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僕は再び森の中へ

アクシデントはいつも唐突にやってくる。気づくと動けなかった。動けない身体でできることは空を見上げ、痛みで気を失わないようにすることと、ポジティブなこともネガティブなことも含め、これから自分の身をもって体験するであろう未来のことだった。

大腿骨転子部をばきっと骨折し、林道のアスファルトに投げ出されたのが去年の9月になったばかりのころ。そしてあれから7か月。いまももちろんほぼ毎日自転車に乗っている。ケガからのリハビリも全て自転車でおこなっている。ただ日常の足としてMTBに乗ることはあってもトレイルライドのために山に向かうことはなかった。別に怪我が…という気持ちはなくても山に向かう気にはなれなかった。そう、楽しいことはわかっていても。

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今日はゆっくりと森へ向かってみた。あちらこちらで町の中で、そして里で桜が咲きほこるのを横目にのんびりと高度を上げていく。森の中はとても静かで、森そのものは僕が転ぼうとそうでなかろうと何も変わらず、加速する世界の不安定さともほとんど自分たちには関係ないといった具合に見えた。カラスなのか、よくわからない鳥が「ぎーぎー」と言っていた。

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タイヤからサス、そしてハンドルバー、そしてペダル越し、足裏に伝わるふかふかとした柔らかな土の感触やら木々の中の木漏れ日やらは、入院した病院にも、リハビリで走るアスファルトの上にも、閉塞感漂う街にもない、美しく素敵な景色だった。別に自転車でなくてもいい、ランニングでも歩くことでも、MTBでも、こんな時だから誰かと一緒でなくても限らた自分の時間で、そうした豊かな自然が織りなす、その瞬間瞬間を自分の五感を研ぎ澄ませて、または調和させ、自分もその循環の中にきちんといて、その瞬間瞬間を「美しいな」「素敵だな」と感じることのできる時間へ転換する、接続する、そんな行為がひとりひとりの世界の中で目覚め、育まれるとすればなんと素晴らしことだろうと思う。

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なんて美しいんだろう。自分たちが暮らすここ奥三河は今日も美しい。気づきにくいけれど、特別な場所にいかなくとも、ここでの暮らしは美しい世界が、美しい瞬間に溢れている。

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