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「今を生きる」ために「将来に備える」

ニュースで桜前線が話題となる頃に、いつも思い出すかつてのご依頼者様がいます。

その方(Aさん)は、当時60代の女性。ずっと独身を通され、定年まで勤めあげた方で、早くから将来の生活設計のことを真剣に検討されていました。

私は、ご縁あって、そんなAさんの将来設計の一つとして、任意後見契約(将来、認知症などによって判断能力が衰えてきた場合に備えて作成する書面です)と遺言作成のお手伝いをさせて頂くこととなったのです。

通常、こうした書面を作成する際には、まず、ご本人のお考えやご希望を伺い、その上でたたき台を作成します。

作成の過程で、当初気がついていなかった問題点や詰めなければならない事柄も出てきますので、それを一つ一つつぶしていきながら最終的な案を作成していきます。

Aさんはしっかりとした意思とお考えをお持ちの方でしたが、ある程度、ご自身の考えがまとまっている方でも、具体的に書面にしていく過程では「あれも気になる。これも考えておかないと・・・」と様々な不安や疑問が出てくるものです。

何度も打合せを重ね、そんな不安や疑問を一つ一つ解決していきながら、ようやく書面の内容が決まりました。

書面の内容が確定すると、あとは公証人役場で正式な書面にします。

Aさんと一緒に公証人役場に出向き、無事に任意後見契約と遺言を作成するに至りました。

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書面作成が終わり、公証人役場を出た後、Aさんから「せっかくだから・・・」と誘われて、とあるカフェでお茶をご馳走になりました。

その日はぴかぴかの快晴。

カフェの明るい日差しを浴びたAさんは晴れ晴れとした顔で、「これで肩の荷がおりました」と笑っておっしゃっていました。

「本当ですね。これで心置きなくご趣味の旅行にも行けますね」と返した私。

実はAさんは旅行が好き、桜を見るのも大好きで、毎年桜前線を追って北上の旅をするという実に優雅なご趣味をお持ちでした。

「羨ましい」と繰り返す私を前にして、Aさんは、今度はどこそこに旅行する予定と楽しそうに話し、桜の美しさ、素晴らしさを力説しておられました。

これまでの打合せのときの様子とは打って変わり、文字通り肩の荷がおりたご様子のAさんを前にして、つくづくと、Aさんにとってご自身の先々への心配がどれほど大きなものだったのかを実感したものです。

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それから幾年かの時が流れたある日。

突然、私の元に、Aさんが亡くなられたとの知らせが入りました。

聞けば、Aさんは、まさに桜前線を追う旅の途中で発作を起こし亡くなられたのでした。

思わぬ事態でしたが、そこは将来に備えて様々な手配をされていたAさん。

事前のお約束にしたがって、ご遺体の引き取りから火葬まで、無事にお送りすることができました。また、遺言によるご意思のとおり、財産分けまで行うことができました。

Aさんにとって、まだ若くして亡くなられたことは、もちろん無念だっただろうと思います。それでも、亡くなるその時まで、ご自身が一番好きなことをし、好きなものを目にされていたことには、心からほっとする思いでした。

どんな人生であれ、将来への漠然とした不安は、なかなか尽きることはありません。それでも、将来に備えた具体的な行動を起こすことによって、それらを幾ばくかでも減らすことはできるかもしれません。

Aさんがかつて手配された様々な事柄のうち、例えば、任意後見契約は、認知症などにより判断能力が衰えてきた場合に備えて作成する書面です。そのため、判断能力が衰えて初めて効力が生じることになります。

一方、Aさんは亡くなるまでお元気でしたので、結果として、任意後見契約については、効力は発動しないままとなりました。

それでも、こうした書面の作成が無駄であったとは思いません。

様々なケースを考えて、事前に手を打ち、不安を一つでも減らしておく。それが、何よりも大切な「今を生きる」ことにつながる。あのときのAさんの晴れ晴れしたお顔を思い起こすたびに、つくづくそう思うのです。

人は必ず亡くなります。そして、それがどのような過程を経るのかは、誰にも分かりません。分からないからこそ、将来に備え、そして最期のときまで心置きなく生ききること。その大切さをAさんの足跡から学びました。

(弁護士 G.N)

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