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登るから見られる景色がある

48回目!鉄道会社員×プロコーチとして活動しているFumiです😁

つい先日、なぜか小学校の時代の運動会の夢を見まして。改めて思い返すと、僕は運動会がめちゃくちゃ大好きな少年でした笑 とにかく体動をかすことが好きだったし、自分の得意が生かされる場だったので。そこで、小学校6年生、最後の運動会での組体操について今回は記事にしています。

このnoteを書く目的は『自分が自分らしくユーモア全開の人生を歩むためにこれまでの体験を思い返し言語化すること』です。これが経験学習を促進させることに繋がっていると信じています笑。そして!自分の生き様と体験が少しでも皆さんの背中を押せるといいな、と思って書いています。(僕は、よく「目的」を忘れるので、こうして言語化しています笑)

1.組体操(ピラミッド)

小学校6年生。最後の運動会で「組体操」をやることになった。最初は2人で「サボテン」、次は3人で「扇」、次は5人で「くじゃく」・・・そして10人で「ピラミッド」を作る。このピラミッドは、下から4ー3ー2ー1で、人の上に人が乗って完成させていく組体操。僕はチビで身軽だったから、てっぺんに立つ役となった。

小学生時代の僕は、人前に立つことが得意ではなかったし、結構恥ずかしがり屋だった。だから、てっぺんに立つことが『楽しい!』みたいな感覚はなかった。てっぺんに立って両手を「ビシッ」と広げてポーズを決めるのだが、とても恥ずかしいことで、それは少し嫌いだった。

運動会本番に向けて、何度も練習をした。僕は高いところに登るのが好きだったので、さっさと登って、はい!と適当にポーズ決めて、降りる。正直、僕にとっては簡単だったし、作業をこなしている感覚だった。

だけど、あることをきっかけに、僕の気持ちは変化した。

2.本番前の最後の練習日で…

いよいよ本番前の最後の練習日。いつもと同じく、最後の「ピラミッド」まで順調に組体操の練習は進んでいく。

が、そこで初めて「失敗」をした。土台の誰かがバランスを崩して、ピラミッドは一気に崩れ、全員がグランドに転がり落ちた。幸い、誰も大きな怪我はなかったので良かった。

「誰だよー。倒れたやつは?俺は頑張ったぞー。お前かー?」「誰ー?」

犯人探しが始まってしまった。皆「自分じゃない!」と言い張って。それまで仲良くやっていた10人の中の雰囲気が一気に暗くなった。

特に誰も怪我していないようだったので、練習は再開した。

そこで、僕はあることに気付いた。一番下の土台の一番左はじにいる友達。よく見ると、靴下で膝を隠していて。そこには「じわっ」と血が滲んでいる。彼の目を見ると涙ぐんでいることがわかった。「彼だったか」と僕は気付いた。

練習再開で、徐々に土台が作られ、ピラミッドができてくる。彼は歯を食いしばって頑張っている。それを見て、僕はとても申し訳ない気持ちが湧いてきた。そして、これまで何も気にしていなかったけど、急に「責任感」が湧いてきた。

皆、僕がてっぺんに登って、ポーズ決めるの待ってるぞ。ちゃんとやらなきゃ。ポーズを決めるのも恥ずかしがっていてはダメだ。みんなの頑張りを無駄にしてはいけない。

というようなこと気持ちの変化があった。こうして、最後の練習は終わった。怪我をしていた仲間は、笑顔で「さっきの登り方なら、あまり背中に負担がなかったから良かったよ。本番も頑張ろうね」と、そう言ってくれて。とても嬉しかった。

3.運動会当日

本番前になると、僕も皆も緊張しているのがわかる。口数が減ってきて、ソワソワしていた。2人、3人、5人、、そして、いよいよ最後の見せ場「ピラミッド」に入る。

4人の仲間が土台となって、その上に3人がまた土台になって、その上にまた2人が土台になって。準備は整った。あとは、僕がてっぺんに登って両手を広げるポーズを決めるだけ。

土台の左下にいる彼は、緊張のせいか、腕がプルプルしているのがわかった。咄嗟の判断で、急遽、彼の背中に負担がかからない逆の方から登ることにした。そして1人ひとりの背中を土台にして、登りながら、てっぺんに立った。そこで見たもの。

たくさんの家族、地域住民の人たち。みんな笑顔で、大きな拍手をしている。練習では見えなかった景色。とても嬉しかった。小学生ながらに感動した。僕はそこでしっかりポーズを決めて「ピラミッド」は大成功となった。

組体操が終わったあと、みんなでハイタッチをした。膝を擦りむいていた彼も一緒になって「やったね!」と。あの失敗から、チームに微妙な空気が流れていたが、それが嘘のようになくなって「一体」となった感じがした。

土台になってくれた9人がいるからこそ、素敵な世界を見ることができた。彼らが真剣に土台を作ってくれている、頑張れよ!って僕の背中を押してくれていると思うと、てっぺんに登るのは作業でなく、みんなの「想い」だった。そして、1人では決して見れない景色を、僕は皆に見させてもらった。

あの時は言語化できなかったけど。いま考えると、あのチームの皆には本当に感謝だなって思う。

4.改めて思うこと

1つ目は『当たり前のことほど忘れがち』ということ。特に、自分ができることほど、無意識化にあって気付きにくい。(今回の話しで言えば、9人に支えられて、自分がてっぺんに立っているということ。) 無意識化には、たくさんの「体験」という財産が埋まっているのだ。

2つ目は『チームには、いろんな人がいるから人が成長する』ということ。得意なことも、苦手なことも皆バラバラ。それでいい。だからいいのだと思う。だからこそ、人は成長しようとする力が育つ、だからこそ仲間を支えようとする力が育つのだと思う。同じである必要はない。今自分が、もっている、できることを、精一杯やること何だと思う。そして、一生懸命に生きる人は、それが何であれ「かっこいい」しその気持ちは「伝播」するということ。


たまたま見た運動会の夢から、こんなことを書くとは思いもしなかった。そして、どことなく、コーチング活動に対する「自分の想い」にも似たような感じがある。

社会人14年目になって、改めて思う。この会社で、本当にいろんな「体験」をさせてもらった。もちろん自分の努力もあると思うけど、組織に属しているからこそ得られた体験がたくさんある。なかには嫌な想いでもあるけど…笑 その体験によって「一人では見られなかった世界を覗かせてもらった」という感覚が強い。

だからこそ。

今度は、自分が土台になろうと思う。僕の背中を使って「これまで見れなかった世界」を見て欲しい。見方を変えれば味方も変わる!(名言!笑)少しでも高台に登ってもらって「これかぁ!」っていう景色を見てもらいたい。『登るから見られる景色がある』。そして、これからも自分は「コーチ」として、チャレンジし続け、転び、立ち上がっていく生き様を残し、支援し続けたいと思う。

いつも最後まで読んでいただきありがとうございます!きっと皆さんもどこかで「コーチ的な体験」をしている・されていると思います!ぜひ、そんな体験を聞かせてください☆ それでは良い週末を☆

Fumi

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