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彼らは生きていた

2ヶ月前、たまたま最寄りの映画館で『彼らは行きていた』という映画が期間限定で上映されていたので観た。

予告編を観て惹かれたとか、誰かに勧められたとか、公開したら観ると決めていたとか、そういうことは全くない。たまたま映画館のサイトを観て見つけた。期間限定モノに弱い私は、あらすじもそこそこに気づいたらチケットを買っていたのだ。

「戦争映画である」くらいしか予備知識はないまま上映が始まった。舞台は第一次世界大戦中のイギリスらしい。モノクロの映像と語りが流れる。冒頭ですでにただならぬ雰囲気を感じた。

これは戦争映画だった。
ただし、ある戦争から着想を得てつくられた劇映画ではなく、実際に撮影された映像資料と生き延びた元兵士たちの声だけでつくられたドキュメンタリー映画だった。

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戦争で前線におかれた兵士たちと聞くとどんなイメージをもつだろうか。厳しい状況で、常に神経を尖らせピリピリした姿か。死と隣り合わせの状況におびえながら戦う姿か。私はそんなイメージだった。

しかし、映像の中で生きる兵士たちは至極生き生きとしていた。映像がすべてとは言い切れないが、少なくともカメラの前では陽気に振る舞っていた。

支給された食糧を囲んで数人でつつきながら、戦争が終わった日に思いを馳せて夢を語る。戦況が落ち着けば湯を沸かして紅茶を飲む。武器の冷却に使う水が、武器を使用することで熱くなったらそれで紅茶を淹れる。そこにお湯がある限り、イギリス人は紅茶を飲まずにはいられないのかと少しクスッとしてしまう。

死におびえるのではなく、いつ死ぬのかわからないからこそ今を楽しむ。些細なことでもジョークにして笑い飛ばす。むしろそうして過ごしていないと、人の心を失ってしまうかもしれないという恐怖もあるかもしれない。

イギリスとドイツが戦い、イギリスが勝利してドイツ兵たちが捕虜になる。戦勝国側の兵士が捕虜となった敗戦国の兵士を厳しくこき使うようなイメージがあったが、またも覆される。

イギリス兵の中にはドイツ語を話せる者がいて、ドイツ兵の中には英語を話せる者がいた。ドイツ兵は、はじめはおびえてこそいたものの、次第に打ち解けていく。従軍する前の職業の話をしたり、お互いの帽子を交換してみたり。そしてまたそこで笑いが生まれる。

戦争はもう終わりだ。帰ったら何をしたいか。そんな会話が飛び交う中で、ほとんどの兵士が口にした言葉がある。「戦争なんてもうごめんだ。」

だらだらと長引く戦争にイギリス兵はうんざりしていた。それはどうやらドイツ兵も同じだったらしい。彼らはまだ知らないのだ。この先にまた大きな戦争、第二次世界大戦があるということを。

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この映画に主人公はいない。この点ではフィンランド映画の『アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場』を彷彿とさせる。正義のヒーローなんていない。大切な人のもとへ帰ること、戦争が終わったら叶えたい夢を思いながら、戦場で散っていった数えきれないほどの名もなき兵士たちがいた。

スクリーンに映るのは、私たちと同じ時代を生きる名の知れた役者たちではない。名前すら後世に伝えられていないかもしれない、当時生きていた兵士たちだ。大きな戦争で命を落としたかもしれない兵士たちだが、映像の中で確かに彼らは生きていた。

原題は”They Shall Not Grow Old”、命を落とした兵士たちは映像に残った姿のまま歳をとることはない。

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誰も望んでいなかったはずなのに起きてしまった第二次世界大戦のことを考えるとゾッとした。ラストでさらにゾッとする言葉があった。

ある兵士が戦場から生還後、再び以前のように会社勤めに戻ったらしい。外回りで顔馴染みのカフェに立ち寄ったとき、久しぶりに会った店員に驚いた顔でこう言われたそうだ。
「今までどこ行ってたんだ?」
徴兵は大々的に行われたにもかかわらず、戦争はまるで別世界であったことか、それとも悪夢だったかのようだった。必死に戦い生き延びてきたにもかかわらず、一般市民は驚くほど戦争のことを知らなかったのだ。

戦争よりも、人間の方が残酷なのかもしれない。



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