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次の日には、「大変そう...」って他人事になってしまう。能登半島地震で感じた進まない防災のあり方を考える。

「大変そう…」

地震直後に感じた揺れの恐怖は、時が経てば風化して他人事になってしまう。あたたかい部屋で、テレビやスマホの画面越しに見る被災地の様子は、”大変そう”とは思うけど、自分が被災するとは少しも思わない。
現地の様子が報道されなくなるにつれて、被災地の復興は進んでいると勘違いしてしまう。

先日の能登半島地震のことも、多くの人の記憶から消えていくのかもしれない。だから、災害のリアルと進まない防災のあり方について、3.11から1日経った今日、改めてまとめておきたいと思います。

私たちは、普段の生活から防災のきっかけを自然と生み出せるように防災とギフトをかけ合わせた防災カタログギフトLIFEGIFTや、WEB上でいくつかの質問をするだけで、自分に必要な防災対策や防災グッズが買える防災診断EC pasoboなど、様々な形で防災の普及を目指している会社です。

能登半島地震についても、発災から約1週間後と1ヶ月後の計2回、一般社団法人危機管理教育研究所様と一緒に支援活動を行ってきました。
主な活動は物資供給や困りごとのヒアリング、避難所の環境改善、入浴支援など様々な活動を行ってきました。


なんだ…取材か? 余裕のない日々

「なんだ…取材か?」


被災して約1週間後、物資供給のために被災地に訪れました。住民の方に困り事や不足物資のヒアリングをしていると、「なんだ…取材か?」と少し苛立たれた様子の男性に出会いました。被災直後の悲しみ、不安、苛立ち、支援されることへの抵抗感、悲惨さを視聴率の道具にするメディアへの反発、あらゆる感情が混ざり合って出た言葉のように感じました。

私たちは安全地帯から被災地にきて、数日たてばもとの生活に帰っていく。被災地では、ライフラインが止まり極寒の寒さの中で、被災した場所だけが孤立した戦いを続けないといけない。そんな状況にあります。


※引用した写真はあくまでイメージで、こちらの避難所のお話ではありません


「まるで刑務所のようだ…」


被災直後の避難所は、「まるで避難所のようだ…」と話される方に出会いました。見ず知らずの人との集団生活。被災直後で余裕もない毎日。着の身着のままで逃げてきて、必死に命をつなぐ日々。
その避難所では、何時にどこに行くかを逐一報告する必要があり、避難所に入室する際は、20回以上ボロ雑巾の上で足踏みしてから入るようにルールが徹底されていました。もちろん物資の配給のために人数管理が重要だったり、避難所の衛生環境を守るためには仕方のないものの、規律やルールに精神的に参ってしまう人も多い状況でした。


6人で食事を分け合って生き延びる日々

物資の配給のために歩いていると、道端で70代ぐらいの女性と出会いました。大人6人で自宅避難をしていて、少ないご飯を家族6人で分け合っている状況でした。自宅のトイレも使えず、海辺で用を足すしかできない状況だったようです。
持ってきていた食料を差し出すと、
「もらえないよ…こんなに…」「本当にありがとう….すごく嬉しい…」と目に涙を浮かべて何度も御礼を伝えてくださいました。

家の収納や倉庫など、スペースはあったのに準備ができていなかったことを後悔されていました。飲料水や生活用水、非常食などが足りておらず、何年も保存できるものなのに準備しておけば、家族が苦しまなくてもよかったかもしれないと、悲しそうにおっしゃっていました。


毎日同じ食事 入浴もままならない日々

被災してから約1ヶ月後に、被災地に訪れると以前よりも物資は行き届いていました。ただ、毎日同じ食事ばかりで、贅沢は言えないけど普通の食事がしたいというのが本音のように感じました。

トイレは仮設トイレが設置されているとはいえ、数が十分でなかったり、洗濯も毎日できるわけではありません。お風呂も1週間に一度程度。若い人は金沢まで車でお風呂に入りに行けても、ご高齢の方や足腰が悪い方は自分一人でお風呂にも入れないため、取り残されている状況でした。

そうしたご高齢の方がご入居されている福祉施設の職員の方々は、入居者の方のことを最優先に考えていました。
「電気も水も満足に使えないけれど、身寄りのない入居者の方のことは自分たちが何とかしないといけない。」「今回、入浴支援を手伝ってくれたおかげで、やっと入居者の方をお風呂にいれることができた。本当にありがとう。」と、自分が被災していても、他の人を思いやる被災地の人の強さを感じました。


