<参考>黒川元検事長に対する処分は、懲戒処分としての減給程度が相当である。

 黒川検事長についての処分内容については、刑事上の処分と、行政上の処分の二つがあります。

 刑事的には、賭博罪、常習賭博罪等が成立するかが問題となります。私自身は、全ての国民との間で、今回程度の事実では、賭博罪・常習賭博罪として、罰せられない社会の方が、良い意味で緩くて生きやすいと思います。

 ただし、普通の市民はテンピンでも罰せられるかもしれないけど、検察の上級幹部だと訓告で済むということになったら、法治国家ではなくなってしまうので、あくまで重要なことは、法の適用が、すべての国民との関係で公平であるということだと思います。

 その意味では、無罪になるにせよ、ちゃんと起訴をして、裁判所の判断を仰ぎ、明確に判例として残しておくべきだと考えます。

 一方、国家公務員法上の懲戒処分の適否については、以下のような理由で、懲戒事由に当たると考えます。


<国家公務員法上の懲戒に関する考察>

(1)刑法上の賭博罪は、仲間内での少額の賭けマージャンのすべてを犯罪として罰する趣旨ではなく、国家公務員法上も、全ての賭けマージャンが賭博行為として懲戒処分に処せられるものではない。
 ただし、国家公務員に対する懲戒処分の基準を定めた「懲戒処分の指針について(平成12年3月31日職職―68)」においては、「賭博」行為に該当すれば懲戒(訓告か減給相当)とされ、さらに「常習性」が認められれば停職相当とされている。このことからすれば、仲間内での「遊び」と評価できるような場合を除き、賭けマージャンは国家公務員法上の懲戒事由となると考えられる。

(2)今回、黒川氏が検察幹部で、相手方が実際に黒川氏関連の記事も書いていた新聞記者であったという関係性に照らせば、その間の定期的な賭けマージャンの実施は、検察内部での、あるいは大学時代の友人の間で同じことをする場合とは相当質的に異なっており、仲間内での「遊び」と解するのは無理がある。
 したがって、刑事罰を科すべきかはともかく、少なくとも国家公務員法上の懲戒処分の判断にあたっては厳しく考慮されるべき事象である。
 
(3) 時期的にも、黒川氏を巡る定年延長が連日マスコミに取り上げられ、黒川氏の発言その他が持つニュースソースとしての価値は極めて大きく、記者としても、その相手とマージャンを引き換えに取材をすることに相当大きなメリットがあったと思われる。
 これは裏返すと、検察のナンバー2が、特定のメディアに対してだけ特権的な地位を与えていたことを強く疑わせる。 
 
(4) マージャンのレートは、テンピン(1000点で100円)ということで、それ自体が直ちに刑法上罰すべきほどに高額のレートとまでは言えないが、月に1~2回という頻度はかなり多く、トータルで動く金額は無視できない大きさである。
 また、緊急事態宣言がなされ外出自粛要請が出されている最中に2回もか行っていたという事実は、自粛自体は法的義務が伴わない以上、これにより直ちに違法とまではいえないものの、「こんな時にまで続けていた」ということから、より強い常習性をうかがわせる事情にはなる。
 
(5) 以上より、この行為が、刑事上の賭博に当たるか、常習性があるか、という点は、微妙な認定であり、刑事裁判を経なければ判断できない。しかし、新聞記者との接待麻雀という本行為の実質からすれば、それが常態化していたこと自体が、公務員の職務の信頼性を大きく棄損するものとは認められる。
 なお、今回程度の行為が刑事上の罪となるか否かは、国民の行動規範の構築という観点から、明確に基準化されるべきである。その観点からすれば、検察としては、黒川氏を起訴し、刑事裁判手続きの中で裁判所の公正な判断を仰ぐべきと考えられる。
 
(6) 帰りのタクシーに同乗するという行為は、それが単発で行われた場合に、直ちに懲戒事由となる利害関係者からの不当な利益供与にまでは当たらないとも思われる。
 しかし、上述のように、接待麻雀が常態化する中で、常にこのような対応が繰り返されていたとすれば、取材の対価としての接待麻雀と送迎という関係性が強く疑われる状況にあったと認められ、職務の公正性に対する疑問を国民に対して強く抱かせる事情となる。
 
(7)実際に、賭けマージャンからの帰りに新聞記者が乗るタクシーに同乗していた時間が、取材を受ける時間だった可能性が高く、記者の側は、それを目的に麻雀接待をしていたと考えられる。
 
(8)以上の個々の判断要素を検討したうえで、事情全体を総合判断すると、黒川氏は、刑事上の罪となるかはともかく、少なくとも、国家公務員法上の懲戒事由には該当すると思われる。
 具体的には、自ら職を辞し、またマスメディアの報道その他で一定の社会的制裁を受けていることを加味しても、減給相当と考えられる。


 上記は、あくまで私個人の考察結果ですから、人によって異なる事実評価や価値判断があり得ると思います。

 国家公務員に求められる清廉潔白性とはどの程度のものか、これは刑法上の可罰性の問題とは別物なのか、それとも重なっているのか、こうした重要な論点について、多くの国民が、フラットに議論できるきっかけになると良いと考えています。いろいろな価値観を前提に、様々な評価が世に出され、議論を進めていきたいですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?