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[映画]福田村事件をみる

映画福田村事件は、1923年9月6日に起きた実際の事件から映画化されたストーリーだ。特定のエリアで、特定の時代で、特定の状況で、いわば極限状態で人はどう動くのかが描かれる。殺す人たち、殺される人たち、そしてなんとか事件を止めようとする人たち。

ラストの殺戮シーンは圧巻だったが、うまいのは前半だ。どんな人が殺す人で、どんな人が助けようとする人かが描かれていく。今回殺されるのは、特段善良な人々でも特段悪い人たちでもない。普通の人々だ。

森達也監督はドキュメンタリー作品を撮ってきたことで著名である。ドキュメンタリーでは事後的にその物語を解釈することになるが、今回は事前に入念に作り込んだストーリーの上に事件が描かれる仕掛けになっている。

さてどんな人が殺す側なのか?これも普通の人たちだというのが答えである。多数派を形成する普通の人たち、これが犯人である。コミュニティでつねにマジョリティポジションにいることを良しとしている人たち、これだ。ここにこの作品の中心的テーマがあることは間違いない。これまでに経験してきたことや歴史的な出来事など様々なことが想起される。教室で行われるイジメの構図、日の丸を打ち振って出征兵士を送り出す駅の光景、そして言わなきゃと思いながらもつい放置していく日常的な問題の数々。私たち自身が極限状態ではどのように動くのか、絶望的な気分になる。

映画では、救済として、あるいは可能性として、いや期待として?描かれるのが異物としてそこにある人々である。東出演じる色男の船頭は、農村の共同体においては異物である。そして井浦新の妻として村に連れられてきたハイカラな女、田中麗奈も田舎の生活などまったく知らない異物である。騒動が起きた時、暴走を止めようとしたり、そこから距離を取ろうとするのは、この異物たちであった。

本作のレビューで、東出と田中麗奈がからむエロシーンは要らないとするコメントを多く見かけた。私にはそうは思えなかった。多様性を排除しようとする支配的空気こそが、あの事件を引き起こすということを肝に銘じるべきであろう。

それにしても、このアンタッチャブルなテーマを取り扱った映画への出演を決意した俳優諸氏に拍手を送りたい。作品自体の世界的評価の方が、国内的な忖度に比べるとはるかに重要だという認識が広まりつつあるのではないかと思ったりもしている。

#福田村事件 #森達也 #東出昌大 #田中麗奈 #ユーロスペース #関東大震災

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