いつもの当たり前を、当たり前にしたい

避難所を訪問していると、一人の恥ずかしがり屋な男の子に出会いました。お母さんの影に隠れながら、じっとこちらを見ているので話しかけると、何も答えずにお母さんの影にパッと隠れてしまう。
少し慣れてきたのか、被っていた帽子を渡すと、楽しそうに帽子を投げたり、被ったりして遊んでいました。
いつもと違う環境で、じっとしたり、静かにしないといけない。遊びたくても遊べない。うるさくしてお母さんや周りの人に迷惑をかけたくない。そんな我慢が続いていた状況に、少しだけ、この一瞬だけでも、笑顔を取り戻すことができて嬉しく感じました。


「今日の炊き出しのうどん、すごい美味しいから君らも食べていきなよ」

支援活動をしていると、地元の方から声をかけられました。毎日毎日同じような食事ばかりだから、炊き出しの食事が住民にとってはすごく楽しみなんだと嬉しそうに話してくださいました。いつも飽き飽きしてしまうカレーも、炊き出しの温かいうどんと一緒に食べればカレーうどんになって美味しいと、何気ないことを楽しそうに話してくださったのが心に残っています。

生き延びることと、生きることは違う

男の子が遊ぶことに楽しさを感じたり、地元の方が炊き出しの食事に嬉しさを感じるように、人はただ水と食料があれば生きられるわけではありません。物質的な支援だけではなく、精神的な支えが生きていくためには必要になります。

普段の生活の中で、防災の準備をすることも同じなのかもしれません。
生き延びるために毎日災害や防災のことを考え続けるのは難しく、生きていくためには毎日の生活があります。だからこそ、生き延びるための防災という視点と、生きてくための生活という視点の両方が必要なのかもしれません。


生き延びるために必要なことは、まず知ること

今回の能登半島地震の支援に入る度に感じたことは、改めてリスクを知ることの大切さです。住んでいる場所や建物、同居している家族、そういった場所や人の災害時のリスクを把握しておくことが何よりも大切になります。リスクを知っていれば、その場所からすぐに避難したり、建物の補強を行ったり、引っ越しを考えたり、備蓄したり、様々なことを考えることができます。その前提となる情報を知ったうえで、一人ひとりが防災の備えをどこまで取り入れるのかを考えてもらいたい。そう思って開発したのがこちらのパーソナル防災診断EC pasoboです。


生きている生活の中に防災を取り入れる

リスクを知っても、自分の防災のためだけに準備することは難しい人もいます。でも、大切な人を守るためなら、人は行動を起こせるのかもしれない。そんな想いから、日常生活に寄り添うような防災グッズを集めたカタログギフトを作りました。「あなたの無事が、いちばん大事」という気持ちを込めて、大切な人から大切な人へ。防災が負荷なく広がっていくことを目指しています。

掲載商品抜粋 住宅用消火器

そうして、おしゃれな防災グッズがギフトを通じて、日常生活に自然と浸透していけば、普段から少しだけ防災のことを考えられるのかもしれません。


普段の生活の中で、非効率なことに愛着を持つ

いつでも、何でも、すぐに手に入る。そうして無駄を削ぎ落としすぎたことが、災害時に問題になるのかもしれません。水や食料、電気、ガス、あらゆるものが、当たり前にいつでも手に入る生活を前提にすると、それが失われるとどうしようもなくなってしまう。
だとしたら、無駄や非効率に思えることに愛着を持ち、生活に取り入れることが防災においても、生きるうえでも大切なのかもしれません。

これだけ発展した社会になっても、人は自然を求め、ライフラインが整っていないアウトドアを満喫したりする。インスタントでさっと飲めるコーヒーを、やかんでお湯を沸かしわざわざ豆を挽いて楽しんだりする。あえて照明を落とした部屋でランタンの光を頼りに読書に耽ったりする。
こうした無駄や非効率と切り捨てられていることに目を向け、愛着を持ってみると生活が変わるのかもしれません。

防災のために備蓄を準備するのは難しくても、普段食べられないご褒美という観点での備蓄や、リモートワークや風邪で外に出られないときの食事として準備すれば、備蓄の捉え方も変わるのかもしれない。健康に気を使って始めた運動が、もしものときに家族や自分を守る体力をつくるかもしれない。

そうやって、少し見方を変えると日々の生活の中に、防災を自然と取り入れるのは難しいことではないのかもしれません。


最後に

現在、能登半島地震の被災された方に対して、キャンペーンも実施しています。3月17日まで1RT or 1リプライで能登半島地震で被災された方に対して10円の寄付を行っています。よろしければこちらもご協力いただけると嬉しいです。

キャンペーンに込めた想いはこちら























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