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僕のafter.311 《3》312・313、テレビにかじりついた週末


なぜもっと早くにテレビを見なかったのだろう。昼間に起こった地震は僕が想像していたものよりはるかに深刻で被害は重大だった。テレビをつけてまず目に飛び込んできたのは、燃えている気仙沼の町だった。石巻も同様だった。海辺の町がことごとく津波に飲まれ、行方不明者も甚大。言葉を失った。
実家のある南相馬市も海辺の町だ。実家自体は町中だから津波は届いていないだろう。たぶん。築30年の古い家だけどつぶれていることはないだろう。たぶん。全てにおいて、「たぶん」を繰り返すしかできなかった。実家の情報は何ひとつわからない。テレビを見ていてわかるのは行方不明者の人数がどんどんと増えていくことだけ。それしかわからなかったけれども、テレビを消すことはできなかった。眠れる状況になかったけれど、5時間歩いた疲れがどどっと押し寄せる。僕はテレビをつけたまま、眠ってしまった。

朝五時前、電話がなって飛び起きた。実家の母からだ。電話では、父と母、祖母、そして下の妹、犬、猫の無事を確認できた。ところが、上の妹夫婦と連絡が取れないと言われたのだ。彼女らが住んでいたのは国道から少し入ったところで、実家よりも随分と海に近いところだった。安堵と不安が交互に押し寄せる。とりあえず、実家の家族は無事だったんだ。そう自分に言い聞かせるしかなかった。

「南相馬はどうなんだ?」「南相馬を映せ!」と、何もできない状況にやきもきしながら、土日は2日間まるまるテレビにかじりつくように見ていた。悲惨な状況であろう故郷の情報を少しでも手に入れたかった。
記憶では、3月12日に起こった原発の爆発のニュースはそれほど大きく報道されなかったように感じる。津波の被害や救助、行方不明者の安否の報道ばかりだった印象だ。それとも、爆発はしたけれどあまり大したことではないような報道のされ方だったのか、この日の爆発について僕はそれほど強いインパクトを持たなかった。それよりも、ポポポポーンのCMが耳にこびりついていいかげん不快だった。

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