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”聞く力”よりもその前に

 今回は聞くことについての私なりの考えをエッセイとして書こうと思います。

「聞く」とAmazonで調べると「聞く力」や「聞く技術」、「話すよりも聞け」というビジネス書がでてきます。確かに聞くことは大事なのですが、それだけでは何か人間味がないように感じてしまいます。私もこれまでの人生で”聞く能力”を最大限に高めて、得意なものとしてきました。実際に、この技術を活かして仕事をしていますし、気難しい人でも人見知りの人でも相手に話してもらって聞く自信があります。しかしこれは技術的なことだけで片づけられるかというと、そうではありません。

 聞くことについて、まず何を目的として話しを聞きたいかが大事です。それが営業して相手に物を買って欲しいのか、相手も気づいていない心のうちを聞き出したいのか、好感度を上げるためなのか、目的はさまざまだと思います。営業で物を買って欲しいのなら、相手のニーズを聞き出して購買意欲を刺激する言葉遣いが必要でしょう。相手も気づかない心のうちを引き出したいなら、相手に自分の気持ちに気づいてもらう問いを立てて、それを言語化できるような質問力がむしろ大事です。好感度を上げたいなら、相手の話を傾聴して受け止めて共感し、自分の魅力を伝えるのがよいでしょう。聞く目的というのは、TPOに応じて個別化されてしまうので、ここでは語りませんし、私にそんな能力もありません。

 なのでこれはただの持論になるのですが、”聞く=技術✖️相手を知りたい気持ち”なのだと思います。ミラーリングやペーシング、対格線上に座るとか、オープンクエスチョンなどいくらでも技術は出てきますが、相手を知りたい気持ちがないと結局話を聞いていないのと一緒です。逆に話を聞きたい気持ちだけでは尋問になってしまいます。相手のことを知りたいから、どうすれば相手が話しやすいかを考え、聞きたいから自然と相槌も出てくるのだと思います。

 先ほどの目的で言えば、私が聞く目的は広義の意味で相手を愛しているからです。相手が楽しそうに話していると私も楽しいですし、愛しているからもっと知りたいと言う気持ちになります。どんな人間でも愛せる点があると思っているので、初めは興味がなくても、愛せる部分を探すために話を聞きます。もちろん技術として適度な自己開示や大きなリアクションはしますが、相手を愛しているからこそ自分のことを知ってもらいたいし、リアクションも自然に生まれます。私の場合は、インプットした技術が知りたい気持ちに伴って無意識に表現されている状態です。ただ、もちろん意識的にやっている部分もあって、仲良くなればなるほどこの技術は減っていきます。一般的に良くはないのかもしれませんが、私が無理なく相手と関われると言うのは大事だと思って納得させています。今更両親の話をわざとらしく傾聴しようとも思いませんし、親友の話に適切な相槌を打とうとも思いません。

 私の目的はこんな感じなので、共感はされないかもしれません。でもこれを呼び水に、みなさんがどんなことを目的に聞く技術を高めたいのかを考えるきっかけにしてもらえれば幸いです。

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