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工場勤務の派遣社員になった最初のきっかけ。


工場派遣のきっかけは振り返るとこの高校時代の就職先の話からだったと思います。

私は高校卒業直前にわたし含め女子3人でいつも遊んでました。

その中で仮にSちゃんとしておきますが
卒業後の就職先がお菓子工場に決まったと
聞いて私と親友Mちゃんと顔を合わせ

えぇ?Sちゃん、工場に?

すごく話好きだから販売とかサービス関係かと思った!と意外な選択に驚きつつも
内心は自分たちは事務、販売系にと就職先はあっさり決まっていてちょっと工場勤務と聞いて見下した感じだったのかもしれなかったです。

もう80年代の話なのでこの表現は今なら大問題ですよね。

この時代の工場仕事というのはドラマで出てくるような町工場でキツく汚い危険の3Kという先行していたので、よほど仕事に困った人が行くところという誤ったイメージをもれなく私達も持っていました。

Mちゃんと2人になって仕事の話をした時に
「えぇ〜、何で工場なん?私なら選ばないなぁ。」と話していて就きたくない仕事ワースト1。

当日は黙ってもくもくと同じ事を繰り返す地味な仕事は当時は自分では不向きでもあったし、華やかな接客業がもてはやされて人見知りしない自分の性格では考えらない業界でした。

でも若い時からずっと同じ職業で仕事をされてる人にとっては恐らくわからないかもしれませんが、人生の中で何度か転職する人もいて環境が変わり考え方も変わって来る人はいるものです。

私のような転職の女王?がどこかで爆誕してるかもしれません。

私が真逆の業界を選んだ理由は娘を連れての1度目の離婚でした。

南関東から引き上げて懐かしい北関東にまさか舞い戻るとは想像もしていなかったのですが、シングルマザー、ひとり親家庭での就活は思いのほか前は大変で正社員でとなると、保育園に預けての仕事で大半は落とされる形になってました。

ひとり親家庭を雇うと補助金を貰える仕組みのある会社に1度だけ働いて見たことがあったのですが、インクのアレルギーを起こし早々に退職。

母親も娘を預かりたくないという方針。
確かにようやく子育てから離れ自分の時間をゆっくり持ちたい気持ちはもっともです。

では、どんな働き方なら自分や娘にとって余裕ができるのだろうか?と目にした求人誌。

そこには借りていた家から10分程のメッキ工場での契約社員の募集でした。

週5日、土日休み、残業なし。
子供の急な病気にも用事にも対応。
お給料も2人で充分暮らせる額。

でも工場だよねぇ。
私が就きたくなかった職業ワースト1位。

どうしようか?

離婚前後の激道の中、夫や夫の母と揉めた経緯もありなかなかの人間不信にもなっていてその時はちょっと疲れていんだと思います。

仕事以外の余計な気遣いも極力したくないし、なにしろ娘の笑顔を最優先するのを考えた末、まあ、ちょっと違う世界も体験しておいてみてもいいんじゃない?と応募してみました。

はじめて見るメッキの綺麗な部品の数々。
徹底した指導と管理の内容の説明とこれから働くであろう部署の部屋も実際の作業内容も見る事ができてこれなら出来そうかな?と帰宅。

3日後めでたく契約社員として採用していただきました。

あれほど避けまくった工場勤務はこの契約社員でデビュー。

某上場企業の製品のメッキ部分の目視検査を日々こなす仕事がほどなくスタートしました。

私含めて4人、上司1人という少人数の作業部屋で入社して3日目でもう皆さんと仲良くなり仕事中も笑いが生まれるほどの和やかさで私のあの工場勤務のイメージは消え去りました。

同じ仕事をずっと繰り返す事への集中力の維持、継続は思っていたよりもハードワークでしたが、まさかこの仕事に自分が向いてると思わず視野の狭さと偏見を大反省。

それと自分は手先が不器用だと思い込んで細かい作業を嫌ってましたが、ここでの作業で実は勘違いと思い込みだった事を発見できました。

光が反射するメッキの検査の仕事で多少、近視気味になってしまいましたが、この経験が10年後にまた別の工場勤務で役立つとはこの時思いもよりませんでした。

自分が1番嫌いな仕事というのはホントは興味があってやってみたら案外向いてる可能性があると仕事というのを聞いたことがあります。

それを実体験できたのだと思いました。

また経験した仕事の話をココに書いてみたいと思います。

最後までお読みくださってありがとうございます。

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