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自分の生き方について改めて思う事


こんにちは。一卵性双生児3歳息子がいる、なる。です。

子どもって真理をつきながらも、言葉も力もなく、生きるために親に頼らざるを得ない環境から、親によってはいろんなものを削ぎ落とされて育ちます。

だからこそ、削ぎ落とされきっていない子どもの口癖から我が振りを治すこともしばしば。

それを今よく感じるのが我が息子たちです。

息子の口癖にはっとする

最近、ふたりとも同じようなことを言います。
因みにふたりは自分の事を兄はたっちゃん、弟ははるくんと呼んでます。

「たっちゃんはお兄ちゃんになっていくね」
『ちがう!たっちゃんは、たっちゃん!』
「はるくんはかっこいい男の人になるよ」
『ちがう!はるくんは、はるくんなの!』

と言った感じで、『自分は自分である。他の何者でもない』と言った主張をするのです。

大人の人に対するラベル貼りを嫌がる息子たちを見て、わたしはどれだけ自分に貼られているラベルを受け入れてしまったのだろう。

そう思ってやみません。

周囲の大人が貼ってきたラベル通りに生きてきた

わたしは過去、現在も他人からのラベルを貼られ続けています。

世間的にマイナスなものは
ADHD
普通の職業じゃ務まらない人
引きこもり
銭を生まない人間
何もできない人
可愛そうな人
親不孝者

世間的にプラスなものは
自由人
暇人
程度のものでしょうか。

今のわたしからすれば、それは単なる一方的な見方でわたしの何を知ってて言うのでしょう?何を見てて言うのでしょう?

そう。わたしを「世間の中の自分」という目でしか見ていない人がそういうラベルをつけたがるのです。

わたしは20年以上、この自分を自分という一人の人間として見ず、世間との比較や他人から見た正誤の価値観からの眼差しから貼られたラベルにとらわれ押しつぶされて生きてきました。

誰かに貼られた負のラベルを取り払う

別の言葉で言えば、他人の目を気にしながら、他人に良く見てもらうために生きてきた20年以上の期間。わたしは常に孤独で、幸せを感じたことは少なく「生きていく価値」すらないと思っていました。

それでも、死ぬことを許さない体を抱えながら、苦しみも抱えて生きていくことはわたしのキャパを遥かに超えていて、荷物を降ろす方法を探る事へ転換。

学び続けて一番いらないと感じたのは他人からつけられたラベルに囚われることでした。

正直他人は自分の人生の行く末に責任など持ってくれるわけもなく、それどころかこちらに自分の人生はあんたのせいでとかいう人も少数だけどいたりします。

結局自分の人生を自分の足で生きるためには、自分自身で選択し、その選択から修正、路線変更などをして過去、現在を承認、受容しながら歩いて行った方が結果は楽なんです。

そこに他人から貼られたラベルは一切必要ないのです。

わたしはどんどん変わっていくものなのだから。

どうせなら素敵なラベルを自分だけに貼ろう

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だからといって、生きる上で夢や目標に向かって進んだり、どう生きていきたいかを言語化する意味で、ラベルが必要な時もあります。

その時は、その時点であなたの生き方のラベルを自分だけに貼っていきましょう。

人を信頼するわたしでいる
人を笑顔にするわたしでいる
いつも笑顔でいるわたしでいる
いつも自分の味方でいるわたしでいる
相手も自分も喜ぶことをするわたしでいる

といったように。

それだけの指針で充分楽に生きていけるし、楽に楽しんで生きていける。
そのラベルが世間から見た自分と同じようになる日が来るとしたら、それこそ本当の自分で幸せに生きてきた実績となって人を集められる人間になれていると信じています。

誰にも固定ラベルを貼らず、その人自身の今を見る

あなたは○○だと他人に決めつけられることは不愉快であることをわたしは知っているはずなのに、まだ身近な人にそれをしようとしている自分がいます。

それを息子に教えられているわたしもわたしもまだ成長過程にいる人間です。

相手に固定的なラベリングをしない。相手は常に変化し成長している。死ぬまでは皆何かを学んで感じている。

そう思えたら、ネガティブなラベルを貼る必要などないし、それでも不愉快な人だったら離れればいい。

自分で貼った素敵に生きるためのラベルを守るために、今関わる人の現在を承認、受容して、今よりも成長している相手を信頼していこうと決めた今日この頃です。

今回も最後まで読んでい戴き有難うございます。


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