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テーラー 人生の仕立て屋

私は映画館へ行くときはだいたい目当ての作品があって行く。予約はしたりしなかったりだが、とにかく観たい作品と上映時間とあらすじはチェックしていくことがほとんどだ。

だが、時折フラっと映画館へ行って、適当に上映スケジュールを眺めながら気になる作品に目星をつけたり、今から間に合いそうな作品を探してみたりする。これもまた楽しいもので、思いもよらない良い作品に出会えたりする。『テーラー 人生の仕立て屋』もそういう作品ひとつだ。

新宿まで出たついでに、期限が迫るクーポンの存在を思い出して新宿ピカデリーに立ち寄った。時間が合えばシャン・チーでも、と思ったが、残念ながら私がチケット販売機に到着したときにちょうど始まったところだった。予告編があるとはいえ、途中から入るのは忍びない。どうも、上映時間を過ぎてから入るのは苦手である。

かといってそのまま帰宅する気にもなれなかった。そこで何か他にないかと探していると、目に留まったのが『テーラー』だ。新宿ピカデリーでは、ポスターや雑誌のスクラップの展示もあり、なかなか推されているようである。しかもギリシャの映画がEUフィルムデーズやミニシアターではなくこのような大手シネコンで上映されるなんて珍しい。時間的にもちょうどよかったので観てみることにした。

開場までの間に特集コーナーを覗いてみる。崖っぷちのスーツの仕立て屋がウェディングドレスの仕立て屋に、それも移動式の仕立て屋に転身するという話。なんだか面白そうである。気難しそうで生真面目そうな仕立て屋がウェディングドレスを.....?一体どんなきっかけがあったのか。期待は高まる。

観終わってみると、ああ良い作品だったなと思った。仕立て屋のドキュメンタリーっぽくて、スタイリッシュな作品だ。ただ、宣伝が少し派手過ぎたような気がする。おそらく、私のように劇場の展示に惹かれて観た人の中には少々退屈に感じてしまう人がいるのではと思う。

アテネの街並み、紳士たちが纏うおしゃれなスーツ、青空に映える白いウェディングドレス、ギリシャ語の響き。どれをとっても美しかった。視覚的に色鮮やかな分、ストーリーは比較的静かでゆるやかに感じた。展開としては起承転結、いや起承承転転結くらいはあるだろうか。だが、その境界ははっきりはしていない。じわじわと移り変わっていくのである。

この“静かでゆっくり”そして“じわじわと”進んでいくストーリーが、まさにリアリティを感じさせるのである。

主人公ニコスが移動式の仕立て屋を始め、そしてウェディングドレスの仕立て屋へと転身する元々のきっかけは、店の経営難である。この経営難というのは、突如現れるものではない。徐々に客足が遠のき、常連客が亡くなり、時代の流れとともに買い手が減り.....という風に“静かに”“じわじわと”迫ってくる。父親の代からの客は高齢化、かつての常連はもう何年も前に亡くなった、街ではスーツを着る人も減ってオーダーメイドの高級スーツなんてとても手が出ない。この描き方が至極リアルだ。

ウェディングドレス作りを始めるきっかけも、ニコス自身の思いつきではない。服をいくつもぶら下げた車を引きながら通りを歩いていると、急にドレスは作れるかと声をかけられる。作ったことはないが服は服だし、何より経営が傾く中なりふり構っていられない、といった表情が見て取れる。
もし他の人がこの映画をつくったら、このあたりの展開はどうなるだろう。例えば友人の結婚式に参列して、そこで新婦のドレスが破れるか盗まれるかして、急遽ドレスを作ることになり、そこで主人公はドレスを作る楽しさとか自分の隠れた才能に気づくとか、ポジティブな動機として描かれるかもしれない。
だが、『テーラー』ではそこはちょっとネガティブである。これがまた、観る人を感情移入しやすくしているように思う。

作中のニコスのセリフで、自分が生まれたところではスーツを作る依頼のが多くウェディングドレスなんて着る人はいないというものがある。その背景としては、父親のように高齢な人が多く、葬式が多いからだという。葬式というのは、暗いものである。しかし、ウェディングドレスを着る人々は、皆明るい笑顔である。このことも、ニコスがウェディングドレス作りにのめりこんでいく要因になるのではないか。

いろいろと覚えている限り書き連ねてみたが、私がこの映画で特に好きなところはラストシーンである。ニコスがウェディングドレスを乗せた車を、窓からヴェールをなびかせつつ走らせるシーンだ。車にはニコスの名前が印字されている。

この名前の印字が映ったときに、私はハッとした。仕立て屋の看板にはニコスの名前はなかった。ニコスの父親の名前があり、そのあとに「&息子」と書かれている。ここではニコスは息子、父親の店を継いだ二代目に過ぎないのだ。そうして生きていたニコスが、自分で移動式の仕立て屋を始め、ウェディングドレスを作り、最終的には自分の名前を刻んだ看板を背負う。父親の人生をトレースするのではなく、自分の人生を自分の足で歩き始めたよう、そんな風に私には見えた。作中では2回ほど、仕立て屋の看板が映る。看板の下にあえて字幕が表示されることが少し不思議だったが、おそらくこのラストシーンにつなげる演出なのだと思う。

人生は測れないから面白い。何かを始めるのに遅いということはない。派手なメッセージ性ではなく、静かに希望を与えてくれるような、見る人それぞれが様々に何かを受け取れるような、そんな作品だった。

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