司法試験前日に思うこと

 明日は司法試験初日。中日を含め、5日間の長い試験日を過ごすことになる。自他ともに合格レベルに達していないと認めているのにもかかわらず、明日受験しに行くことに怖さを感じる。可笑しい話だ。「どうせ受からない。」と思っているなら気軽に行けばいいじゃないかといった声が聞こえてきてもおかしくはない。正しくその通りだ。気軽に行けばいい。来年の予行練習だと割り切って行けばいい。試験会場の本番の雰囲気、空調の状態、椅子や机の高さや肌触り、トイレの混み具合、答案用紙の筆の滑り具合、休憩時間の過ごし方、一日の疲れ具合や連日の疲れの回復の仕方及び中日の使い方など、それらを確認しに行くだけでいいのだろう。これも来年に向けての布石と思えば。

 頭では分かっていながらも、心は割り切れてない。きっと、試験中に問題が解けない。うまく論証できない。思い出せない。といったことに悔しさを感じるのだろう。そのことを想像するから、前日の今に明日への試験に対し恐怖を感じるのだろう。

 いい年齢の社会人になって司法試験の合格を目指し始めた自分にとっての「恐怖」とは、なかなか覚えられないことへの恐怖であり、できないことへの恐怖であり、合格できないことへの恐怖であったりと様々なものが含まれる。

 若い頃の自分なら全く「恐怖」とも感じなかったことが、この年齢になって「恐怖」と感じるようになった。理由は様々であろうが、一番は年齢的にあとが無いということであろう。歳を重ねると、様々な可能性が狭まってくる。リカバリーできないわけではないが、若い頃に比べると困難になるのは確かだ。ひと昔前と違って、社会も寛容になり、または多様性を認める傾向が強まったことで、一度や二度の失敗があったとしても受け入れてくれる傾向はある。しかし、歳をとればとるほど、その機会すらも失われていくことは確かだ。

 これまで様々な経験をしてきたことで言えることは、若いうちに挑戦した方が良いこと。「若さ」が何よりも武器となり、たとえ失敗したとしてもその「若さ」が必ず自分を再び浮上させてくれるセーフティネットとして役立つからだ。この記事を読む若い方は、是非安心して欲しい。「若さ」溢れる君らなら、必ず試験にも合格できるし、たとえ失敗し、別の道を道を選択することを決めたとしても、その新しい道で必ず成功するだろう。ロー生の同期の中にも法曹の道を諦め、別の道を選択した者もいた。これまでの経験から相談にも乗り、社会人の友人を紹介したり、就職活動の仕方も教えたこともあった。現に彼らは社会人として立派に働いて、新しい人生を有意義に歩んでいる。もちろん、また法曹を目指したいと思ったなら戻って来ればいいと思っている。まだ若い彼らの人生は無限の道が広がっているから。

 話を戻そう。「恐怖」に打ち勝つにはどうすれば良いかは、言わずもがなだろう。だから、あえてここで述べようとしない。ただ、最後に言っておきたいことがある。

それは「恐怖に飲まれるな。」ということ。

「恐怖に飲まれる」と人はなかなか抜け出せなくなる。今の自分がそうだ。どんどん自信が無くなっていく。そして力を失っていく。さらに意欲すらも失っていく。そして、物事が上手く行かなくなり、生きることですらも楽しさが無くなっていく。

もう一度言う。決して「恐怖に飲まれるな」。

恐怖に飲まれそうになった時には、誰でもいいから助けを求めよう。家族でもいい、友人でもいい、彼氏彼女でもいい、先生でも上司でもいい、SNSで繋がっている人でもいい、誰かに心で思っていること、溜まりに溜まった感情を吐き出せ。怖いと思っていることを全て話そう。

遊んだりすることなどで、単に目をそらしたり、別のことをやって気をそらしたりしても「恐怖」は決して離れない。絶えず、後ろから追いかけてくる。むしろ、勉強をせず遊んだことが余計に恐怖を増殖させてしまう場合もある。真面目な性格な人なら尚更その傾向にある。自分はそうだった。

「恐怖」に打ち勝つことも大事だが、「恐怖に飲み込まれない」ことはもっと大事だ。今、自分と同じように受験勉強や他の何かに挑戦している人らがこの記事を読んだなら、「恐怖に飲まれるな」という言葉を頭の片隅にでも置いていてくれると嬉しく思う。きっと、それは君らの助けになるときがあるかもしれないから。

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