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おみやげのはなし

私は旅行のたびに家族や友達へおみやげを買う。お菓子だったり、お酒だったり、コスメだったり、現地らしさがあふれた小物だったり、マグネットだったり、いろんなものを買う。買い方は、相手を思い浮かべながら探したり、ふと見つけたもので相手を思い浮かべたりする。つまり、人が先に浮かぶケースとモノから人を連想していくケースがある。

人には必ず何か買って帰るくせに、いざ帰ってくると自分へはほとんど何も買っていないことが多い。でも、それでいいのだ。私にはお金で買えない《思い出》がたくさんあるからだ。

現地へ赴く。景色を見る。風を感じる。現地の言葉や方言を聞く。料理を食べる。五感を使って、心に思い出を刻む。その経験が私にとって最高のおみやげになる。

写真もたくさん撮る。あとで見返してみると、肌で感じたものがよみがえる。この追体験もおみやげだ。

自分が現地で、肌で感じたものを他の人とも共有したくなる。私にとって、そのためのツールが“おみやげ”なのだ。そして、そのおみやげを買う過程で、あげる相手を思い浮かべると不思議とその人がそばにいるような気もしてくる。これを見たらこんな反応をしそうだとか、きっとこれに食いつくだろうなとか、考えていると楽しくなる。

おみやげとは、自分の思い出の一部を分け与えるようなものだと思う。分けるけれど、自分の持ち分は減らない。そのおみやげを介して相手も、自分の語った思い出を追体験できる。思い出を共有するための媒体、それが“おみやげ”だ。

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