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noteを最後まで書き切れないのは心が頭に邪魔されてるから

途中まで書いている、下書きの記事がいくつもある。

最初は勢いよく書いてるんだけど、だんだん失速して、そのうち「明日また書けばいいか」と、下書き保存のボタンをクリックしてしまう。

これらの記事の続きは、いつ書くんだろうか……。

たぶん、「これを書こう!」と想いが湧き上がった瞬間は、心で書いてるんだと思う。

でも、書き進めるほどに、
「ここまで自分の弱みをさらけ出していいのかな」とか、
「この話の落としどころっていったい何なんだろう」とか、
「自分のつらつら書く体験を誰が読んでくれるんだろうか」とか、頭の声が邪魔をする。

心がいつの間にか、頭に取って代わられて、私は頭で書くようになるのだ。

すると、アクセルとブレーキを同時に踏んでるみたいになって、なかなか進まないわ、文章がぼやけるわで、面白くなくなってくる。

そのうち、やーめぴ、また明日書けばいいやとそっとページを閉じてしまう……。

それじゃあ、いつまで経っても、自分の想いを発せられないじゃないか。

心のまま、自由に筆を走らせたい


最後まで文章を書き切るには、心のままゴールまで突っ走ることだ。

頭の出番は、いったん書き終えてからでいい。

それが推敲とか、調整というもので、頭が得意とすることだ。

まずは心に主導権を与えたほうが、文章というのは生き生きと書けるものだと思う。

この真っ白いnoteに、自分の心の中の筆を自由に走らせてみたい。

どんなものが書き上がるのか、最初の一行ではわからなくても。

心のままに走らせれば、私は私の書きたいことの軸もきっと見えてくる。

私にとってnoteを書く意味は、自分の言葉を見つけるためにあるんだから。

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