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半世紀の記念日に

今日私は、50歳になった。
丈夫に生んでくれた両親に感謝をする日だ。

なるほどこれが50歳かと思う。数年前にレーシックを受けて快調だったが、だいぶ視力は悪くなった。老眼も入りはじめている。ふいに写真に撮られた横顔に愕然とする。重力には逆らえない。肌は不自然に隆起した部分が増えてきた。くすみも、まあ、酷い。白髪もやばい。腰回りについたチューブ。他にも肉体的な面でいえば、衰えた部分はたくさんある。

さらに気持ちの問題だが、昨年の夏は本当によくなかった。酷暑と湿気にやられ、更年期の浮き沈みに完全に病んでしまい、あれこれと疑心暗鬼にもなった。
夏を越えると、多少元気にはなったが、それでもやはり、以前とは違う。なんというか、四季を心から楽しむことができなかった。ハロウィンはもちろんやらないし、クリスマスもギリギリまでツリーを出すことができなかった。夫に頼んで木を組み立ててはもらったが、オーナメントを2つつけただけのまま、2週間がすぎた。片付けるのも、大変億劫だった。何か行事ごとを楽しむという余裕がなかった。師走は夫も忙しく、私もおかげさまで仕事が立て込んだので、家事が滞り、家の中は荒んだ。気になる部分だけやっつけで掃除をして、年末年始に雪崩れ込んだという感じだった。

そうやって、私の40代の最後は暮れていった。

とはいえ、けっして悲観的でもない。
不思議なくらい、なんだか気分が安定している。
体の老いも、心の浮き沈みも、人間関係の変化すら、「まあ、いいじゃん」と受け流せるような境地がなんとなく訪れている。

これは、このところお付き合いをしている仕事仲間の影響が大きいと思う。
いい仕事をしている人たちは、みんな「気」がいい。
さらっとドライで、必要以上に詮索もしてこない。プライベートも話すが、すべて笑いで流れていく。怒りや不満を溜め込まず、風通しがいい。

忙しかったけれど、振り返ってみれば、仕事に関しては、ああ、本当に気が楽だったんだなと思った。私は自分が求められることをきっちりとこなすことに全力投球すればよかった。忖度も気遣いも要らなかった。

去年もインタビューの仕事が中心だったが、大人物ほど、なんというか、「きょとん」としている。
細かくないし、気持ちがおおらかな人が多い。

私は、「ドライに生きてみたい」と、初めて思うようになった。
人情屋で、つい感情に流されがちな性格は、生まれつきなんだから仕方がないと思っていたが、これは違うなと思い返した。考え方はクセに過ぎない。もっとなにごとも、あっさりさっぱり流せるような訓練をしようと思う。

泣ける映画だって、泣けないくらいクールに眺めてみたい。
息子の反抗期だって、「可愛いやつよ」くらいに流していこう。
自身の更年期だって、「若さの証拠だな」と受け入れていこう。

ということで、2023年の50歳イヤーは、さっぱりと、明るく元気に過ごしていきます。
今年はなるべくnoteも更新して、心の整理をしていくつもり。です。

*写真は昨年訪れたバンコクの「暁の寺」です。上が引き、下が寄り。


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