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精神科のお医者さんの一言に救われた話

今日は休みの日だ。 

昼ごろまでベッドでごろごろして
シャワーを浴び支度をする。

外出する用事があった。

ドアを開ければ日本の夏到来、
といった様子で重苦しい空気が入ってくる。

肌がジリジリと焼かれ、
わたしは汗をかくために外へ出たのかしらん、
さっきのシャワーの意味は…
とぶつぶつ考えながら歩く。

用事というのは、
精神科の診療のことであった。

月に一、ニ度通っているそこは
今回が五回目で
半ば習慣となりつつある。

知り合いにそのことを話すと
「えっ、精神科?碧そんなとこ行く必要なくない?」
と言われるが、精神科はそんな恐ろしいところではない。

もっとも、精神科にかからない人からすれば
未知の空間であろうから、
メディアで取り上げられる
誇張された印象が強いのだろう。

わたしが通い始めたきっかけは
どうしようもない生きづらさだった。



母曰く、わたしは独特の子供だった。

幼い時分は泥団子を作るのが好きで、
近所のさまざまな場所から砂を集め
自分なりの工程を編み出して感動していた。

小学生に上がる頃には鉄棒遊びに夢中になり
休み時間のたびに校庭へ走った。

空中逆上がりを連続で何回できるか
という挑戦にハマり、ついに31回できた時には
母がうちの子かと疑った程だった。

わたしは物事に熱中すると
周囲のことを気にかけなくなる。

面白い、と感じると
もっとそれを経験して、知って、
その仕組みを知りたいと思うのだ。

またへんに口が達者で、
よく冗談を言ったり
オノマトペで遊んだりしていた。

学校ではクラスメイトと一緒に遊ぶこともできたが
高学年になるにしたがって
派閥や性差という社会構造についていけなくなった。

中学校に上がり、
女子と男子という概念がクラスを分けても
わたしは男子とかめはめ波を打ち合って
遊んでいた。

人情の機微が解らぬわけではないのだが
ホンネとタテマエをうまく使いこなせず
空気が読めないと言われた。

なぜ周りと同じようにできないの?と
学校社会ではよく指摘されたが
自分は何が違うのか分からなかった。

そんな調子だから集団行動が下手で
クラスでも部活でも孤立し
不登校になった。

自分は社会不適合者なのだと
毎日終わることのない自責に苛まれた。

1人部屋で過ごし
長い一日がまた始まって、終わる。

その繰り返しだった。

食事を摂りながら、
わたしはこの命をいただくだけの価値など
全くない、出来損ないです。
ごめんなさい。
と思っていた。

ありがたいことに母が好きにさせてくれていたので
わたしはファッションとデザインに
興味を持つようになった。

美的なものへの執着が激しく
絵を描いたり、服を選んだりすることが
自分にとってはとても大切だった。

あるべきものが
あるべき場所にある絵が描けると
感動した。

だが、その感動は誰かに共有されることはなかった。

わたしは、社会に参加する資格が
ない人間なのだと思っていた。



中学卒業後は、通信制の高校に通った。

ファッションへの興味は
大人になっても絶えることなく、
勇気を出して服飾品の販売員をすることになった。

ここでわたしは、
自分の特性の壁にぶつかることとなる。

周りの人の目、お客も先輩も、
が気になってとても疲れる。

状況がうまく把握できず
臨機応変に動けないため無能と思われる。

単純作業が遅く、
簡単な仕事も任せられないと
先輩からいびられる。

毎日がとても辛かった。

自分はやはり落伍者なのだと思った。

どんなに努力をしても
そもそも平均の能力に達しないのだから
仕様がない。

疲弊しきった会社からの帰り道、
たまたま発達障害のことを知った。

自分はこれだ、と感じた。

そうして精神科にかかったところ、
IQテストを受けて発達障害ではないと言われた。

どうも、発達障害ではないが
発達の特性はあるということだった。

端的に言うと
得意なことと苦手なことのギャップが
平均よりかなり大きいため
自分の行動や周りの認識にずれが生じて
生きづらさを感じるそうだ。

わたしの場合は言語感覚がわりあい鋭く、
論理的思考が得意である。

だが、状況に合わせてすぐ行動を起こし
簡単な単純作業を処理することが苦手だった。

つまり、周りから見ると
簡単なこともできないのに
口だけ達者な頭でっかちちゃん
ということになる。

思い当たる節は多かった。

子供の頃から、
同年代の人間と横の関係を作るのは苦手だったが、
年代や立場の違う大人とはすぐ仲良くなれた。

抽象概念が必要な冗談が相手に通じず
雑談ができないこともあった。

わたしはそうした中で孤独感を募らせ、
周りと同じことができるように努力し
疲弊するのを繰り返してきたのだった。

面白いのは、自分の苦手なことに
潜在的にどこかで気づいていても、
意識的に認識はしていなかったことだ。

指摘されて初めて、
そういえば…と思った。

テストの結果が出た後
自分のストレスの多くが苦手なことから出ているとわかり、
ホッとした。

その反面、周りには理解されずじまいで
もっとうまくやったらいいのに、と
よくわからないアドバイスをされ
悩んでもいた。



思考のくせや歪みは
本人は普通のつもりでやっているのであるから
なかなか治らない。

わたしの場合はつい、
「周りと同じにならなければ
生きている価値がない」と考えて
できないことを無理してやる。

するとさらに思考が歪んで
どんどん苦しくなっていく。

この悩みを少しでも小さくするため
わたしは精神科に通っているのだ。

今日の診療で、かかりつけのお医者さんが
こんなことを言った。

「発達に特性があるのは、
手脚の長さが変えられないのと一緒だね。

平均の範囲内であればユニクロにしよう、となるものが、そうはいかない。

だから、まずは自分のことをよく知って
周りを自分に合わせていこう。

みんな違って、みんないい。」

他人事として突き放すわけでもなく
アドバイスを強要するわけでもなく
前を向くわたしをサポートしてくれる言葉だった。


マイノリティで苦しむ人は
多かれ少なかれ
わたしと似たような経験をしていると思う。

体と心の性別が違う人。
一日の食事に、菓子パン一つしか買えない人。
周りの人に見えないものが見える人。
外見に特徴があって、街ゆく人から振り返られる人。
自分の出自に負い目があって、周りを信じられない人。

自分が人と違う特徴を持っていて、
どうにも社会と馴染めない苦しみを抱えて生きるのは、孤独だ。

だが、ふと気づけたことが
物の見方を変えてくれることがある。

その時々の発見を、
世界の天井が一つ上がったような感覚を、
忘れないでいたいと思いながら
日々自分と闘っている。

それが生きるということなのだろう。

一つずつ、自分の心地よくなる方へ
周りを動かしていこう。

診療の帰り道、
歩いていると否が応でも汗をかく。

例えまた汗をかくと知っていても
シャワーを浴びて、いっとき、心地よくなる。

それが生きるということなのだろう。

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