummer C 149

騒ぎのあったStora Nygatanの20世紀初頭の中庭


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Stora NygatanからVästerlånggatanに続く通り。
現在の様子であるが当時からさほど変わっていないと想像される。
左手は日本料理店「将軍」。


スウェーデンにおいては非常に有名な歴史作家、ヘルマン・リンクヴィスト(Herman Lindqvist氏)の著書Axel Von Fersenの本の有名な一章を、稚拙な表現ながら翻訳をさせて頂いた(Herman氏了承済み)。

この章は最後(最期)まで翻訳させて頂いたが、あまりの壮絶さであったため、こちらでは全てを紹介させて頂くことは憚られる。

およそ900人の市民が尋問を受け、2人が起訴されたAxel von Fersenの殺害事件はあまりに有名であったため、それだけを供述した本も数種類出版されている(Fersenska Mordet)(Mordet på Axel von Fersen)。

通常、あまり感情を露わにしないスウェーデン人が、二世紀前にはこのように、怒りと殺意をむき出しにして狂暴になっていた。時代のなせる国民性の変化は興味深い。この国においてでさえも、中世には魔女狩り等が行われていた。

情報網が発達している現在でも流言蜚語が出回ることがあるが、情報網が欠如していた二世紀前においても、この事件に代表されるように、形態は違っても、流言蜚語に惑わされた結果、被害に遭う人間は少なくなかった。


フェルゼンが天国にてマリーアントワネットと再会し得たであろうとされている運命の日まで余すところ二週間、スウェーデンでは夏至祭を迎える時期である。


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ご訪問いただき有難うございました。

今回も長文になってしまいましたが最後までお付き合いいただき有難うございました。