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日本のカオスな街並みにワクワクを


 ストックホルム・ロンドンの街並みは非日常で魅力的だった。

 その魅力を構築しているのは”統一感”だと思う。『魔女の宅急便』のモデルになったストックホルムのガムラスタンは、色とりどりの建物に玉石敷きの通りが並び、島々で構成されたストックホルムの各所がファンタジーの入り口のようだった。欄干に立つ水鳥は船を背景に羽ばたき、大きな古びた水路はまるで映画の一場面。ロンドンも同じく、グラフィティアートが当然のように蔓延るストリートと小さなチューブの上には、石畳や緑の広がる公園が並び、夜になるとイルミネーションが輝いていて、ハリーポッターの世界に片足を突っ込んでいた。
 もちろんこれは、私が初めての海外旅行だから感じるアバウトなヨーロッパ感によるもので、長年住んでいる人から見ると別の視点があるのだと思う。ということは逆に、日本に住んでいて気づけなかった良さがあるのかもしれない。

「日本に私が魅力を感じる”統一感”はあるか?」

 正直思いつかない。THE日本の京都でも、寺社仏閣に入れば1000年前に戻れるかといえばそんなことはなく、トイレはきれいな現代様式で、しれっと冷暖房や防災設備が充実している。観光地を少し外れれば申し訳ない程度の茶色い看板をしたコンビニが見えて、小洒落たフランス料理やインド料理屋がすぐに見つかる。しかし、視点を変えればこれこそが”統一感”なのではないか?歴史的建築の横にでも商魂逞しく流行りの店が並び、鰻の寝床の横にデザイナービルが並んでいる。フレンチだろうが中華だろうが全て和風に変えてしまうこの節操のなさこそ”統一感”、もといカオスこそが日本の良さなのかもしれない。

 すぐ隣に何があるかわからないワクワク感を想起させるカオスはまるでマン・レイの写真のようなシュールさを醸すと同時に、森見登美彦の小説のように身近な非日常に喩えられる。もしかすると、古くからある寮に住んでいるのは天狗かもしれないし、夜の鎮護の森には猫の出汁をとったラーメン屋があるかもしれない。『アベノ橋魔法商店街』のように、昭和の街並みがファンタジーの世界にだって通じているし、『ブレードランナー』のように近未来はTOKYOのスラム街かもしれない。そんなカオスを私たちはいつの間にか見落としている。そう思うと、いつもあるいている日本の街並みも、何かを発見して歩きたくなる。

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