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なぜだろう?

筧さん、懐かしい写真を使うこと許してくださいね。2017年シクロクロス全日本選手権マスターズタイトル獲得のひとコマ。美しい八ヶ岳の風景、懐かしい。

ひとつの記事を読みました。挑戦に対するメンタルを書いた記事です。

ここでテーマとしているのはクライミングにおける挑戦のメンタリティーについてですが、ここに書かれている本質は全ての事象に当てはまります。自分がいま挑戦することに当てはめて考えてみてください。

■「なぜ挑戦するのか?」

■「何のために挑戦するのか?」

■「誰のために挑戦するのか?」

もちろんその答えは人それぞれで良いと思います。

しかしながらスポーツ界においては最近の社会動向の中で「大会がないとモチベーションがあがらない」「大会がないから目標が設定できない」というような意見をよく目にします。

でももう一度考えてみてみてください。自分が愛すべきスポーツ、取り組む事柄が何のためなのか?なんのために挑戦することなのでしょうか?

■「なぜ挑戦するのですか?」

■「何のために挑戦するのですか?」

■「誰のために挑戦するのですか?」

そして、そのゴールはどんな競技や挑戦であれ「大会」や「フォーマット」を「誰かに設定してもらいおこなうこと」でなければ達成できないものですか?または「誰かに設定してもらわないとできない」ことですか?「誰かに評価されないと意味のないこと」ですか?実はその先に不純であれ純粋であれそのコアとなるモチベーションのキーがもう一つ先に隠れて存在するのでは?

そのキーは、その自身を駆り立てる気持ちや自身を奮い立たせる気持ちの根源となるキーはなんですか?

それは「何の」のためですか?「自身」のためですか?「大切な誰か」のためですか?「顔の見えない誰か」のためですか?「自尊心」のためですか?見栄」のためですか?「評価」のためですか?それとも「やっぱり楽しいから」「好きだから」「誰かと自身の喜びのためだから」ですか?

その答えはなんでもいいはず。でもその答えを求めていくことがスポーツを通じた自分自身の世界の拡張であり、自身の探求であり、自身を駆り立てるものだと思うのです。

こんな時期だか、こんな価値観が変わる今だからこそもう一度考えてみませんか?自身が挑戦することがそれだけの労力とそれだけの情熱を注ぐものが「なんのためなのか?」なんのために存在するのか?

同じ挑戦をしてもそれを想像するかどうかが、きっとその先を大きく分けると僕は感がえています。そしてその想像力こそが、きっとその挑戦を次のステージへ導いてくれると思います。その想像力こそがきっと翼をさずけてくれる、もう一度挑戦するその勇気と自信をもたらしてくれると僕は信じています。


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